第二章 ~『狩りと条件』~


 外壁に囲まれた街――リクシルは、エルド領で唯一人が住めるエリアである。その入門近くまで黒馬を走らせると、物見櫓から若い衛兵の男が声をかけてくる。


「もしかしてリグゼ様でしょうか?」

「ああ」

「話は聞いています。どうぞ、中へお入りください」


 門が開かれ、街の中へと通される。すんなりと許可されたのは、黒髪黒目の少年が新しい領主だと聞かされていたからだろう。


 門を超えた先、そこに一人の老人が立っていた。銀縁眼鏡と執事服、そして皺が刻まれても衰えない端正な顔立ち。リグゼの知っている男だった。


「到着お疲れ様です、リグゼ様、アリア様」

「優秀な部下を貸してくれると聞いていたが、コンキスタの事だったのか」


 彼は貴族社会での常識や、領地の知識をリグゼに叩き込んでくれた教育係の一人である。おかげで彼の人間性についてはよく知っていた。


「ここで話をするのも何ですから。領主邸へと向かいましょうか」

「ああ」


 コンキスタが先導する形で目抜き通りを進んでいく。だが街に活気はなく、閉店の看板を掲げている商店も多い。


「この街はいつもこんな感じなのか?」

「鉱山で仕事をしている住民が多いですからね。夜になれば仕事終わりの鉱夫たちで騒がしくなります」

「仕事終わりの酒は堪らないからなぁ」

「リグゼ様が飲酒を⁉」

「あ、いや、大人から聞いた話だ」


 リグゼはまだ五歳だ。法での罰則はないものの、常識的に飲酒は許されていない。誤魔化すために思考を巡らせ、枯れた土地が原因で麦が育たない話を思い出す。


「食料はどこから調達しているんだ?」

「森で山菜や果物が採れますから」

「だがそれだと腹が膨れないだろう?」

「ですのでイーグル領から足りない麦や酒などの食料を運ばせています。魔物の森を抜けるために護衛を雇わなければならないので、価格は他の領地で購入するよりもずっと高いですが……」

「よく不満の声が挙がらないな」

「鉱夫は危険と隣り合わせのため高給取りが多いですからね。それになるべく安くするための努力はしていますから」


 護衛を領軍から採用したり、一度に大量の食料を輸入したりすることで、経費を抑え込んでいるのだと彼は続ける。


 涙ぐましい努力に感謝していると、目的地の領主邸が見えてくる。煉瓦造りの瀟洒な屋敷は、庭先に可憐な花々が咲き乱れていた。


「捨てられた領主の屋敷とは思えないな」

「リグゼ様がお住まいになるのです。丁度、庭師の経験者が求職中でしたので、採用して整備させました」

「仕事が早いな」

「職がなければ領主の不満に繋がります。迅速に対応することで、領民の支持も得られますから」


 リグゼは外からやってきた領主であるため、不満を抱かれやすい立場だ。円滑な領地経営のためにも、領民からの信頼は重要だった。


(人格だけでなく、仕事の面でも優秀な男だな)


 コンキスタの期待以上の能力に満足しながら、庭を抜けて、そのまま執務室へと向かう。執務机と長椅子が置かれた機能的な内装だが、リグゼの嗜好に合致していた。


 二人は長椅子に腰掛ける。コンキスタが指示を出すと、準備していたのか、エプロンドレス姿のメイドたちが紅茶と赤い果実の乗ったケーキを運んでくる。


「旨そうなケーキだな」

「お二人に召し上がっていただきたく用意しました」

「これもイーグル領から運ばせたのか?」

「いいえ、魔物の森で採れた果実と茶葉を使っております。是非、若者の声を聞かせて頂きたい」


 ケーキと紅茶が机の上に並べられる。アリアはケーキとリグゼの顔をキョロキョロと目で往復した。


「お兄様、頂いてもよろしいでしょうか?」

「もちろんだ」

「で、では……」


 アリアは恐る恐るフォークで一口サイズに切ると、口の中に放り込む。何度か咀嚼すると、頬を緩めて、目を輝かせた。


「お兄様、このケーキとても美味しいです! 果実の酸味と甘みが口の中に広がって……あ、紅茶も良い香りで、ケーキによく合います!」


 アリアは屋敷で嫌われてはいたが、食事は公爵令嬢として相応しいものを与えられていた。舌は肥えているはずである。その彼女が褒めるのだから、人気が出るに違いないと確信を持つ。


「ですがリグゼ様。このケーキには課題がありまして……この果実と茶葉が魔物の森でしか採れないのです。護衛を付けることも可能ですが、それでは採算が取れません」

「話が見えてきたな」


 リグゼに魔物を討伐して欲しいと暗に頼んでいるのだと気づく。


「さすがはリグゼ様、話が早くて助かります」

「だが無理だ。森に住む魔物をすべて狩りつくすには人手が足りない」

「それは承知しております。ですから西側の森だけで十分です」

「イーグル領に面したエリアか……」

「生息している魔物が少ない地域ですし、もし魔物を駆逐できれば、果実と茶葉の採集以外にも、イーグル領からの護衛の人件費を削れます」

「領地への恩恵が大きいことは理解できるが……」


 西側の魔物は他の森と比べて弱い魔物ばかりだ。強い魔物との闘いを望んでいただけに乗り気になれない。


「断れないよな?」

「構いませんが、その場合は私が魔物討伐の指揮をとります。その間の事務仕事はリグゼ様に代わっていただくことになります」

「それはつらいな」

「でしょうとも」


 コンキスタはリグゼの教育係をしていたため、彼の性格をよく理解していた。首を縦に振るしかない。


「まぁいいさ。無駄飯食らいは趣味じゃない。領主として魔物討伐を引き受けるよ」

「それでこそリグゼ様です」

「だが無理をするのだから、条件を出させてもらう」

「なんなりと」


 アリアがケーキに夢中になっているのを確認し、コンキスタにだけ聞こえるような声量に抑える。


「俺はいずれアリアをエルド領主にするつもりだ」

「それは難しいかと……」


 領主は誰もが付ける役職ではない。経営権を持つグノムに新しい領主だと認めさせる必要がある。


「難しいのは百も承知だ。だがいずれ俺はイーグル領に戻る。その後窯としてアリアを指名することで、彼女の幸せな結婚に貢献したいんだ」


 貴族同士の婚姻は愛だけで行われるものではない。家柄や財力なども加味される。その際、アリアがエルド領の領主であれば、それは魅力の一つになる。外見に大きなハンデを持つ妹を救いたい、彼なりの優しさであった。


「その時が来たら、グノムの説得に協力してくれ。それが条件だ」

「私はリグゼ様の家臣です。条件でなくとも、喜んで協力させていただきます」

「助かるよ」


 優秀な味方を手に入れたことに満足しながら、長椅子から立ち上がる。


「どこかへ出かけられるのですか?」

「ちょっと一狩り行ってくるよ」


 それだけ言い残すと、執務室を後にする。面倒事は早く片付けるに限ると、魔物の森へと向かうのだった。


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