6-6 アルデバラン

 坂道を駆け上がり、目的の場所を目指した。徐々に景色は開け、木々に隠れていた満天の星空が見えた。きっとここだ。里奈はきっとここに居る。

 僕は息を切らしながらも高台の公園に辿り着いた。公園は思っていたより広く、入り口付近には小さな遊具、砂場などがある。奥にはベンチがいくつか並び、街灯の灯りがぼんやりと公園を照らしていた。公園の近隣には建物の姿は無く電線も無い、こんな住宅地のど真ん中に絶景のスポットがあるなんて誰が思ったであろう。星好きがここを天体観測の場所に選ぶのは必然と言える。

 唯一の欠点と言えば空気が澄んでいないのか、星が全体的にぼんやりしており、ハッキリ見る事が出来ない。

 いや、のんびり星空を眺めている場合ではない、僕は周囲を見回し里奈を探す。公園の入り口はやや高い木々に囲まれているため、天体観測を行うことは無い。きっと奥の方にある広場に居るに違いない。僕は歩みを進め、高台の先端にあるベンチを目指した。


 居た!

 里奈だ。

 高台の先端にあるベンチのすぐ隣で、彼女は天体望遠鏡を覗き込んでいる。

 白のカーディガンを羽織り、ラフな格好の彼女が居た。いつもは後ろ髪を纏めているが今日は下ろしている。彼女の足元には沢口家のペット、ミニチュアダックスフンドのショコラが尻尾を振り彼女の周りをぐるぐると走っている。その隣には赤い自転車がある。自転車なら何かあればすぐ戻れるし、重い天体望遠鏡を背負って移動するのも苦ではない。

 彼女は天体望遠鏡を覗き込んでいて、僕がここに来たことに気づいていない。僕はゆっくりと歩みを進め、彼女に近づく。

 忌々しいオレンジ色のデジタル表示が『99:99』とみえる。良かった、彼女のカウントダウンは未だに点滅状態だ。


「くーん、くーん」


 僕の姿に気づきショコラが僕の足元に駆け寄って来た。ショコラは僕の足に自らの頭を擦りつけ甘い声を奏でた。僕はその場にしゃがみ込みショコラの頭を撫でる。ゴロゴロと喉を鳴らす。おいおい、それは猫の仕草だろう。これ犬もするのか、知らなかった。

 主人の危機を察知し、佐藤に噛みついた時は大した忠犬だと感心したが、その面影はなく、こうしてみると本当に可愛らしい愛玩動物だ。頭を撫でると次はこっちを撫でてと身体を摺り寄せてくる。

「はッはッ」とショコラが舌を出しながら僕をくりくりとした瞳で見つめてくる。なんだ、餌でも欲しいのか。残念ながら僕は何も持ってないぞ。


「ショコラ、どうしたの?」


 天体望遠鏡を覗き込んでいた里奈が、足元にショコラが居ない事に気づき、僕の方を向いた。


「な、直斗……」

「里奈」


 僕は息を整え、里奈に向き合った。全身びっしょり汗をかいていたし、正直、秋の風が身体を冷やしている。けれど、彼女の無事な姿を見られた瞬間、僕の心は満たされほんのり温かくなった。


「ど、どうしてここに?」

「え、え、えーと」


 まずいな、それを全く考えていなかった。

 君が心配で駅から走って来たとでも言うか? いやそれこそまずいだろう。里奈との距離は大分縮まったとはいえ、彼女は未だに僕が『みえるひと』であることを受け入れてくれている訳ではない。

 何と答えればいいのか……。参ったな、僕はただ彼女の姿を見た事で頭が真っ白になっていた。


「また私の寿命でもみえた?」

「えっ」


 里奈のその言葉に驚き、僕は言葉を詰まらせた。


「それとも、私を守りに来てくれたの?」


 その通りだ。僕は君が心配で駅から全力疾走してきたんだ。お陰で寒いし、足だって既に筋肉痛でガクガク震えている。


「そうだよ、君が心配で駆けて来た」

「そう」


 里奈はそれからなにも無かったかのように、再び天体望遠鏡を覗き込んだ。

 彼女の表情はいつもと変わらない、僕に対して怒っているようにも見えないし、憐れんでいるようにも見えない。一体何を考えているのだろうか。


 里奈の綺麗な横顔をもっと近くでみようと僕は隣にある木製のベンチに腰掛ける。

 ベンチは先ほどまでの雨で濡れており、じんわりとお尻が冷たくなる感覚が襲ってきた。まぁいいか、どうせ汗で下着までぐっしょり湿っている。今更どうってことはない。


「……」


 僕は少しの間、里奈の横顔を眺めた後、高台から住宅地を見下ろした。目の前には煌びやかなネオンが広がっており、千葉の夜景が燦燦と輝いている。人々が造り出した光。家の灯り、車のライト、街灯、店の照明、実に様々。暗闇の中で光り輝く人工的な灯り。それらひとつひとつが人の命のようにもみえる。いや、さすがにそれは言い過ぎか。でもこれはこれで気持ちが良いものだ。

 街の煌めきを堪能し、僕は空を見上げる。

 そこには満天の星空、犬吠埼灯台でみたときと同じだ。多少見え方は違うけれど、これはあのときみた星空と同じだ。南の空、小さく輝くペガスス座。そこから目線を動かすとアンドロメダ座、ペルセウス座。どれも天文部で学んだ星座だ。

 秋の星は明るい星が少ない、肉眼ではなかなか見つけられない。彼女が天体望遠鏡を持参したのも頷ける。もっとはっきりこれらが見えるなら、本当に綺麗だろうと思う。


 僕は彼女に教わった星座を思い浮かべる。

 秋の星座は古代エチオピアの王女アンドロメダをめぐる物語や神話が語られている。それらも君が教えてくれたんだ。

 アルフェラッツ、アルゲニブ、シェアト、マルカブ。この四つが秋の大四辺形なのよ、君はそう言った。最初は舌を噛みそうなその名前を覚えられず、何度も聞き返していた。その度、君は嫌な顔一つ見せず、優しく教えてくたね。

 でも私は夏の大三角形が好きだけどね、と少し照れながら言っていたね。

 僕にとって君は本当に特別な人になったのは、あの瞬間からかもしれない。


「秋の大四辺形が綺麗」


 里奈が僕を一瞬だけみてほほ笑む。そして里奈は天体望遠鏡から視線を外し東の空を見上げた。

 月並みだけど、君も綺麗だよ、と僕は思った。

 彼女は三脚を掴み天体望遠鏡を持ち上げる。僕を通り過ぎ高台の木の柵ギリギリまで移動した。


「アルデバランも観たい」


 この時期、おうし座のアルデバランは東の空の下方にある。赤っぽい星がそれだ。その少し下方には有名なベテルギウス、リゲルも見える。これららは一等星だから肉眼でも見える。アルデバランには冬のダイヤモンドという一等星を六つ繋ぐ冬の星座がある。

 まだ秋なのでその全容は見えないが、もう少し季節が進めばそれが見えるだろう。

 冬のダイヤモンド、なんて綺麗な響きだろうか。

 僕は優しく彼女を見つめ、少しほほ笑む。これからもずっと一緒に居たい。そう願った。何度でも観に行こう、犬吠埼灯台にも行こう。そして一緒にこうして星を眺めよう。

 神様が定めた運命なんて僕が変えてみせる。絶対に君を死なせたりしない。


 そんなとき、突然ショコラが吠え出した。

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