5-8 色なき嵐

 車内にはあの残り香が漂っていた。煙草独特のあの匂い。それが鼻をつく。

 しかしいまはどうだっていい、煙の臭いが身体に付着しようと構わない。一番聞きたくない言葉を、信用しようとしていた大人から言われた。何度も裏切られ、何度も病人扱いされた。それでもやっと見つけた二人目の大人。その人がいま、僕を失意の底に叩き落とした。

 その井上から聞かされた『運命の強制力』という言葉、それを聞くのはこれで二度目だ。田沼さんのお見舞いに行った日、里奈のカウントダウンが点滅し出した日に、彼の口から聞かされた。


「な、何故ですか」

「そこまでは私にはわからん。それ以上健一郎さんは語らなかったし、当時の私も若かった。適当に相槌を打ってその場を去ってしまった。いまでは後悔しているよ。もっと真剣にきいておくべきだったとね」


 アルバートと祖父の二人『みえるひと』が言った同じ言葉。これは偶然なのか。

 それにどういう意味だ、他人の運命は変えられないとでも言いたいのか。そんな事は無い、現に僕らは里奈の運命を変えた。

 しかし――。


「直斗君」

「あ、はい」

「まさかとは思うが、何か思い当たる節があるのか」

「……」


 僕は悩んだ、いままでの事を井上に打ち明けるべきか。巻き込むべきか。

 きっと井上は信用出来る、頼れる大人がひとりから二人になったのだ。それが得られただけでも僕にとっては有難いことだ。

 さらに言えば、祖父との面識もある。もしかすると僕にまだ伝えていない、祖父の言葉があるのかもしれない。正直、僕と田沼ではあの点滅現象の謎も解けていない。

 そしてその運命の強制力という謎も未だにわかっていない。


 僕は悩んだ末、いままで起こったすべてを井上に話すことにした。


「井上さん、今日の夜空いていますか?」


 井上と別れた僕は視聴覚室へと戻る。里奈は少し機嫌が悪くなっていたが、木村という刑事が僕に話があると伝えてくれたので、そこまで怒っている様子は無かった。

 彼女のカウントダウンをまたチラリと見る。未だに点滅状態、変わっていない。安堵と不安が入り混じった謎の感覚を覚えた。しかし早く点滅の謎を解明しなければならない。僕は焦っていた。


 視聴覚室に戻った僕は真壁部長の指示に仰ぐ。

 二時半の回は既に終わっており、教室の中は天文部の生徒のみ。僕らは五分ほど休憩をした後、後片付けに入る。僕ら一年生はそれぞれの担当に分かれて視聴覚室に貼り付けていたポスターを剥がす。二年生と三年生は自主製作したプラネタリウムの解体だ。

 プラネタリウムのドームは二つのパーツで構成されており、照明部分の投影機本体とそれを映し出すドーム・天幕部分だ。天幕の部分は二年生が担当し、括り付けていた金具を外し、白いビニールを折りたたんで終わる。

 一方の本体は三年生が担当した。僕らのプラネタリウムは、リスフィルムと呼ばれる写真撮影で使用される特殊なフィルムを利用したピンホール式の物なので、実際真ん中にあるハロゲン電球のメンテナンスを行うだけで終わる。このハロゲン電球の光を投影機表面のリスフィルムに造った穴(ピンホール)に通し、外側のドームに投影する簡単な仕組みだ。ハロゲン電球は非常に照度が高いが、熱を持ってしまうので火傷に注意しなければならない。

 十分に冷えた事を確認した三年生は外側のリスフィルムを取り外す。これは何度か使う事が出来るので、投影機と一緒に視聴覚室の部室倉庫にしまわれた。


 ポスターを剥がし終わった僕ら一年生は部室で出たゴミを回収し、何度か焼却炉を往復する。そして備え付けの箒と塵取りで細かなゴミも残さず集めていく。ここは僕らの部室だ、今後も綺麗に使いたい。こういうことを疎かにしてはいけないのだ。


 そんな作業の合間にも僕は先ほど交わした話を思い出していた。

 ただのいけ好かない大人だと思っていた井上が、良き理解者になってくれるとは思ってもみなかった。その井上が話してくれた、祖父の真実、隔世遺伝。そして運命の強制力には逆らうなという謎の言葉。今日は里奈を家まで送ったら、すぐに田沼と合流しよう。出来れば井上も交えて情報を共有したい。

 田沼はこちらに来ると言っていた。また里奈を家まで送ってくれるかもしれない。その後、僕の家に井上を呼び、そこで話そう。


 そして片づけが始まって一時間半ほどが経過した頃、ようやく作業が終了した。

 心地よい疲れに包まれながらも、僕は改めて気合を入れなおす。これから田沼と合わなければならない。早く里奈のカウントダウンを止める方法を見つけ出さなくては。

 部室を出て自分のクラスへと向かうとすでに撤収作業は終わっており、残ったクラスメイトに悪態をつかれたものの、それを緩く躱し、里奈にLINEを送る。


『いま、終わったよ』


 少し待ったが里奈からの返信は無い。天文部の作業は終わったが文化祭実行委員としての仕事がまだ残っているのだろう。それならばここに居ても仕方が無い、僕は教室を後にした。


 教室を出て一階へ降りる。そんなときスマートフォンが震えた。田沼からだった。「学校の正門の前に居る」とのことだった。よし、里奈と合流してから、また田沼の車で里奈の家まで送ってもらおう。どうせ僕の家で話をする予定だ、それぐらいは甘えてもいいだろう。


 里奈を待つ間、彼女が書いた寄せ書きを見ようと一階へ降りる。巨大寄せ書きは文化祭が終わっても一週間は展示する予定なので、別に今日見なくても良いのだが、時間が余っているので、ちょうどいい暇つぶしになるだろうと考えた。

 教室棟と職員棟を繋ぐ渡りの廊下の下にそれはあった。寄せ書きは高さ五メートル、幅二十メートルという巨大なもので、何度見てもその迫力に本当に圧倒される。先ほどは井上に邪魔されたお陰で里奈が書いた寄せ書きが見られなかったので、いい機会である。

 寄せ書き自体は何を書いてもいいし、スペースもかなり広い。一年二年三年と書く場所は決まっているが、クラスごとにまとまっている訳ではない。スペースさえ守ればどこに書いても自由だ。そのため二年のスペースを端から見ていく必要がある。

 寄せ書きの両端には各クラスが制作した展示物を撤去する生徒が何人か見られたので、その生徒たちの邪魔にならないように寄せ書きの前にまで移動した。

 そんなとき後ろから突然の強風が僕を襲った。


「うっ」


 思わず女子の悲鳴みたいな声が出た。目の前の巨大寄せ書きが風であおられガタガタと揺れる。


「うわ……!」


 僕の小さな悲鳴とほぼ同時ぐらいに、展示物を撤去していた生徒たちが声をあげた。その方向を見ると五人の生徒が巨大な謎の柱が斜めになっていた。危ない、あのままだ下敷きになってしまうぞ。

 僕がそう思った次の瞬間、また突風が僕ら生徒を襲った。その突風は巨大な柱をぐらぐらと揺らし、案の定その柱は風の力に逆らえず、音を立てて地面に崩れ落ちた。


「危なかったー」

「ね、いきなり風吹くんだもん」


 近くに居た生徒たちが愚痴を吐く。

 崩れ落ちた柱が地面の水溜りに水没し、びしょ濡れになっている。しかし幸いけが人はいなさそうだ。その代わりと言ってはなんだが、またまた近くに居た生徒の制服がびしょびしょになっていた。


「さむ!」

「あはは! シゲちゃんびしょびしょじゃん」


 シゲちゃんと呼ばれた男子生徒のズボンが太ももから下が濡れている。確かにあれは寒そうだ。この風の強い日にあれは災難だ。

 シゲちゃんに同情しつつも僕は再び寄せ書きに視線を送る。そこは二年生のスペースだがそれでも広さは七メートル近くある。ここから探すのは骨が折れそうだ。そんなときポケットにあるスマートフォンがブルブルと震えた。里奈からのLINEだろう。

 僕はポケットからスマートフォンを取り出し相手を確認する。やはり里奈からだった。


『いま、終わった』と短い返信。僕はスマートフォンを操作し、『いま、寄せ書きのところに居るよ』と返した。すぐに里奈から返信があり、こちらに来るとのことだった。

 生徒会室は職員棟にあって下駄箱は教室棟にある。必然的に渡り廊下か、この廊下の下を通らなければならない。ここで待ち合わせをして一緒に田沼のところへ行こう。

 少し待つと職員棟の通用口から彼女の姿が見えた。

 僕はその姿に少し嬉しくなり声をかけようとした。


「り――」


 里奈、そう呼ぼうと思った。しかし彼女の姿にその声は押し戻された。

 ――先ほどまであった点滅状態が解除され、カウントダウンが動いている!


 驚く僕はそのカウントダウンのデジタル表示を凝視した。

『18:00』……『17:00』……『16:00』……。

 忌まわしきオレンジ色のデジタル表示。しかも加速している、尋常ではない速度で!

 これは佐藤のときに起こった謎の加速現象だ。しかし何故だ、点滅状態のときは『99:99』だったはず、いきなりスタートし、もう十六時間しかないだって⁉

 いや、違う、まだ加速していく。


『15:00』……『14:00』……『13:00』……。


 どんどん迫る彼女のカウントダウン。


「直斗」


 彼女が僕の名前を呼ぶ、しかし僕は彼女の声に反応することが出来ない。今はそれどころでは無い。

 僕は焦り周囲を見回す、なんだ、一体何が起こっているんだ。まさか佐藤が近くに居ると言うのか。いやそれは考えられない、奴は傷害事件を起こし少年院に入ったと聞かされた。それに学校を退学させられている。そんな奴がいる訳がない。

 なら一体なんだ?

 何が彼女の外的要因なのだ。


「な、直斗……」


 彼女が僕の顔を見つめ足を止めた。ああ、またあの日の顔だ。怯えた子猫のような寂しそうな表情、少し潤んだ瞳、震える唇。違う。僕をそんな目で顔でみないでくれ。僕は君を守ろうとしているんだ。


 そんな思いをよそに、再び僕らを色なき嵐が襲った。

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