4-3 点滅②

「お、お兄ちゃん……」

「な、何でだ……」


 隣に居た千夏が僕に声をかける、けれどそれは僕の耳に届かない。届くはずもない。

 僕はある一点を凝視していたからだ。


 里奈の頭上で光る、あの忌まわしきデジタル表示。それが『99:99』と点滅していた。


「じゃお母さん、ちょっとお茶淹れてくるわね。織部さん、ゆっくりしていらしてね」


 と里奈の母親がリビングの方へ歩いていく。いやそんな事はどうでもいい。

 何故だ。何故なんだ。どうして里奈のカウントダウンがまた動き出そうとしているんだ。あの時。佐藤に襲われたあの日、里奈のカウントダウンは確かに止まった。そう止まって消えたんだ。

 それなのに何故、また見える。それにあのカウントダウンは点滅している。


 点滅している――⁉


 これは一体どういう事だ、点滅⁉

 点滅なんて今まで見た事は無い。あの忌々しいデジタル表示は常にそこにあって、点滅する事なんて無かった。これはどういう現象だ。


「直斗くん……こんな格好でごめんね」


 僕は里奈の声で我に返る。里奈の部屋の前で立ちつくしていた僕は、千夏に視線を向ける。僕の挙動で何かを察したのか千夏の表情も硬い。


「千夏ちゃんも来てくれたんだね、嬉しい」

「あ、あ! はい! 里奈さんが元気無いって聞いて、居てもたっても居られずに!」

「ふふ、ありがとう」

「お、お兄ちゃん! とりあえず座ろ!」


 僕は千夏に押し倒されるように里奈の部屋に中に入り、床に座る。里奈の部屋は白を基調とした部屋でカーテンや家具、化粧台も同じで白で統一されて凄く明るい。里奈の足元には大きなクマのぬいぐるみが置いてある。それに何かふんわりと花の香りがする。そういう芳香剤を使っているのだろうか。実に女の子らしい。あのカウントダウンさえ見えなければとても嬉しい気持ちになっていた事だろう。

 僕は冷静さを装いたかった、けれど無理だ。僕はカウントダウンが気になって仕方が無い。

 千夏と里奈が何か会話をしている。それは僕の耳に届く事は無い。僕の思考を支配していたのは、ただ一点のみ。


 何故、あのカウントダウンがまたみえる。


 里奈の佐藤という外的要因は田沼と僕で取り除いた。あの日、佐藤が里奈を襲った日、僕はこの目で確かに見た。里奈のカウントダウンが止まる事を。それが止まり消える事を。

 それなのに何故、またみえているのだ。

 もしかして佐藤は外的要因では無かったと言うのか。いやそれだとあの日カウントダウンが消えた理由が見つからない。それに里奈のカウントダウンが止まっていなければ、昨日の夜、木曜日の午後十時五十一分に里奈は死ぬ運命だったはずだ。今日は金曜日、あのカウントダウンが止まっていなければ説明がつかない。

 では目の前にあるアレは何だ。『99:99』と光るデジタル表示は。


「お兄ちゃん!」

「え⁉」


 僕はその声で我に返った。


「もう、しっかりしてよ。まだ寝てた方が良かったんじゃない?」

「え、え、あ、ああ」

「ごめんなさい、里奈さん。お兄ちゃんも昨日ずっと寝ていて。やっぱり一日じゃ回復しきれなかったみたい。だから言ったでしょ。今日も寝てなさいって!」


 我に返った僕は千夏が必死に会話を繋いでくれたことに気づく。


「ご、ごめん」

「ううん、私の方こそごめんなさい。本当なら助けてもらった私の方から行かなきゃいけないのに。わざわざ来てもらって」

「い、いや、それはいいんです。ご、ごめんなさい。まだ頭がぼーっとしてて」


 僕がそう言うと里奈がベッドから降り、僕の元に近づき、僕の両手を優しく握る。


「本当にありがとう。直斗くん」


 僕の目を真っ直ぐ見つめる里奈の大きな瞳。その瞳には少し潤み、艶やかな唇からその言葉が出た。両手に感じる里奈の手の温かさ、それに耳に聞こえる里奈の息遣い。僕の目の前には確かに生きている。僕の大切な人、里奈――。


「何度……」

「うん……?」

「何度でも助けます……里奈さんは僕が助けます」


 僕はたまらず里奈の身体を引き寄せ優しく抱きしめた。


「ちょ、ちょっと直斗くん……千夏ちゃんが居るのに」


 里奈は少しだけ抵抗した。けれど僕は彼女を抱きしめる力を弱める事は無い。次第に里奈は抵抗しなくなった。その代わり僕の背中に手を回し優しく抱きしめ返してくれた。

 絶対に助ける、何度でも助ける、僕の命に代えても君を助けて見せる。僕は再び誓った。


 でも一人じゃ出来ない。あの人に会いに行かなければ。僕は唯一信じられる大人、あの人に会わなくてはならない。今の状況を説明して力を借りなければならない。

 僕は静かに里奈の腕を掴み身体を引き離す。本当ならずっと抱きしめていたい。ずっと一緒に居てあげたい。でも今はダメなんだ。今やるべきことはこれじゃないんだ。


「じゃ、僕らはこれで」

「え、も、もう?」

「ごめんなさい、里奈さん。行くぞ千夏」

「え、え、ちょま」


 僕はゆっくり立ち上がると里奈の部屋を出た。そして里奈の母親に挨拶を済ませると、後ろ髪を引かれる思いで彼女の家を後にした。

 急ぎ足で駅に向かう僕に千夏が話しかけて来る。


「お兄ちゃん」

「なんだ」

「また里奈さんのカウントダウン……」

「そうだ、また見えた。あの時確かに止まったはずなんだ。確かに止まってそして消えた。けれど今また見えたんだ」


 そして僕は里奈のカウントダウンについて話を始めた。


「また……見えた」

「ああ、あの日カウントダウンは止まった。でもまた動き出したんだ。何がトリガーになったのかはわからないけれど、ハッキリ見えた。それに点滅していた」

「点滅……」

「うん、今までのカウントダウンはただのオレンジ色のデジタル表示だった。でもさっきの里奈のカウントダウンは点滅していたんだ。あんなカウントダウンは初めて見る」

「どういう事?」

「わからない、だから行かなきゃ」

「どこに行くっての?」

「決まっている、唯一『みえるひと』の力を理解している大人、田沼さんのところへ」


 どんな大人だって頼りにならない、申し訳ない事に理解者である千夏ですら頼る事は出来ない。でも田沼なら何か知っているかもしれない。

 僕はスマートフォンを取り出し現在の時刻を確認する。

 現在、午後四時三十二分。

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