3-3 田沼精神病院

 次の日の朝、僕は両親が出勤すると同時に自宅へ逆戻りをして、学校へ今日は休みますと電話をかける。僕はこれでも無遅刻無欠席、一日や二日休んでも疑われる事は無い。

 そして僕は田沼雄二に会いに行くため普段着に着替える。僕には時間が無かった。一刻も早く里奈のカウントダウンを止める方法を探さなければならない。

 補導される可能性は低いとは言え、制服のまま真っ昼間から行動するのはまずい。一応洗面所で自分の姿を確認する、黒のパーカーとデニムのズボン。これでキャップを被ればすぐに高校生だとはわからないはずだ。鞄には昨日千夏から渡された田沼雄二の著書『みえるひと』を入れた。

 田沼雄二は開業医で小さな病院の院長をしている。場所は偶然にも僕が住む千葉県にあった。電車を使えば一時間とかからない。

 僕は手早く準備を済ませると自宅を出た。念のためキャップを深くかぶり近所の人に気づかれないように歩く。最寄り駅に到着し、電車を乗り継ぎ田沼雄二の病院の最寄り駅にまで辿り着く。

 駅から歩いて二十分、辺鄙な住宅地の中にそれはあった。

 僕は建物を確認する、『田沼精神病院』と書かれたボロボロの看板。病院と書かれているが建物自体は小さい。また経年劣化なのか建物の一部は少し崩れていた。

 玄関には触るのもためらう程錆びた鉄の扉。用事が無ければ絶対に足を踏み入れたくない場所だ。


 看板を見る、今日は営業日。良かった。事前に調べていたとは言え開業医ともなれば臨時休業している可能性もある。それにこの外観からは通常営業すら怪しく思えた。

 僕はスマートフォンを取り出し現在の時刻を確認する。


『09:15』里奈のカウントダウンは残り六十一時間、つまりあと二日と十三時間。残された時間は少ない。

 僕は意を決し鉄扉の手すりに手をかける。ギギギと金属擦れる音が聞こえた。

 中に入ると白い壁とクリーム色の床。広くはないが外観からは想像できない程綺麗だった。何の自慢にもならないが僕は精神病院には何度と通った経験がある。大体こんな感じだ、総合病院にあるような消毒液の匂いやあの重苦しい空気はない。ただそこにあるのは至って普通の空間。何の変哲もない待合室。

 正面には小さな受付があった。受付に視線を向けるが誰も居ない。普通なら誰か座っているのだが人の気配すら感じられない。


「す、すいません」


 僕は恐る恐る声をかける。ここは普通の精神病院じゃないな、と僕は感じた。


「はいはーい」


 受付の奥にはクリーム色の仕切りがあり、その奥から男性の声が聞こえた。


「すいません!」

「はいはい」


 奥から一人の男性が現れた。その男の顔に見覚えがあった。合宿の日テレビで見た男。田沼雄二だ。無精髭を生やしボサボサの頭に酷い猫背。そして白衣を身にまとい、中にはしわしわになったワイシャツに黒のスラックス、青いスリッパを履いていた。テレビで見た田沼雄二はもう少し清潔感があったような気がした。けれどこちらが本当の田沼雄二なのだろう。

 僕は一瞬戸惑った。こんな頼りなさそうな男を頼らなければならないのかと少し落ち込んだ。精神科医ってもっと人を安心させる見た目をしているんじゃないのか。


「あ、あの……」

「診察?」

「い、いや……あの」

「ごめんごめん、小さい病院なもんで受付も俺一人なんだ。あ、診察なら健康保険書ある? あとこの用紙に書いてねー」


 田沼はそういうと受付の下でゴソゴソと何かを始めた。


「い、いや! あの!」


 その時僕は思い出した、そうだあの本を見せれば話が早い。それを思いついた僕は背中に背負っていた鞄を手繰り寄せ田沼雄二の著書『みえるひと』を出した。


「こ、これ!」

「ん? ああ、その本。俺が書いたものだよ。ん……? 君、いくつ? お父さんかお母さんは?」

「い、いや僕一人でここに来ました!」

「ダメだよー。だって君まだ未成年だろ、保護者が一緒じゃないと診察できないよ」

「違います! 診察してほしいんじゃない! この本のあなたに会いに来たんです!」

「えー、俺のファン? でもそんな本信じているの?」

「はい」


 まずい話が全然進まない。この男、人の話を聞かないタイプの人間か。良くそれで精神科医が務まったものだ。


「いやー照れちゃうな。んじゃサイン書いてあげるから、貸して」

「ち、違います! この本のアルバート・バーレン」

「そうそう、彼の半生を僕が綴った本だ。面白かった? 学会では全員馬鹿にしてきたけど、彼はたぶん『みえるひと』だったんだよ」

「ぼ、僕もそうなんです!」

「そう……俺のファンなんだね」

「違います! 僕にも……僕にもみえるんだ」


 僕は意を決しその言葉を放った。田沼は状況が呑み込めないのか、ポカンと口を開け僕を見つめていた。


「みえる? なにが?」


 キョトンとした表情の田沼が僕に質問を投げかける。僕は一瞬悩んだ。はじめてのカウントダウンが見えてから何十人もの精神科医にカウントダウンの話をしただろうか。

 その誰もが腹の底では全く僕の話を信じずに上辺だけの笑顔を振りまいて来た。『そうか、それは大変だったね』精神科医の決まり文句。僕が幻想を見る精神病だと診断する材料を十分すぎるといっていい程彼らに与えたのだ。

 この田沼雄二も同じ表情で僕に笑顔を振りまいて来るのだろうか、それが怖かった。しかし僕は里奈のカウントダウンを止める方法を探すためにここに来た。この男田沼雄二に頼るしかないのだ。


「他人の寿命が見えるんです!」

「へ?」


 どうせ笑うんだろ?

 アンタも他の大人と同じ上辺だけの笑顔を僕に振りまくんだろ?

 僕は俯き再び言った。


「だから! 僕にも同じ能力があるんだ! 他人の寿命がみえる! カウントダウンがみえるんだ!」


 僕は言った。くっそ!

 僕はまだ大人を信じるのか、何度裏切られた。何度踏みにじられた。何度病気だと言われた。違う。僕は病気じゃない。僕がみたカウントダウンは現実なんだ。


 僕は田沼雄二の顔を直視できなかった。きっと今この男も僕は頭がおかしい高校生だとしか思っていないだろう。

 しかし僕には誰かの助けが必要なんだ。信じてくれなくてもいい。アルバート・バーレンは何故『みえるひと』になったんだ。そのカウントダウンを止める方法は知っているのか。それを僕に教えてくれ。それさえ知れれば僕はまた精神病患者に戻ってもいい。


 長い沈黙が流れる。

 田沼雄二は僕に何も喋りかけてこない。普通の精神科医ならすぐに反応を示すはずだった。しかし何も言ってこない。僕は恐る恐る顔を上げ、田沼の表情を伺った。

 そこには真剣な表情をした彼が居た。


「詳しく、聞かせてもらえるかな」


 違う! この人は違う!

 この人は僕の話を馬鹿にしていない。上辺だけの笑顔も偽りの優しさも無い。この人は真剣に僕の話を聞いてくれるのかもしれない。

 僕は安堵のため息を吐いた。


「ここではなんだから、診察室へ行こうか」


 ――


「なるほど、君のその能力が目覚めたのは小学生の頃、それからずっと妹さん以外には理解してもらえなかったのか。それはさぞ辛い経験だったね」

「はい」


 僕は田沼と共に診察室で今まで僕の身の回りで起きた事をすべて話した。はじめてのカウントダウン、その対象者が祖母だった事。近所のおじさんが自殺した事。それから昨日まで起きたカウントダウンのいくつか。すべてを話していると時間があってもキリがない。

 そのため、里奈の部分はより詳細に説明をした。


「大人は誰も信じられないか……。わかるよ。いやその能力を僕が持っている訳じゃない。けれど彼もアルバートも同じ表情を浮かべていたよ。とても悲しそうなね」

「そうですか」


 いや聞きたいのはそんな事でない。


「どうすればカウントダウンは止められますか? そのアルバートは僕と同じだったんでしょ?」

「ちょっと待ってくれ。話を整理しよう。君の彼女、里奈さんは……」


 田沼は白衣の袖をまくり腕時計で時間を見た。

 僕もスマートフォンを取り出し現在の時刻を確認する。『10:03』ここに来て一時間が経ってしまった。


「あと、二日と十時間で死んでしまうと言う事か」


 僕は唇を強く噛み締める。残酷だ、無慈悲だ、ありえない。こんな事あっちゃいけない。こんな事が現実で起きるなんて。悪夢だ、早く覚めてくれと願う。


「俺がアルバートと出会ったのは俺がアメリカで精神科の仕事をしていた頃だ」

「はい、本で読みました」

「そうか、それなら話は早い。彼は不幸な死を遂げたけれど、最後に彼は言っていたよ。『人の運命は変えられない』ってね」

「そ、そんな……。それじゃ里奈は……! 里奈は死ぬしかないって事ですか!」

「落ち着いて。まだ話の途中だ。彼がそう言っていたんだ。けど俺はそう思っていない。『人の運命は変えられる』ってね」

「そ、それはどうやって⁉」

「これは俺の持論だけど、人の死には二つが存在する。俺はこれを『お迎え現象』と呼んでいる。一つは絶対に避けられない死の現象。君のお祖母さんがそうと思われる」


 お迎え現象、何とも締まらない名称だ。しかしそう文句も言っていられない。今はこの田沼の話に縋るしかない。


「祖母は老衰……」

「そうだ。人間の身体には限界がある、いくら寿命を延ばし延命したとしても、これには抗う事は出来ない。過去巨万の富を得た有名な人物も、偉大な功績を起こした人物もこれに逆らう事は出来ない。勿論、全身を機械の身体にすれば話は別だが、それだと精神の方がまいってしまうのでは、と俺は考える」


 確かにそうだ。いくら寿命を延命しても肉体と言うものに縛られていてはいつか朽ちる。生き物に生まれた故にそれだけは避けられない。


「これを内的要因の死としよう。肉体であり精神でありどちらもこれに当てはまる」


 つまり人の肉体が死ぬときに訪れる事を指しているのか。


「もうひとつはある事象が重なった場合に起こる」

「ある事象?」

「そう、内的要因の死というものがあるとすれば、その逆は?」

「……外的要因の死」

「そうだ。外的要因の死が存在する。直斗君、君が説明してくれた里奈さんの話。里奈さんはまだ高校二年生、老衰には早すぎるんじゃないか? って事は里奈さんに起こっている『お迎え現象』は内的要因ではない。病気の突然死も考えられるが、それこそ突発的なものだと俺は思う。里奈さんには何かしらの外的要因がそこに存在する。いや発生と言う方が正しいか」


 何を言っているのだ、何が言いたいのかさっぱりわからない。


「田沼先生、すいません。もう少しわかりやすく説明してもらえませんか」

「外的要因とはつまり、何かのキッカケで人は死ぬって事だ。事故、事件そのどれもが俺は外的要因による死だと思っている。つまり……それを取り除くことが出来るのであれば……」

「里奈は助かる?」

「理論上はね」


 いやそれはわかる、過去何度も対象者にそれを告げた事がある。けれど結果はすべて同じだった。カウントダウンの停止は起こらなかった。


「し、しかし、どうやって……」

「つまり、里奈さんを物理的に助ければいい」

「⁉」

「俺の予測が確かなら。あと二日と十時間後、里奈さんに何らかの形で外的要因が降りかかる。それを排除すればいい」

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