4-2 点滅
次の日は学校を休んだ。里奈のカウントダウンも消えてしまったし、被害に遭った里奈もこの日は休むと言っていた。そうなるのも無理はない。未遂に終わったと言え、同じ高校に通うしかも同じ部活に所属する先輩が刃物を突き付けてきたのだから。
でももう大丈夫、里奈のカウントダウンは止まった。消えた。もう里奈のカウントダウンが刻まれる事は無い。
僕は里奈の無事を喜び、その日はずっと横になっていた。
血は止まったものの腫れていたし、佐藤に暴行された痛みもまだ残っている。さらに全身筋肉痛だ。しかし有難い事に母親は昨日からずっと僕の傍に寄り添ってくれた。
母が優しい、こんな経験小学校以来かもしれない。
僕が小学校の頃、母は僕の頭がおかしくなったと、いくつもの精神病院へ連れて行かれた。当時の僕は正直に『みえるひと』の力を話し、大人に知って欲しかった。信じてほしかった。他人を救いたかったから。
でも救えなかった。誰一人と僕の力を信じず、医師は僕に大量の精神安定剤を処方した。子供の僕は母に言った。
『僕はおかしくなっていない! 僕にはみえるんだ! 本当にみえるんだ!』
それでも母はほほ笑んで言った。『直ちゃん大丈夫。治るよ』と。
それ以来僕は大人が信じられなくなっていったのだ。言っても無駄、いくら説明しても無理だ。大人は絶対に信じられない話。大人は自分の目で見たものしか信じない生き物だと知らされた。
どんな精神科医でもそれは同じだった。
安っぽい気休めを言われ、僕の話を聞く。いや聞いているフリをしている。医者は僕の目を診ている、でも僕を見てはいない。織部直斗という一人の人間として見ていない。
そこにはあるのは頭のおかしい患者で、それをどう治すのか。それしか考えていない。
仕方が無い、それが医者という仕事というものだ。その不合理に気づいたのは僕が中学校に通うようになってから。僕も少しは成長したと言う事だ。
僕は朝起きてからというもの一歩も自室から出る事無く、ベッドに横たわり天井をボーッと見上げていた。部屋の中は少し湿気を感じるものの寒くもなく暑くも無い。
僕は里奈を助けられた。これは本当に嬉しい。しかし僕の心は晴れる事は無い。
里奈は助けられた、では他の人も助けられたのではないか。里奈のカウントダウンを考えると恐らく昨日佐藤の凶器で傷を負い、その傷が致命傷となり今日亡くなる予定だったのだろう。
里奈は今も無事だ、今朝からLINEで何度か会話をしている。会話の頻度は少ないものの里奈の両親も今日は仕事を休み、自宅で里奈の傍に居るらしい。ひょっとすると明日も学校を休むかもしれないと連絡も来ていた。
それでもいい。
けれど、僕は全く別の事を考えていた。
里奈が救えたと言う事は、他の人も救えたのではないかという事。祖母は、近所のおじさんは、つい先日みかけた赤ん坊は。あの命は救えたんじゃないか。僕が行動を起こしていれば助かった命はあったんじゃないか。
いや一体どうすれば救えたのだ。田沼が言う『危険因子』を特定する事はそう簡単な事ではない。それに祖母のような内的要因の死はどうしようもない。
でも外的要因の死なら救えたんじゃないか。
僕は眺めていた天井から視線を逸らす。視界の先に自室の窓があった。窓の外は雨、室内に少し湿気を感じたのはこの雨のせいだと今更になって気づく。僕は身体を少し動かす、するとピキッと全身の筋肉から痛みを感じる。昨日佐藤を止める際に色々無茶をしたせいで全身ひどい筋肉痛だった。特に酷いのは両腕だ。
僕は両手を見る。骨に異常はないが、拳を握るとズキッと痛みが走る。拳の先端、人差し指から薬指にかけて赤く腫れている。ここは中手指節関節という部分らしい。人や物を殴ったりすると出来る怪我だと医者は言っていた。
「いてて……」
そんな時、僕の部屋の扉を誰がノックした。
「お兄ちゃん、起きているゥ?」
妹千夏の声が聞こえた。
「え」
「あーけーてー」
千夏は確か今日学校のはずでは、何故千夏の声が聞こえる。
僕は筋肉痛の身体を無理矢理起こし扉のノブを捻る。すると扉の前で両手にトレーを持った千夏が立っていた。
「うわ、痛そー」
千夏は開口一番僕の鼻を見て言った。確かにまだ絆創膏は張っているし、顔にはいくつかの傷もついていて少し腫れもあった。これは名誉の負傷だ。後悔はしていない。
「お、お前どうしてここに、いやそれよりも学校は……」
「休んだに決まっているじゃない。兄貴が寝込んでいるのに、それを心配しない冷たい妹じゃないよ。アタシは。はい、どいたどいた。どかないと火傷しちゃうぞー」
千夏は僕の許可を得る事無くグイグイと肩で僕をどかし、部屋の中に入って来る。その千夏の両手にはトレーがあり、トレーの上には小さな鍋と茶碗と木製のスプーンが乗せられていた。
部屋の中のテーブルにトレーを置き、千夏もそこに座る。
「ほれ、お兄ちゃんも座りなさい」
千夏が床をポンポンと叩く。床には絨毯が敷いてある為、普通に座れる。僕は呆気にとられながらも千夏の指示通りに妹の隣に座る。
「ビックリするだろ、居るなら居るって言えよ」
「さっき来ただもん」
「お前学校は」
「だから休んだってば。大丈夫、私こう見えても優秀だから、誰かさんと違って」
「一言多い」
「にひひ」
千夏はそう笑うと鍋の蓋を開ける。鍋からはボウッと湯気が立ち上り、香ばしい味噌の香りが僕の鼻孔をくすぐった。
「じゃーん。千夏ちゃん特製雑炊だよ。今朝から何も食べてないんでしょ? お母さんに聞いたよ」
「全身筋肉痛で死んでいた」
「ま、そうなるよね。何があったかは刑事さんから聞いたよー」
千夏はそう言いながらもテキパキと茶碗に雑炊を盛る。そしてスプーンで一口分を掬いそこに息を吹きかけた。
「ふーふー」
まさか『あーん』とか言うんじゃないだろうか。やめてくれ高校生にもなってそれは恥ずかしい。それをしてほしいのは妹じゃない。里奈がしてくれるなら喜んで食べるのだが。
「お、おい。自分で食べられる」
「はい『あーん』」
ヤメロ、めちゃくちゃ恥ずかしいだろうが。
「うん、美味しい」
「お前が食うんかい!」
僕は妹にツッコミを入れた。当の千夏はハフハフと言いながら千夏ちゃん特製雑炊を頬張っていた。
「冗談だよ。ちゃんとお兄ちゃんのスプーンも持ってきたから」
千夏はそう言うとパーカーのポケットからスプーンをもう一つ取り出した。おい、そのパーカー、綺麗なんだろうな。
「それとも千夏ちゃんを間接キッスがしたいのかなー?」
「喧しい」
「にひひ」
そう言うと千夏は自分の使っていたスプーンをトレーに置き、ポケットから取り出したスプーンを俺に渡してきた。
「茶碗はポッケに入らなかったので同じので勘弁」
「どっちでもいいよ。全くもう……」
僕は千夏から茶碗を受け取り、スプーンで雑炊を頬張る。熱い、けれど耐えられない熱さじゃない。米が柔らかく煮込まれているし、しめじや青ネギやたまごも入っていて、胃に優しい味付けだ。おかゆではこうはならない。味噌味だからこその味わい。
「ん、美味しい」
「でしょー。千夏ちゃんは料理も出来るのだ」
千夏はそう言うと薄い胸を張った。
「実の妹に萌えるなよ」
「萌えん」
「いや、萌えろよ」
どっちだよ。
しかし本当に美味しい。全身筋肉痛と疲労困憊の身体に味噌で味付けられた雑炊が染み渡る。
「ふふ、元気そうで良かった」
「ん」
「その表情だと、沢口先輩のカウントダウンは何とか出来たみたいね」
「どうして、それがわかる」
「何とか出来てなきゃお兄ちゃんが今頃まで寝ているわけないもん」
当たっている。本当に優秀な妹で兄は嬉しい限りである。
「止まったんだね。先輩のカウントダウン」
「うん」
千夏は僕を見て嬉しそうにほほ笑んだ。
「あ、そうだ。先輩は今日家?」
「うん、明日も休みかもしれないって言っていたな」
「そうだよね、その方がいいかも。まさか同じ部活の先輩がそこまでするなんてね。私も気をつけなきゃ……」
「何をだ?」
「ほら、アタシ可愛いじゃん? そりゃ沢口先輩ほどじゃないけど可愛いし、ストーカーとかね。ね?」
「はい、そうですネー」
「ね、明日も先輩お休みならお見舞いに行こうよ」
お見舞い、そうか。それは全く考えていなかった。
LINEの会話でも元気の無さが伝わって来るほど、里奈は意気消沈していた。なんとか元気づけようと昨夜から何度かLINEを送っているが返信はまちまちだった。確かに顔を見に行ってもいいのかもしれない。その方が少しは気分が晴れる事もあるだろう。
「そうだな、明日里奈が休むようなら行ってみようかな」
「あ、じゃあアタシも着いて行く。明日学校が終わったら連絡ちょうだいね」
「はいはい。あ」
「え、何?」
「田沼さんにもお見舞いに行かなきゃ」
千夏は僕の力を知っている。それでいていつも一緒に居てくれる。本当に僕にとって大切な妹だ。けれどもう二人大切な人がいる。
一人は田沼雄二、僕と里奈を命がけで救ってくれた僕が唯一信じられる大人。
そしてもう一人は言うまでもない、僕の彼女。沢口里奈だ。明日、二人のお見舞いに行こう。
――
次の日、学校に登校した僕を待っていたのは好奇の目だった。
「織部! お前凄いな!」
と、同じクラスの生徒が僕に話しかけて来た。
「あ……いや……」
僕は返答に困った。クラスでも目立たない僕が皆の視線を集めてしまっている。そっとしてほしい。僕が凄い訳じゃない。病院に入院するほどの怪我を負ってまで止めに入ってくれた田沼の方が凄いのだ。
一方で落ち込んでいる生徒もいた。無理もない。傷害事件を起こした生徒と同じ学校だったなんて。昨日は全校集会が開かれ、その説明が行われたらしい。
一歩間違えば、自分も被害者になっていたかもしれないと思うと気が気ではない。
当の佐藤は少年院に送られるそうで、今は警察署の留置場に居るとの事らしい。
今日も休めば良かったのかもしれない。僕はそう思った。怪我も治っていないし、何より僕に注がれる好奇の目が辛く感じた。
里奈は今日も休んでいる。僕は千夏に連絡を入れた後、里奈に『学校が終わったらお見舞いに行きます』と短く連絡を入れた。
その日の午前中は殆ど授業にならなかった。先生も僕の話が聞きたいらしく質問責め。休み時間も同じクラスの生徒や別のクラスも混じって様々な質問を受けた。ようやく一人になれたのは下校の時間になってからだった。
僕は里奈の家の近所にある駅前で待ち合わせをし、千夏と合流した。
「手ぶらじゃダメ!」
と千夏に怒られ簡単な菓子折りをスーパーで購入して里奈の家に向かった。
ほんの二日前に来たばかりの里奈の家、インターフォンを鳴らすと奥から『はい』と女性の声が聞こえた。
「あ、あ、あの僕織部直斗って言います。里奈さんはいらっしゃいますか」
僕がそう言うとインターフォンは突然切られ家のからバタバタと足音が聞こえた。玄関の扉が開き、出迎えてくれたのは里奈の母親で僕に言った。
「里奈の母です。この度は娘を救って頂いて本当にありがとうございました。本来ならこちらからお礼にお伺いしなければならないところを……」
と、何度も頭を下げた。実は今日僕の家に来てくれたらしい。しかし不在だったため会えずじまいだったと伝えてくれた。両親は今日から仕事に出掛けていたし、僕も学校に行っていたので行き違いになったみたいだ。
そんな挨拶が終わり僕と千夏は里奈の部屋の前に通された。
「あれからずっと元気が無いんです。直斗さんならきっと会ってくれると思います」
里奈の母親はそう言って里奈の部屋の扉をノックし、ドアノブに手をかけた。
「里奈ちゃん、入るわよ」
扉が開かれて里奈の姿が見える。少しピンク色のベッドの上で横になっている里奈を見つける。パジャマ姿の里奈の僕は少し胸が高鳴った。里奈は僕の姿を見つけると状態を起こし優しくほほ笑んだ。
「里奈さ――――」
しかし、その姿に僕は我が目を疑った。
肩に下げていた鞄が力なくずり落ちる。
「な、なんで……」
そこには信じられない光景があった。それは止まったはずのカウントダウン。あの忌まわしきデジタル表示、里奈の頭上にそれはあった。
『99:99』
と、それが点滅していたのだ。
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