3-7 雲間の光

 僕と田沼は里奈の家から少し離れた場所に駐車し、車内から里奈の家を見張る。今日も天気も悪く月明りも無い、辺りは暗くなり街灯と家から漏れる光が周囲を照らしていた。僕はスマートフォンを取り出し現在の時刻を確認する。

 現在午後八時ちょうど。里奈の残り時間は、二十六時間五十一分。


 隣では田沼がいびきをかいて寝ていた。最初は里奈の家を二人で監視していたが眠気の限界来たのか田沼は僕に見張りを任せ少し寝ると言って運転席を倒し寝てしまっていた。何かあれば起こせばいい。いくら両親の帰りが遅いといえ、僕も家に帰らないといけない。その時起こせばいいだろう。

 車内では特にやる事がある訳では無い。しかし何か探偵のようで最初は少し胸が躍った。けれど一時間もすればそれも飽きて僕はスマートフォンを取り出し里奈とLINEをしていた。

 離れているとは言え里奈の家の近く。僕はここに居るよ。里奈を見守っているよ、と伝えたい。


「ん……」


 隣で寝ていた田沼がゴソゴソを動いた。僕は視線を逸らし田沼を見る。


「……今、何時だい」

「八時ちょうどです」

「そうか」


 田沼は倒していた座席を戻し、大きく欠伸をした。そしてダッシュボードに置いてあった電子タバコを取り電源を入れる。車内にまたあの独特な匂いが漂う。


「何か動きはあったかい?」

「いえ」

「そうか」


 田沼は電子タバコのフィルターに口を付け、息を吸い込んだ。ふぅっと白い煙を吐く。車内に煙草の香りが充満する。僕は助手席側に少し寄って座りなおす。無言の抵抗。


「両親はいつも何時ぐらいに帰って来るんだい」

「大体十時過ぎですね」

「その間ずっと一人かい?」

「はい、妹が居るんですが今は中等部の女子寮に入っていて、それ以来僕一人です」

「寂しくないのかい」

「いえ、とくには」


 別に寂しさを感じた事はない。小学校の頃『みえるひと』になってから僕はずっと一人だ。誰も僕の苦しみはわからない。例え理解者の千夏であっても田沼でもあっても。


「アルバートもそうだったよ」

「何がですか?」

「アルバートも君と同じ事を言っていたよ。俺からすれば人と違う事は凄く寂しい事だと思う。他人の寿命が見える能力なんて。俺たち一般人の想像を遥かに超えた寂しさじゃないかな」

「先生の本は読みました。彼はその苦悩を抱え、愛する奥さんを残して自殺されたんですよね?」

「ああ」

「僕は彼と違う、自ら死を選ぶなんて大馬鹿がする事です」

「ああ、君の言う通り。彼は大馬鹿だったんだ。俺は彼にもっと寄り添ってあげるべきだった。もっと手を差し伸べるべきだったんだ」


 そうか、どうしてここまで僕の言う事を信じ尽くしてくれるのか。僕はずっと不思議だった。田沼はアルバートを見殺しにしたという罪を抱えているんじゃないだろうか。

 アルバートは『みえるひと』である事で悩み、田沼に相談し唯一の理解者を得た。しかしそれでもアルバートの寂しさは埋まらなかった。だから自ら命を絶った。愛する人を残してまで死を選ぶ必要があったのだろう。アルバートはそれほどの苦悩を抱えていたんだ。


「アルバートに対する、贖罪ですか?」

「君は頭がいいね」

「成績は中ぐらいですが……」

「いや、そういう意味じゃない。良く考えているし、良く人を観察している。少し怖いよ、俺をそうやって見透かす君が」

「……僕には妹が居るんです」

「うん」

「妹は僕が『みえるひと』である事を理解してくれています。僕の言う事を信じてくれています。だから僕は独りじゃない。アルバートは奥さんすら信じてくれなかったんですよね?」

「ああ、病気だと言ってきかなかった。でも最後には信じてくれたよ。彼が亡くなってからだけどね」

「悲しいです。これは病気なんかじゃない」


 愛する人に信じてもらえない辛さはわかる、僕の能力を両親は信じてもらえていない。精神病だと僕を遠ざけ、いつも僕を見る目は冷たい。


「里奈に話したいです」

「君の能力をかい? それはおすすめしないな」

「そうですよね、長年連れ添ったアルバートの奥さんですら理解してもらえなかったんですから」


 里奈に直接カウントダウンを告げる事も考えた。しかしそれをどうやって信じさせる。

 両親が僕を見るあの冷たい目。精神病院で向けられた好奇と嘲笑の顔。僕には唯一の理解者千夏が居た。それが僕を支えになって何とか生きて行けた。

 もし里奈があの目で僕を見たなら、僕もアルバートのように――。


「ン⁉ 直斗君!」


 田沼はそういうと身を預けていた運転席から身体を起こした。


「あれは、里奈さんじゃないか⁉」


 僕は焦り里奈の家に視線を向ける、里奈の家の玄関が開きジャージ姿の彼女が出て来た。


「里奈だ! どうして⁉」


 里奈が玄関の扉を閉め鉄格子の門扉を開けて外に出てくる、足元には里奈の飼っているミニチュアダックスフンドが居た。


「犬の散歩……」

「お、おい。歩いていくぞ」

「追いましょう!」


 僕らは車から出て里奈の後を追い出した。偶然を装って話しかける事も考えた。しかし良い考えが浮かばない。仕方が無くの僕らは里奈の後を追う。何事も無く家についてくれればいい。僕は心の底からそれを願った。


「カウントダウンはどうだ?」

「残り時間に変化はありません」


 里奈は犬を連れ、そのまま近所の公園に入っていた。今朝早くにこの周辺を歩き回ったお陰で公園の配置は頭に入っている。特に事故につながるような外的要因は見当たらなかった。


「暗いな」

「た、確かに」


 僕と田沼は並んで歩き、里奈とはつかず離れずギリギリの距離を取る。里奈は時折止まったりしゃがみ込んだりとペットと共に歩いていた。

 公園にはいくつか街灯がある。しかしそのどれもが頼りない光で少し距離が離れた里奈の姿が良く見えない。しかしこの灯りのお陰か、急に振り向かれても僕らだと気付かれる可能性は低い。

 僕はスマートフォンを取り出し現在の時刻を確認する。午後八時十二分。まだ里奈のカウントダウンは二十六時間余っている計算になる。今日は何事も無く過ぎてくれればいい、そう思っていた、そんな時。


「お、おい」


 そんな時、田沼が小さく声をあげた。僕は見ていたスマートフォンから目線を逸らし、里奈が居る方向を見た。


「なんだあいつ」


 僕は自分の目を疑った。里奈に近づく人影がひとつ、何者かが里奈に近づいていた。その人影里奈よりも身長が高く恐らくは僕と同じぐらい、上下のジャージを着ていてフードを被っていた。さすがにここからでは顔が確認出来ない。

 まさか里奈は事故ではなく事件に巻き込まれると言うのか。それともただのそれは予想出来てもおかしくなかった、けれどそれはあまりにも現実離れ過ぎている。


「い、いや、ペットの話しかけているようだ」


 ジャージの人影はその場にしゃがみ込み里奈のペットを撫でだした。


「ただの犬好きの人……?」

「どうやらそうらしいな、あの格好ジョギング中のおっさんか何かだろう。全く、脅かしやがる」


 僕と田沼は胸を撫で下ろした。


「里奈の身に一体何が起こるというんでしょうか」

「わからない、わからないからこそ目を離してはいけない。いざとなったら警察を呼べようにしておいてくれ」

「はい」

「俺が関わった事でカウントダウンが止まってくれればいいのだが……」


 田沼はそう言った。

 僕もそれを願う、しかし無情にも里奈のカウントダウンに変化はない。彼女の頭上にはあの忌々しいデジタル表示が見えているからだ。

 僕らは足を止めて遠くから里奈の姿を見る、里奈は相変わらずペットと先程現れたジャージの男と会話をしている。


「今も彼女のカウントダウンは見えているかい?」

「はい」


 ジャージの男はその場に座り込んで里奈のペットをずっと撫でていた。なかなか動きそうにない、そう思った僕は少しだけ視線を逸らし、空を見つめた。

 あいにくの曇り空、星空は見えない。つい先日里奈と見たあの幻想的な星空を思い出す。まだ一週間と経過していないというのに、もう何ヶ月も前の事のように感じられた。それ程にここ数日間は濃い時間だと言えた。


「なぁ」

「はい」

「他人のペットでそんなに撫でるものか?」

「さあ……僕ペットを飼ったことが無いので何とも」


 曇り空を見上げながら僕は本で読んだアルバートの事を思い出していた。アルバートは妻と二人暮らし、当初はコロラド州の中心地デンバーに住んでいたそうだが、彼の精神状態が良くないとして人里離れた田舎で静かに暮らしていたと言う。

 僕には彼アルバートの気持ちが十分理解出来た。アルバートは三十代、当然就職していた。仕事となれば人が多い場所へ行かざるを得ない。そうなれば様々な人のカウントダウンを見かける事になる。

 それは僕ら『みえるひと』にとって尋常ではない程のストレスになるだろう。幸い僕はまだ高校生という事で人とのつながりは薄い。今はまだ普通に生きていられている。でも彼は違った。相談できる相手も共有できる相手もおらず、ずっと一人で悩んできた。

 アルバートが田沼に会ったのも彼が自ら命を絶つ一年程前。それ以前はずっと孤独だったんだ。


「おい、直斗君。いつまで感傷に浸っているつもりだ」

「あ、すいません」


 田沼の一声が僕の思考を遮った。アルバートの事を考えるのはいつだって出来る。今は里奈を救う事だけを考えよう。

 田沼は呆れた顔でポケットから電子タバコを取り出し、電源を入れる。僕は田沼に謝罪し、視線を里奈へと向ける。そこには信じられない光景が広がっていた。


「⁉」


 先ほど里奈のペットを撫でていた人物が里奈の手を掴んで何か叫んでいた!

 里奈はその人物から離れようと抵抗するものの男は強引に手を引っ張る。里奈のペットが男に向かって突然吠え出す。

 何だ、一体何が起こった。僕は田沼と顔を見合わせる。田沼は首を横に振り『俺にもわからない』と言った仕草をした。

 助けるべきか、一瞬悩んだ。その一瞬が僕の初動を遅らせた。


 男と里奈がもみ合う、その影響か男のフードが外れる。その時、空の雲間が月の光が辺りを照らした。男の顔がハッキリと見えた。

 僕が良く知る人物。その男が里奈の手を掴んでいた。

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