6-5 新興住宅地
『もしもし?』
「田沼さん!」
電話の相手先は、僕が信じる大人のひとり、田沼雄二だ。
『どうした、こんな時間に』
「里奈と、里奈と連絡がつかないんです!」
『なんだって?』
「LINEを送っても既読が付かないし、電話も繋がらないんです!」
『ちょ、ちょっと落ち着いてくれ。状況が把握出来ない。ちゃんと説明してくれ』
「は、はい。この時間いつも里奈とLINEで連絡を取り合っているんですが、一向に返信が来なくて、電話をかけてみたんですが繋がらないんです」
『風呂にでも入ってるんじゃないのか?』
田沼はありきたりな返事をした。違う、そうじゃない。彼女と毎日連絡を取り合っていたんだ。その僕が違うと断定できる。きっと彼女に何かが起こったんだ。
『家の方にかけてみたのかい?』
「え、い、家? ……家の番号を知りません」
『全く……君はそういうところが抜けているな。良いか、言うぞ』
田沼は至って冷静だった。それから田沼は里奈の家の番号を僕に伝えた。そうかスマートフォンが繋がらないなら、自宅に電話をかければよかった。スマートフォン世代の僕では、考えつかない話だ。
『この時間カウントダウンが動き出す可能性は低い。けれど万が一の可能性もある。念のため安否を確認してくれ』
「はい、ありがとうございます」
井上に聞いた話が頭を過る、僕の祖父織部健一郎と祖母の芳子は、日中にも関わらず強盗に押し入られた。絶対に安全なんて存在しない。
田沼に礼を言い、先程聞いた電話番号に電話をかける。
数回のコール音が鳴った後、里奈ではない女性の声が聞こえた。
『はい、沢口です』声の主は里奈の母親だった。
「あ、あ、あの。僕、織部です」
『あら、織部さん。毎日うちの子と親しくしてくれて本当にありがとう』
里奈の母親は様々な言葉を並べ僕に感謝を伝える。そんなことはいいんだ。僕が好きでやっていることだから。それよりも里奈はどこに居る。そこに居るのか。それだけ聞ければいいんだ。
「あ、あの、里奈さんはそこに居ますか⁉」
『え? 里奈?』
「は、はい‼」
……。
…………。
少しの間、なんだ。なんなのだ、その間は。
『先ほど、望遠鏡を担いで出かけましたよ?』
「え……」
『久しぶりの星空なのでと言って。うちのショコラも一緒に』
なんだって⁉
こんな時間に外に出掛けただと!
『近所に星が良くみえる高台があって、たぶんそこに行ったんじゃないかしら』
「て、天体観測に行ったって事ですか⁉ 一人で⁉」
『ええ、夜も遅いし、止めたんですけどね。ほら、あんなことがあってまだ日も浅いし。まあ近所だし、すぐ戻って来るって言っていましたので、それなら大丈夫なのかなと。もう少ししたら帰って来ると思いますが……』
なんてことだ、久しぶりの晴れ間を喜んでいたのは、何も僕だけじゃない。里奈も同じなんだ。夜遅くだから外出などありえない、そんな事は無かった。短い晴れ間でも星空を観に行くほど、彼女は星が好きなんだ。
唇を強く噛み締め、電話を切る。
僕は電車に飛び乗り彼女の元へと急ぐ。嫌な予感がする。
どうか、杞憂であってくれ。
僕を乗せた電車がゆっくりと動き出す、それはまるで兎を背に乗せた亀さながらに、ゆっくりとゆっくりと動く。こんなに電車って遅かったのか?
イライラが治まらない、僕がこうしている間に、もし里奈のカウントダウンが始まっていたとしたら……。
確か文化祭で動き出したときは、残り十八時間、そこから驚くべき速さでカウントダウンが進み、十時間を切りそうになっていた。もし点滅状態が解除され、また加速度的に進んでいたとしたら……。そう考えると居ても立っても居られない。ゆっくりと動く電車の車内の中で僕は再び唇を強く噛み締める。こんなに強く噛んだら血が出てしまうのではないか。
その間にもLINEで里奈へ連絡を送る、どうして既読さえ付かないんだ。何をしているんだ。まさか、まさか。最悪の事態が僕の脳裏を駆け巡る。
いや、天体観測に夢中でスマートフォンに気づかないだけだ。きっとそうだ。そうであってほしい。
電車が到着し、僕は開かれた扉から脱兎のような駆け足で改札へ急ぐ。ICカードをタッチし外に出た。
肝心なことを忘れていた。里奈の居場所だ。母親の話では『高台』と言っていた。里奈の家は閑静な住宅街にある、しかし近年土地開拓を行われた新興住宅地で、まだ若干ながら自然が残されていた。建物は低く新しい、それに高級マンションなどは存在しない。あってもせいぜい三階建てのアパートぐらいなものだ。
僕は駅に隣接した案内板を見る。もちろん案内板を見ても高台などは記載されていない。
考えろ、考えるんだ。彼女はすぐ帰ると言っていた。それに佐藤のような事件に巻き込まれて、さほど時間は経過していない。それなら遠出はしないし、家の近くに居る可能性は高い。
高台。家から近く天体観測に適した高台。人が多かったりすると集中出来ないし、街灯が少なかったりすると、それこそ危険だ。
そんなとき、握りしめていたスマートフォンがブルブルを震えた。
里奈か⁉
いや違う、田沼からの電話だった。
『もしもし』
「田沼さん」
『どうだ? 彼女は家に居たか?』
「いえ、どうやら天体観測に出掛けたとのことです」
『なんだと』田沼が珍しく大きな声をあげる。
「いま、彼女の家の近くに居ます」
『探すんだ、俺もそっちに行く』
「はい、でも田沼さん、里奈の居場所がわからなくて……」
『ご両親は何か言っていなかったのか』
「高台へいくと言っていたそうです」
『高台……? そこは閑静な住宅地だぞ。高台なんて……ああ! わかったあそこか!』
「どこですか⁉」
『彼女の家の近辺を調査したときに見つけた高台の公園だ! そこに居るに違いない! 駅の反対方向に歩いて十五分ほど行くと高台がある。そこは小さな公園になっていていくつか遊具が置かれていたんだ』
そうか!
以前に僕のこの近辺を散策したことがある、彼女の外的要因を探し把握するために。そのとき見つけた高台の公園。駅からも離れているし、歩いていくには少し遠い。危険な感じはしなかったため、そこに居る可能性を考えていなかった。
そこだ、そこに里奈はきっと居る。
そうとわかれば話は早い。彼女の家は歩いて十分程だが、走れば五分とかからない。そこから歩いて十五分なら、走れば十分ぐらいで着くだろう。
『井上さんにも連絡をしておく。良いか気を付けるんだぞ、俺もすぐそっちに向かう』
田沼はそういうと通話を切った。僕はそのままスマートフォンを握りしめ走る。
駅前を抜けるとすぐに一軒家が立ち並ぶ住宅地となった、すれ違う人々は疎らで、皆自宅へ向かって歩いているのだろう。そこをすり抜けながら走る。走り出してすぐ心臓の鼓動が早まり、額から汗が流れ出す。秋の夜、吹く風も冷たい。気温がグッと下がり吐く息も少し白い。
マラソンのように『はっはっ』と息が漏れる。
いやこれはマラソンというより全力疾走に近い。普通マラソンは疲れないようにある一定の速度を保ったまま走るが、これは違う。太ももや脹脛の筋肉がピクピクとし出した。準備運動をしている暇など無かった。明日は激しい筋肉痛に悩まされることだろう。やれやれ、運動不足がこんなところで影響を及ぼすとは思ってもみなかった。
最短ルートを把握していれば、こんなに疲れる事は無いはずだが、あいにく僕にそんな心の余裕は無い。ただ走る、全力で走る。
走り出して数分で里奈の家を通り過ぎる。彼女はここに居ない。もし居てくれるなら、徒労であるならそれはそれでいい。とにかく高台の公園を目指す。いまはそれしか無いと思えた。
走り出してどれぐらいが立っただろうか、目的地である高台が見えて来た。
住宅地の中にポツンと現れた高台、僕は息を整えそれを見上げる。高さはどれぐらいだろうか、三階建て、いや四階建ての建物ぐらいありそうだ。コンクリートに補強されてはいるものの、長雨の影響によりところどころ水が川のように流れだしている。水にも泥が混じり靴を汚した。
さすがにここをよじ登る訳には行かない。僕は高台をぐるりと回り込み公園へと行く道を駆け上がる。
坂道を登るにつれて景色が段々広がり、雨に濡れた木々が増えて来た。時折吹く風が僕を冷やし、木々から垂れる雨漏りが身体を濡らした。
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