6-3 秋霖雨

 振替休日が明けた次の日も、その次の日も長雨は続いている。

 これが秋の長雨というやつか。僕はリビングで朝の身支度を整えていた。

 テレビの向こう側では、今朝の天気予報も雨マーク、お天気お姉さんが薄手のコートを羽織りながら、傘を片手にそれを告げていた。

 確かに雨が降り続いて気温がグッと下がった気がする。文化祭の最中は額に汗を垂らしながら作業に没頭していたが、それでも日差しが出ている間は暖かったし、朝晩が寒いと思えた程だった。それがわずか数日でこんなに寒くなるとは思わなかった。

 毎年、こんなに急に寒くなったかな? と少し疑問を抱く。天気予報のお姉さんが例年並みだと言って不思議に思った。やれやれ去年の僕も案外当てにならないなと家を出た。


 お気に入りの紺の傘を差し駅まで歩く。これは今年の梅雨入りの際に購入した大切な傘だ。色もデザインも個人的に気に入っていたし、値段の割に丈夫で、これを差せるなら、秋の長雨も悪くない、そう思えた。

 駅に到着し電車に乗る、毎日のルーティンワーク。目指すは里奈の家。元々僕の自宅は高校から歩いて行ける距離だが、毎朝里奈を迎えに行き、学校が終われば彼女を家まで送り届ける。傍から見れば仲の良い高校生カップルに見えるのだろうか。

 電車が駅に到着し、里奈の家まで歩く。彼女が天文部の副部長になり文化祭実行員になってからすれ違う日々が続いていたが、これでようやくいつもの日常が戻って来る。

 アレさえ止まれば、本当の日常だ。

 彼女の家の前まで歩きインターフォンを鳴らそうと手を近づけると、玄関の扉が開かれた。扉から里奈の姿と、ミニチュアダックスフンドのショコラが尻尾を振っていた。

 ショコラはいつも元気そうでなによりだ。ショコラの姿に少し癒される。僕は笑顔で里奈に朝の挨拶を送る。


「おはよう」

「おはよう」


 何も変わらない、何も変わっていない、ありふれた日常。いつも通りの朝だ。彼女の頭上のアレ以外は。オレンジ色のデジタル表示。それはまだあった。そしてソレは依然と変わらず点滅状態だ。

 僕は何食わぬ顔で里奈と会話を続ける。


「ずっと雨だね」

「うん」

「こんなに降ったら日本中が水浸しになっちゃうよ」

「まさか」


 何気ない会話。そう、これでいい。決して視線を上げてはいけない。彼女の顔を見ろ、彼女を見るんだ。伝わるかい里奈、僕はずっと君を見ているんだよ。

 この気持ちは嘘じゃない。大好きだ、君が大好きなんだ。君を失うなんて、そんなことあっちゃいけない。

 そんなこと僕は許さない。僕の命に代えても君を救う。


「昨日のドラマみた?」

「ううん」

「面白かったよ」


 普通の会話。これでいい。普通こそが幸せなんだ。僕の人生はずっと異常続きだ。だからこそ普通に憧れる。誰もが手に入れられるものすら僕には手に入らない。

 すれ違う人の寿命がみえるなんて、普通の人生じゃない。

 いっそのこと両目をずっと閉じて生活すれば、普通の幸せは手に入るのだろうか。でもそれじゃだめなんだ。守りたい人を守れない、救いたい人を救えない。

 文化祭二日目のあのとき、里奈を間一髪救ったあのことは、この力無しで成し遂げることは出来なかった。そのせいにまた彼女の反応が冷たい。

 いいさ、嫌われたって構わない、避けられたって構わない。

 僕は守るんだ。僕は救うんだ。愛する里奈を。

 自己満足でも何でもない、これは神に与えられた僕の試練、僕の運命なんだ。

 逆らってやる、その運命に。


 学校へ到着し、僕らは自分たちのクラスに向かう。午前中の授業も平穏に終わり昼休み。里奈からLINEがあり視聴覚室である部室へ来てほしいとのこと。疑問に思いつつも昼休みを一緒に過ごせるのは久しぶりだ。僕は少し興奮を感じつつも平静を装い視聴覚室へ向かった。

 視聴覚室に到着し扉を開く。いつもの視聴覚室。机と椅子が綺麗に並べられており、黒板も綺麗に掃除されている。当たり前だ。文化祭が終わって最後に片付けたのは僕ら天文部の生徒だ。

 視聴覚室の中は灯りが消えており、少し暗い。窓際の席に一人の女子生徒がチョコンと座っている。他の生徒は見当たらない。僕とあの子の二人だけの空間だ。

 近づきその女子生徒を確認する。後ろ姿からでもわかる。里奈だ。

 里奈は振り返り少しだけ笑顔を見せた。


 黒いセミロングの髪に紺色の制服が本当に良く似合っている。彼女と同じクラスのギャル子さんなんかより遥かに可愛い。目鼻立ちが整った顔、吸い込まれそうになる黒く大きな瞳、少しだけうっすらとピンクに色づく唇。そのどれもが僕を夢中にさせる。


「今日は雨だから、ここで食べようと思って……」


 里奈はそういうと少し頬を赤らめ窓の外を指さした。

 ああ、そういうことか。確かに机の上にはカラフルなランチバッグが二つ綺麗に並んでいる。


「ここでお弁当食べるって、ちゃんと先生の許可は貰ってる」

「うん」

「……。あの、ごめんなさい」

「え?」


 里奈が突然うつむき、僕に謝罪の言葉を述べた。


「あの……この前助けてくれたでしょ。なのに私ったらちゃんとお礼言ってなくて……」


 僕は彼女の顔をみて、静かにそれを聞いた。


「二度目……二度目なの。直斗が私を助けてくれたのは。なのに私は冷たい態度とって。ちゃんと見てくれているんだよね私の事。いつもいつも直斗に私守られていたんだね。本当にありがとう、なお――」


 僕は最後の言葉を聞かずに彼女を抱きしめた。そして彼女の唇にそっと自分の唇を押し当てた。


「んんっ」


 長いキス、里奈の唇は甘く、温かく、柔らかった。里奈の吐息はとてもいい匂いがして、頭がくらくらするほどに、官能的だった。


「里奈」

「なお……と」


 ゆっくりと唇を離すと、とろけたような甘い表情を浮かべる里奈。

 僕は涙を堪えつつも彼女を再び抱きしめ、唇を何度も奪った。

 学校でこんなことをしていいはずがない、けれど湧き上がる衝動をどうしても抑えきれない。わかってくれた。わかってくれたんだ。僕はずっと君を見ていたんだ。

 、君は覚えていないだろうけど、入学式の部活紹介で初めて君を見かけたときから、ずっと君に夢中だったんだ。天文部に入部したのも、星に興味が会った訳じゃない、君に興味があったんだ。不純な動機だけれど、僕にとってはとても大事なことだったんだ。


 ◆◆◆


 視聴覚室の窓に雨粒があたる、秋の長雨。雨粒自体は小さいものの、それは決して強まる事も弱まる事も無く、文化祭の夜からずっと降り続いている。

 以前に国語の授業で習ったことがある。こういう長い雨の事を「秋霖雨あきりんう」と表現した。雨の季語と呼ばれるものだ。こういう美しい表現は日本語ならではだ。本当に美しい。

 雨は良い。意外かもしれないけど僕は雨が好きだ。世界を水で洗い流してくれる。そんな気がしてならない。そこでたまった嘘も罪も、綺麗さっぱり。

 小さくコツンコツンと雨粒が窓ガラスを打つ音、これも好きだ。不規則な間隔で奏でられるその音は、どこか心を落ち着かせる。その音に混じりサーッというホワイトノイズが聞こえる。様々な音が僕ら二人を包む。

 僕は優しくそして少し強く彼女を抱きしめた。髪を撫でる。さらさらとした手触り、一本一本が細く艶やかで滑らかな髪の毛。


「直斗」

「うん?」

「そろそろご飯食べよ? お昼休み終わっちゃう」

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