3-6 燻らせる煙

 昼休みが終わり午後の授業が始まった。午後の授業の休み時間にも僕は里奈と繰り返し連絡を取り合う。そして午後の授業が終わり部活の時間になった。部活では常に里奈を視界に入れて活動を行う。この時間は里奈と離れる事が無いため安心できた。

 しかし彼女の頭上にはあのデジタル表示、カウントダウンは止まる事は無い。僕は神に問う、彼女が一体何をしたと言うのですか。刻一刻と減り続けるそのカウントはあまりに無慈悲で残酷だ。


 しばらくして部活も終わり下校の時間になった。僕らはお互い時間を合わせて一緒に帰る約束をしていた。一昨日と同じく校門で待ち合わせをして僕は彼女を待った。

 その間、田沼から連絡があり今近くに居ると言う。今後の可能性も踏まえて里奈を紹介してほしいと言って来た。会わせる事は問題ない。昨日の相談時にそれも打ち合わせ済みだ。


「直斗君」


 声の方へ振り向くとそこには田沼が立っていた。いつ買ったか分からない程ボロボロの革のジャンパーに紺のスラックス、足元は何故かサンダル。そしてボサボサの頭にひどい寝癖、一体どんなコーディネートだろうか。さすがに不精な僕でもここまでのファッションはしない。


「先生……その恰好は……一体」

「ははは、ちょっと色々探っていてね。昨日からあまり寝てないからさ。申し訳ないけれど許してくれ」

「ぼ、僕は構いませんが……」


 せめてお風呂ぐらい入ってから来てくださいよ、と言いそうになってやめた。昨日の相談後、田沼は自分の病院を臨時休業させ里奈のカウントダウンを止める方法を探してくれている。


「連絡ありがとう、今日は色々と調べる時間があった」

「いえ、先生の方はどうですか?」

「とりあえず危険因子になるような場所はいくつか見つけた。そこに彼女を近寄らせなければいい。俺の方もそうだが、君も良く頑張ったね。彼女とはずっと一緒に居たようだし」


 頑張った。その言葉が心底嬉しかった。僕の能力を信じ、力を貸してくれる唯一の大人、その人が僕の努力をみてそう言ってくれる。たったその一言が本当に嬉しく感じられた。


「けれど残念ながらカウントダウンのタイマーは止まっていないんだね」

「はい」

「そうか……一体何の外的要因なんだ……」


 田沼はボサボサの頭を掻きむしった。白い粉が周囲に飛び散る。僕はそれをみて少しだけ距離を離した。

 うーん、と唸る田沼を尻目に僕はふと視線を校舎に向ける。下駄箱から何人かの生徒の姿見える。そんな何人かの生徒の中に知った顔を見つけた。

 その生徒は僕の姿を見つけると、僕に近づいて来る。


「織部……お前、そんなところで何してるんだよ」


 三年の佐藤先輩だ。

 同じ天文部の先輩だが、今日は部活には来ていない。部活を休んだ佐藤がどうしてこんな時間に居るのか不思議に思った。


「先輩には関係ないです」

「お前。俺を待ち伏せしてやがったのか」

「は? そんなわけないじゃないですか。先輩こそ今日部活はどうしたんです。今日お姿が見えませんでしたが」


 僕は土曜日の件を思い出しイラっとして口調が刺々しくなってしまった。こんな人に構っている暇はないと言うのに、つい口が悪くなってしまう。


「おや、直斗君の知り合いかい?」


 田沼が僕の後ろから声をかけてきた。


「なんだお前は」

「俺? 俺は直斗君の友達さ」

「俺に何か用かよ」

「いや? 俺は君に用事はないよ。直斗君もそうだろ?」

「はい、佐藤先輩に用事は無いです」

「だったら何でここに居るんだよ! 俺を待っていやがったんだろ!」

「ここは学校ですよ、僕が居るのは普通じゃないですか。今も言いましたけど、先輩に用事はありません。人と待ち合わせをしているんです」

「沢口か……」

「答える必要はありません」


 重い沈黙。内心気が気じゃなかった。僕の不用意な言葉で佐藤をまた怒らせてしまったようだ。完璧に失敗した、僕にこんな事をしている時間は無いというのに。


「ちっ……」


 明らかに僕に対し大きな舌打ちをして佐藤は僕から視線を逸らし通り過ぎていった。佐藤が去ってしばらくして僕は大きくため息を吐いた。


「ふう。直斗君、焦ったねー。俺、君が今の子と喧嘩しちゃうのかと思ったよ」

「しませんよ、僕にそんな暇はありませんから」

「彼は一体誰なんだい?」

「同じ天文部の先輩です。と言っても尊敬できる部分はこれっぽっちもありませんけど」

「辛辣な評価だねぇ。なるほど、面倒な先輩はどこにでもいるんだね。でもね直斗君、今のはいけない。俺には彼を君が挑発したように見えたよ」

「はい……佐藤……あの先輩は、里奈を口説こうとしていたんです」

「ふむ、そうか。君が怒る気持ちはわからなくはない。けれど良く考えるんだ。今、優先すべきか。ここで彼と喧嘩して彼女のカウントダウンを止まると言うのかい。もう少し冷静な子だと思っていたけれど、俺の見込み違いだったか?」

「いえ……すいませんでした」


 田沼の言う通りだ、ここで佐藤とトラブルを起こして一体何が得られると言うのか。無駄に時間を消費し、下手すると怪我を負い、目的である里奈のカウントダウンを止める事も出来ない。


「わかればいい。ところで里奈さんはまだかな」


 田沼がそう言って下駄箱の方を見る、僕もつられてその方向に目を向ける。その時、下駄箱から出てくる里奈の姿を発見した。


「あ、あの人が里奈さんです」

「え、どこどこ?」


 僕は里奈の姿を見て、里奈も僕の姿を見た。僕は手をあげて里奈に手を振る。里奈も手をあげて僕に振り返す。


「あの子か、凄く可愛らしい彼女だ」

「はい」


 僕は改めて思った。制服姿にピンク色のカーディガン、少しだけ丈の短いスカートから見せるスラリと伸びた細い足。セミロングの髪が歩くたびに少し揺れる。本当に可愛い。


「直斗くん、お待たせ」

「お疲れ様です、沢口先輩」

「ふふ、何もう部活は終わったんだよ」


 つい部活の時と同じ言葉を言っていた。


「そうでした」

「可愛い彼女だねー」

「あ」

「え、え、だ、誰ですか……」


 田沼が僕の後ろからヒョコっと顔を覗かせた。田沼の姿を見て里奈が訝しがった。早く説明しないと不審がられてしまう。里奈は僕の腕を掴み身構えた。


「あ、この人、僕の遠い親戚で……」

「田沼雄二と言います。彼、織部直斗君の親戚です」


 親戚など言う事は勿論嘘だ。里奈を騙す事になるが仕方が無い。手っ取り早く彼女の警戒心を解く必要がある。その一番の方法は僕の親戚だと言う事だ。兄などと言っても家族構成は教えてしまっているし、親にするには年齢がさほど離れていない。

 この場合は遠い親戚が一番だと思えた。


「あ、そ、そうなんですか」

「うん、ね。直斗君」

「はい、偶然この近くで仕事があって通りかかってさっき連絡をくれたんだ」

「そうなんだよ。久しぶりに会いたくなってね。ごめん、お邪魔だったかな」

「え、え、あ、そんなお邪魔だなんて」

「あはは、直斗にこんな可愛い彼女が居るなんて知らなくてね。ごめんごめん。無理矢理おしかけちゃったよ」

「可愛いだなんて、そんな」


 里奈の顔がみるみる赤く染まっていく。あっという間に耳まで真っ赤になってしまった。


「お、おじさん。からかわないでよ」

「ごめんごめん。ほら埋め合わせのために家まで送ってあげるからさ」


 田沼はそういうと革のジャンパーから車のキーを取り出した。

 そう、顔合わせするもの目的の一つだった。けれど本当の目的は里奈の移動中不用意な危険が起こらないようにするためである。

 現代の日本で事故に遭っても即死する可能性は低い。事故に巻き込まれ病院で息を引き取る可能性もある、逆算すれば今日何らかの事故に巻き込まれる可能性があると言う事だ。勿論、田沼が事故に遭わないという保証はどこにもないし、事故に遭って即死しない保証もない。

 けれど田沼はこうも言った。彼女のカウントダウンが始まった時、その時彼女の運命が決まったと言う事だ。つまりその後に会う俺は彼女の運命に関わっている可能性は低い。見ず知らずに俺という干渉で彼女の運命が変わるかもしれないと。


 その話を聞いた時、僕は考えた。蝶の羽ばたきの効果を考えればどんな小さなキッカケでも運命を大きく変えられる。それならばいつもとは違う道、いつもとは違う行為をすればいい。

 その考えに僕は同意した。今のまま普通に過ごしていても何かを変えられる可能性は低い。ならば大きく運命を変える必要がある。そのためにはどんな小さな事でも変える必要があるのだ。彼女の日常を非日常にする。その可能性に僕らは賭けた。

 田沼の車近くに停めてあった、燃費の良い白い軽自動車で僕らは後部座席に乗り込む。田沼の車は何か独特な匂いがした。


「彼女のカウントダウンに変化があるか、君は注意深く確認してほしい。それと何がキッカケになるか分からないから君たちの会話を録音させてもらうよ」


 乗り込む際に田沼は僕にだけ聞こえるように静かに言った。僕は少し悩み小さく頷いた。これで彼女の運命を変えられるなら何でもやってやる。

 田沼の車に乗り僕らは変わらず他愛のない会話を繰り返す。時には田沼も会話に参加にしてきたが、僕の子供の頃の話などを振られてしまうとボロが出てしまう。それを控えるように田沼は口数が少なかった。

 その代わり常にバックミラーで里奈と僕の姿を見ている気がした。


 田沼からすれば僕は貴重な存在だ。初代のアルバート・バーレン。そして僕は二人目の『みえるひと』だ。学者なら垂涎の研究対象と言える。そしてタイマーが発動している被験者。これほど有益な対象者は居ない。下手に無謀な運転をして事故を起こす事は無いと思う。

 正直、録音されていると思うとなかなか会話は弾まない。けれどそれで彼女の運命が変わればそれは実に効果的と言える。今は普通の日常よりも非日常を敢えて造り上げる必要があるのだ。

 とはいえ、僕にそんな会話のレパートリーがあるわけでは無く、至って普通の会話が続く。それもいいと田沼は言っていた。


『非日常は日常の中にある』


 意味は理解出来なかったが、僕は田沼の言う通りに動いた。

 車はゆっくりと里奈の家に向かう。夕日が僕らを乗せた車を照らす。こんな時も太陽は綺麗だと思えた。今の今までこんなにも必死に誰かの運命を変えようとした事があっただろうか。人の運命を変える。それは尋常ではないぐらいの努力が必要なのだと知った。

 今まで自分の境遇に嘆き、神を無慈悲と罵った。けれど本当に必要だったのは変えようとする意志とそれを実現させるための行動力だったのかもしれない。


 それからしばらくして僕らを乗せた車は里奈の家に到着した。道中危険な場所も無く無事家に辿り着けた。田沼には感謝の言葉も無い。


「ありがとうございました」

「いやいや、これからも直斗をよろしくね」

「はい。あ、直斗くん」


 里奈はそう言って名残惜しそうな表情を浮かべ、スマートフォンを握る。僕はその姿を見て『あとでLINEするね』というサインだと思った。素直にその仕草が嬉しく笑顔が零れた。

 僕は笑顔で手を振り彼女が玄関の扉を閉めた事を確認し、田沼の車の助手席に座った。

 車内で少し息を吐いた。


「ふう……」

「お疲れ様」

「ありがとうございます」


 田沼は車を発車させる事無く、ジャンパーのポケットをゴソゴソとしだした。


「スマートフォンならここに」

「いや」


 僕はダッシュボードにあるスマートフォンを指さした。田沼は僕の言葉を否定し、ポケットから電子タバコを取り出した。


「申し訳ないけど、吸わせてもらうよ」

「構いません、先生の車ですから」


 田沼は電子タバコに電源を入れしばらく待った。そして煙草を一口吸い大きく息を吐いた。


「ふう……」


 車内に白い煙が立ち上る。田沼が『おっと』と言い運転席側のパワーウィンドウのスイッチを押し運転席と助手席の窓を少し開けた。車内に漂っていた独特の匂いはこの電子タバコの匂いか。


「それで、彼女のカウントダウンは?」

「変わった様子はありませんでした」

「そうか」


 田沼はそういうと右手で左腕にした腕時計で時間を確認した。僕もスマートフォンを取り出し現在の時刻を確認する。午後五時十分。

 田沼が燻らせた白い煙がゆっくりと周囲の空気に触れ消えていく。その光景を僕はただじっと見つめていた。


 彼女の残りの時間、二十九時間四十一分。

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