第八話 七月二十九日

【見て!! これ颯くんが持ってるやつと同じじゃない!?】


 送られた写真を見ると、雪だるまのようなキーホルダーは、確かに体育座りをした僕の置物と同じ体制をとっていた。


【本当だ! 同じだよ!】


 ビックリマークは少し大袈裟かなと思ったが、この方がいいのかなと僕は送信ボタンに触れた。


 すぐにピコンと即返信をスマホが僕に伝えた。


【おそろっちだね笑】


 おそろっちか、そう呟いて僕は時計を見上げた。


「もう行かなきゃ!」


 僕は着替えなおして、スマホを片手に外へ出た。


 静かな夜道を歩き続け、神社前の階段に着く。街灯もなく、一層不気味だった。


 僕は唾を飲み込み、スマホのライトで足元を照らしながら階段を上がり切った。


 うっすらと見える鳥居に一礼をして、僕は神社に踏み入った。


 入り口からカフェの場所へ入ると、土砂降りの雨が大きな水溜まりを作っている。


 走り抜けて出口へ向かい、濡れた靴の裏がおかしな音を立てる中、僕は出口へとあるきつづけた。


 暗闇を抜けると、遠くから蛙の鳴き声と鈴虫の音楽が聞こえる。




 池の周りを見渡すが、誰もいなそうだ。


 階段の方まで歩くと、橋の向かい側のベンチに誰かが足を伸ばして座っているのがわかった。


 傍へ寄ると、月光に照らされる翠さんが僕を見つけて微笑んだ。


「遅刻ですね、颯さん」


 ごめんと言って顔の前で手を合わせると、気にしてないよと言って翠さんは微笑んだ。


 僕は隣に腰かけた。


「この時間に会うの、初めてだね」


 真っ直ぐと池に視線を向けたまま翠さんは口を開く。


「そうだね……ごめんね、こんな時間に」


「ううん、この時間の散歩、結構好きだから」




 橋の上を車が走り抜ける音が聞こえた。


「そういえば、翠さんって、高3だよね? 進路はどうするの?」


 同じ方向を向く僕らは、池を眺めながら話を続ける。


「成績も悪くないし、一応AOで行きたい大学受けて、落ちたら指定校推薦かな」


 スラリと細い足を伸ばして話しているのを見て、同じように足を伸ばした。


「そうなんだ。僕も多分指定校になると思う。お母さんが中学の頃から、指定校だと楽なんだけどねって、ずっと言ってるからさ。どこの大学に行きたいの?」


「んー、Y大学かなぁ」


「そ、そうなんだ、やっぱりすごいね……」


 さらりとハイレベルな大学名を出す翠さんに、若干引いてしまった。


「颯君はどこに行きたいとかあるの?」


「うーん、まだ全然だよ。考えなきゃとは思ってるんだけどね」


「そっか……」




 虫の鳴き声が響く。すっかり夏を感じさせていた。


 橋の上を再び車が通り、道路を走る音が聞こえなくなると、翠さんが振り絞ったような声で言葉を放つ。


「私ね……大学に入ったら、また引っ越すことになると思うの…………」


 少し肩に力が入った翠さんは、勇気を出して話してくれたのだと、訊かずとも伝わった。


「…………寂しくなるね」


 僕が一言だけ、ポツリとつぶやくと、勢いよく僕に身体を向けて、何かを話したそうに見つめる。


 眉頭を持ち上げ、目が少し潤んでいる。


 スッと息を吸って、何か言葉を振り絞ろうとして、ため息が漏れる。


 誰が見ても、悲しんでいる。そんな表情をしていた。


 肩の力がストンと抜け、翠さんはまたベンチに重心を戻す。


 1年、そう言うと、えっ? と翠さんが僕に再び顔を向ける。




「この1年、思い出を作ろう。僕にはまだ2年ある。最後の高校生活、翠さんが良ければ、僕と1年で思い出をたくさん作ろう」


 柄にでもないことを言ったと、自分でもわかっていた。けれど、この選択が正しいと思った。


 翠さんは僕を見つめて、プッと笑った。


「私、来年で死ぬの?」


 捉え方によって、まるで余命宣言を下された人に対して使うような台詞に僕も気づかされた。


「あ、ごめんそんなじゃなくて」


 慌てて弁解しようとすると、翠さんがベンチから立ち上がる。


「ううん。嬉しいよ、ありがとう」


 大きく欠けた月の光を背に、僕に長い髪を見せるように体を傾け、笑顔を見せる。


 橋の上の西欧のような街灯と、池に反射する大きく欠けた月が翠さんを輝かせている。


「じゃあ、次はどこに行こっか?」




 今まで目にしてこなかったような光景に、唖然としてしまった.


「……な、夏祭りなんてどうかな」


「お、いいね! 花火みたい!」


 ちょっと待ってねと、スマホをカバンから取り出し、今年の花火大会の日程を調べた。


「7月30日のだとここから近そうだだよ、あとは近場だと……っていうか30日って明日か!」


「じゃあそこにしよ」


 すんなりと決める翠さんの決断力に驚いた。


「明日だけど大丈夫なの?」


「うん、私は予定ないよ?」


 僕らは詳細を調べて、明日にまた会うことになった。


 話がまとまると、あ、そうだ、と翠さんはベンチに置いていた鞄の中を漁り始める。


「はい、これ。お返し」




 翠さんの手には、僕が前に贈ったキーホルダーの箱がある。


「これ……」


「お返しだよ、開けてみて」


 言われた通り箱を開けると中からは、まるで誰かを抱きしめているようなポーズをとる雪だるまのキーホルダーが出てきた。


「かわいいー!」


 僕よりも翠さんの方が喜んでいる。


「またおそろっちだよ」


「おそろっち……」


 僕はキーホルダーを顔の前で眺めた。


「顔、ニヤけてるよ」


 翠さんに言われて顔を片手で隠した。


「あはは、私が貰ったやつは筆箱に付けてるよ」




 僕があげたもの、つけてくれていたのかとどこか心が晴れた。


「じゃあ僕も筆箱に付けようかな」


「じゃあ授業中も私の事考えちゃうね」


イタズラな笑みで僕をからかう翠さんに、僕はドキッとした気持ちを抑え、強気に出てみた。


「うん、そうだよ。だからつけようと思うんだ」


 翠さんは俯いて目を逸らし、耳まで一瞬で真っ赤にした。


 面白い人だなと思った。


「もうすっかり夜だし、そろそろ行こうか、家まで送るよ」


 翠さんは黙って頷き、僕らは階段を上った。


「ねえ、少し遠回りしてもいい?」


 僕の顔を覗き込み、どこに行きたいのかわからなかったが、僕は了承した。


 翠さんに先導され、僕らは住宅街へと入った。


「私ね、この辺りの家が好きなの」


「家が?」




「そう。この辺りの家はみんな違って、それぞれ個性があるの。それに、このくらいの時間になると外に出る人は全然いないの」


 踊るように右へ左へとテンポよくルンルンでスキップする翠さんの後ろを僕は着いていった。


 すると前からサラリーマンが道の角から姿を現した。スキップをしていた翠さんを見て、少し歩幅が乱れていた。


 翠さんはスキップを止めて僕の横に着く。


「全然人いないんじゃないの?」


 僕が嫌味っぽく耳元で言うと、右肩を叩かれた。


 両手で顔を隠している翠さんを見て、僕はお腹を抱えて笑った。


「笑わないでよ!」


「ごめんごめん、完璧なおちだったから」


 どこかの家の中から子どもたちの笑い声が漏れている。


「僕も住宅街とか、人が住んでいるところが好きなんだよね。知らない町でも、誰かの地元なんだなって考えると、どんな家にも物語があるんだなって」


「わかる。すごくわかる。なんか建設会社のCMみたいな台詞だったけどすごくわかる」


「馬鹿にしたでしょ今!」




 あはは、さっきのお返しだよ、そう言って駆け出す翠さんの後を追った。30mほど走って、僕は追いついた。


 一瞬だけ走っただけなのに、翠さんの息が少し上がっている。


「息切れ早くない?」


 笑いながら言うと、結構走ったよね? と問い返された。


「翠さん、部活は? 運動とかしてこなかったの?」


 呼吸を整えながら間を開けて答える。


「うん……中学校も高校も……勉強ばっかりだったから」


 膝に手を乗せて休む翠さんは、一度大きく深呼吸をし、息を整える。


 僕らは再び歩き出した。


「颯君はどうなの? 今まで部活とかは?」


「部活は中学校でテニス部に入ってたよ」


「そうなんだ、軟式?」


「ううん、硬式だよ。僕の中学校、なぜか公立なのに硬式テニス部があったんだ」


「そうなんだ、珍しいね」




 生温い夏風が僕らの背中を優しく押した。


「今は?」


 翠さんの一言に、僕は思い出を読み返すように空を見上げた。


「高校では、テニス部に入って、半年くらいで辞めたよ」


「ふーん、そうなんだ」


 僕は思い出を掘り返されると思っていたが、意外にもそれ以上は訊かれなかった。


「訊かないの?」


「え? 何を?」


 キョトンとした顔を向けられた。


「大体この話を誰かにすると、どうして辞めたのか訊かれるから……」


「あーなんだ、そんなことね」


 そういうと、翠さんはまた進行方向に顔を戻す。


 遠くで名も知らぬ虫がジージーと鳴いているのが耳に入る。




「何かを辞める理由で、ポジティブな理由なんてあんまりないじゃない。引退する人だって、本当は続けたくても歳や環境という壁が理由だし、ましてや中学校で続けてきたのに、高校生の途中で辞めちゃうなんて、あんまり訊かれたくないことが原因そうだし」


 翠さんを改めて年上の女性だと認識した。


「大人だね、翠さんは……」


「まあ、一応高3だしね」


「スキップするけどね?」


 呆れた顔をして、笑いながらまた僕の肩を叩いた。


「ていうか、自分から訊かないの? なんて言うってことは、本当は訊いてほしいんじゃないの?」


「……そうなのかな」




 じわじわと笑い出す翠さんに僕も笑ってしまった。


「で、どうして辞めちゃったの?」


 視界に僕の靴と地面が映る中、嫌な思い出を振り返り、翠さんになら話しても良いのだろうと、心の中で呟いた。


「中学校から硬式テニスをしている人なんてそうそうにいなくて、僕は変に周りから期待されてて……」


 翠さんは一度だけ頷く。


「それがプレッシャーになって、期待通りの結果も出せず、変な噂まで流されるようになって……」


 僕は話を続けた。


「いつの間にか、僕に期待を持つ人はいなくなってたんだ。だから僕は居づらくなって、辞めたんだ」


 この話をしたのは初めてだった。いつもは適当に練習がきつかったとか、顧問が嫌だったとか嘘をついていた。そしていつも拒絶するような視線が返ってくる。


 僕はまたも自分の心の傷に塩を塗ったような気分になった。


 自分で話しておきながら、馬鹿だなと思った。




「なんだ、良い話じゃん」


 あっけらかんとする翠さんに言葉が出なかった。


「だって、そんなことで離れる人なんて、元々近寄るべきじゃないよ。環境によって人は変わるんだから、無理するよりも離れるが勝ちだと思うよ」


 全てが認められた気がした。


 今までの頑張りや、部活への想い、生き方すらも、初めて他人に救われたようだった。


 目頭に熱が籠る。


 何も言わない僕に、翠さんも黙ったままだ。


 揺れる花柄のスカートと麦わら色のサンダルが僕の視界に入り込んできた。


 目を袖でこすり、ありがとうと翠さんに感謝した。


 翠さんはふふっと笑い、花火大会楽しみだねと話を変えた。


「そうだね。花火大会なんていつぶりだろう」


「そんなに前なの?」




 指で数を数え、最後の花火大会に行った年を思い出した。


「5年くらい前かな」


「じゃあ小学校6年生くらいの時?」


「うん、確かそう。確かその日は姉が連れてってくれたんだ。妹と三人で行って……」


「美月さん?」


 姉の名前を口にされ、僕の中で一瞬だけ時間が止まったように固まってしまった。


「……どうして名前知ってるの?」


 慌てるように口を手で隠す翠さんに僕は追って質問する。


「名前、言ったっけ?」


 動揺を隠しきれていない翠さんが口元から手を遠ざけた。


「う、うん、言ってたよ。忘れたの?」


 いや、絶対に言っていない。僕は人と話したことは大体覚えていた。ましてや家族名前など、ほとんど人に言ったことは無かった。




 どうして翠さんが姉の名前を知っているのか、頭の中で様々な思考が廻った。


 どこかの家で風鈴がチリンチリンと風を呼ぶ音がする。


 今ここで問い詰めるべきなのか。しかしそうなると今後翠さんと関わるのは難しくなるだろう。


 僕は悩んだ末、何も言わなかった。何も言うべきではないと思った。


 気がつくと、道路を挟んだ向かいに翠さんのアパートが見えた。


「ここで大丈夫だよ。ありがとう、ここまで来てくれて」


「ううん。楽しかったし、こちらこそありがとう」


 僕は信号のある交差点まで翠さんを見送り、手を振ってその日は解散した。


 帰り道、静かだった街は、なおも静けさを感じさせた。


 虫の鳴音と生暖かい空気、コオロギが草陰で叫んでいる。




 一人になると、寂しさが心を襲った。


 夏草の飛び出す歩道を、ゆっくりと足音もたてずに歩いていると、ようやく橋が見えてきた。


「疲れた……」


 一往復だけで30分以上も歩いた為、僕の口から自然と言葉が漏れた。


 帰ったらすぐに寝よう、そう考えると、大地のことを思い出した。


「そうだ、連絡してないや」


 夏休みに入ったら連絡する約束だったのだ。


 僕は橋の前で立ち止まり、夏休みどうする? とメッセージを送った。


 スマホをポケットにしまい、僕は月を見上げた。


 夜空に浮かぶ欠けた月は、クレーターもはっきり見えるほど輝いている。


 僕はこの場に背を向けてカフェの場所へ向かった。ポツポツとだんだん雨が降り始め、カフェの場所に着くと土砂降りだった。




 僕は走ってこの場を抜け、地元へと戻った。


 夜の神社はとても不気味で、一刻も早く帰ろうと思った。恐怖を抑え、鳥居を抜け、振り返って一礼した。


 鳥居を抜ける場合は必ず一礼をしろ、これは父の教えだった。


 僕は街灯のない階段をゆっくりと降った。月光だけが頼りだった。


 階段を降り終えると、僕は走って家まで帰宅した。


 徒歩で10分かかる道を走り切ると、流石に息切れをした。


 そのまま家に入ると、呼吸が乱れ、汗を流す僕を見て母が驚きを口から出した。


「どうしたの!? 汗びっしょりじゃない!」


「走って……帰ってきた……」


 部屋から着替えを持って僕はそのままお風呂で汗を流した。


 急いで脱衣所を出て僕はまっすぐ姉の部屋に向かう。


 扉をノックすると、はーいと中から聞こえ、扉を開けると、ベッドでうつ伏せの状態でスマホをいじっている姉に僕は問いかけた。




「ねえ、翠さんって人知ってる?」


 美月は振り返り、僕の顔を見て問い返した。


「ミドリさん? 誰?」


 妥当な反応だ。同い年でもなければ、住んでいる地域も違いすぎる。


「苗字は?」


 僕は答えようとして、言葉が出てこなかった。


「そういえばあの人の苗字……知らないな……」


「もしかしてあんた、苗字も知らない女の子に恋してるの!?」


 目を見開いて驚く美月に慌てて弁解した。


「だから好きじゃないって。ただの友達だよ」


「友達なら苗字は知ってるでしょうが」


 言い返す言葉が見つからなかった。


「あんた、騙されてないよね?」


 美月の鋭い一言に、顔が強張った。


「自分のことをあんまり話さない女には気をつけな」




 その一言で、僕は再び心にポッカリと穴が空いたような気持ちだった。


 もうこれ以上傷つくことはないと思っていたのに、僕は何かに期待をしていたのだと気付かされた。


 部屋を出て自室に戻り、半信半疑で翠さんに連絡を入れた。5分も経たずにスマホが鳴りかえされた。


【苗字? 牛嶋だけど? 言ってなかったっけ?】


 隠すこともなく送られてきた。


 そのまま返事もせずにすぐ美月の部屋へ戻った。


「牛嶋らしい。知ってる?」


 ノックもせずに開けると、驚いた美月がビクッと身体を震わせた。


「びっくりしたぁ……。牛嶋?」


 うーんと唸りながら思い出そうとする美月におもわず急かしそうになる。




「あ!」


「思い出した?」


 答えが聞けるかもしれないという期待とは裏腹に、その答えは大雑把で期待外れだった。


「むかーしどっかで聞いたことがあるような。けど牛嶋ミドリさんは知らないかな。ごめんよ冴えない姉で」


 身体の力が抜け、僕はありがとうとだけ言って部屋へ戻った。


 ベッドの上へ飛び込み、大地と翠さんと少しだけ連絡を取って、僕は夢の中へ潜った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る