3-2 唯一無二の存在

 僕は少し冷静を取り戻し、里奈と一緒に駅まで帰る。

 いや嘘だ。僕は全然冷静を取り戻せてなかった。彼女は道中無言で優しく、そして慈愛に満ちた笑顔で僕を見つめてくれていた。勿論、心配をしている表情も見て取れた。けれどもその優しい眼差しはすべて僕に向けられていたのだ。


「家に帰ったらゆっくり身体休めてね」


 彼女はそう言い残し、駅の改札を通る。何度も振り返り手を振ってくれる。僕はその姿を見て心底自己嫌悪に陥っていた。

 どうして普通に返せない。どうして普通に接する事が出来ない。

 彼女は最後少し残念そうな表情を浮かべていた。きっと僕と一緒に帰る事を楽しみにしてくれていたはずだ。僕も楽しみしていた。けれどごめん。

 今の僕にそこまでの余裕は無かった。

 だって、里奈の、彼女のカウントダウンがみえてしまったから。

 僕は彼女の姿が見えなくなるまでそこに居続けた。正確に言えば足が動かなかったんだ。何をすればいいのか、どうするべきなのか。僕は思考停止状態に陥っていたから。


 僕はそこにただ立ち尽くしていた。

 どうする、どうすれば彼女を救える。大人は当てにできない。それで何度も裏切られた。信じられる友人。友人なんて僕には居はしない。もし仮に居たとしてもこんな事相談できるはずもない、笑われて終わりだ。

 僕はスマートフォンを取り出し、ある人物へ電話をかける。僕の唯一にして無二の存在。僕の能力を信じてくれる女の子。


「……もしもし?」

「千夏」


 織部千夏、僕の妹にして僕の能力を知っても尚、僕から離れなかった。それどころか僕が落ち込んだ時はずっと寄り添ってくれて、元気が出るまで一緒に居てくれた。

 彼女が中等部への入学で離ればなれになったが、僕が落ち込んだ時は駆け付けて慰めてくれる。その相談に乗ってくれる。僕のよき理解者。


「千夏……」

「お兄ちゃん? どうしたの? 何かあったの?」


 突然の兄からの電話。普通の反応だ。


「元気ないね……? も、もしかして、またみえたの?」


 本当に頼りになる。いちいち説明もなく無言の反応からそれを察してくれる。


「そうね。またみえたのね⁉ いま、どこにいるの? 今すぐ会いに行くからちょっと待ってて!」


 千夏はそう言ってくれた。僕は少しだけ救われた。本当に有難い。正直僕一人では何をすれば良いか全くわからなかった。


 ――


 僕は千夏より一足先に家に帰り自室に籠る。幸い両親は働きに出ており今日も帰りは遅い。一緒に住んでいた祖父も祖母も既に亡くなっているので今日もずっと一人だ。

 僕の家は一軒家で二階の一室が僕の部屋だ。僕は部屋に籠るとベッドに突っ伏した。

 思考が定まらない。どう表現すればいいのか。とにかく頭の中がぐちゃぐちゃだ。


 スマートフォンを取り出し今の時刻を確認する。現在、午後四時五十二分。僕はただスマートフォンの時計を見つめる。画面は刻一刻と時間を刻む。秒の表示はないので時間と分だけの表示。

 里奈のカウントダウンがみえて一時間が過ぎた。つまり彼女の命はあと七十八時間。


 しばらくして一階で物音が聞こえる。自室からでは階下の物音しか聞こえないが恐らく千夏が家に帰って来た音だろう。今の僕では泥棒が来たとしても無反応だったに違いない。本来なら久しぶりに実家に買ってきた妹を出迎えてあげられれば良かったのだが、僕にそんな気力が残っているはずもなく、ベッドに突っ伏してただスマートフォンを眺めていた。


 扉の向こうにある階段を誰かが上がる足音が聞こえる。足音が軽い。やはり妹千夏が帰って来たのだ。


「ただいまー!」


 扉の向こうから千夏の声が聞こえた。そして自室の扉が無造作に開かれる。本当ならノックぐらいしろよと笑って返すところだが、そんな余裕もない。

 ゆっくりと身体を起こし、自室の扉の前に立つ千夏を俺は見た。その姿はお嬢様学校の制服。電話をしてすぐにそのままの恰好で実家に駆けつけてくれたのだ。


「ちな……つ」

「お兄ちゃん」


 千夏は肩に下げていた鞄を地面に放り投げ、僕にゆっくりと近づく。そして優しく僕の頭を撫でた。


「またみえたんだね」

「うぅ」


 その瞬間、僕の堰がガラガラと音を立てて崩れた。手に持ったスマートフォンを地面に落とし泣く。止めどなく頬を伝い流れる涙。高校一年生にもなって一つ下の妹の前で泣く。これほど恥ずかしい事は無い。けれどどうしでも我慢が出来なかった。悔しくて、悔しくて、悔しくて。どうしようもなかった。

 やっと普通に暮らせると思っていた。やっと普通になれると思っていた。でもそれはたった一日も持たなかった。僕のささやかな願いは無情にも崩れ去ったのだ。

 神なんていない、もし神が居たならどうしてこんなにも残酷な事が出来るのだろう。


「辛かったね」


 千夏はそういうと僕を抱きしめた。とても優しく。

 僕は泣く。拭えど拭えど溢れ出てくる涙。声ともならない声、それが嗚咽となった。僕は心の中で叫んだ。助けてください。誰か僕を助けてください。どうして僕がこんな酷い目に遭わなければならないんですか。どうして僕の彼女が死ななければならないんですか。

 誰でもいい。教えてください。僕は幸せになっちゃいけないって事ですか。


 千夏に抱きしめられたまま僕はずっと泣いた。落ち着きを取り戻したのは一時間程後の事だった。

 千夏は僕の精神安定剤なのだと改めて知る。病院が出す精神安定剤の比ではない。僕がこのカウントダウンがみえる能力で落ち込んだ時は決して茶化す事も無く、ただ優しく抱きしめてくれていた。


「沢口先輩にカウントダウンが見えたんだね……」

「ああ……」


 少し落ち着いた僕は昨日から今日に起こった出来事を千夏へ説明した。はじめて好きになった里奈の事。昨日、告白してそれが受け入れられた事。そして下校時に里奈のカウントダウンが見えた事をすべて。

 里奈とやり取りは伏せようかと悩んだが、それも全部包み隠さずに話をした。隠していても何のメリットも得られないと思ったからだ。それに僕の反応をみれば火を見るよりも明らかだろう。僕にとって里奈はかけがえのない人なのだ。

 頭の良い千夏なら何か策を講じてくれる可能性もある。正直、藁にも縋る思いだ。

 千夏は僕の隣に座り、静かに聞いてくれた。


「僕は、僕はどうすればいい? どうやったら里奈のカウントダウンを止められると思う⁉ いやそもそも何で里奈にカウントダウンが現れたんだ⁉ 僕は……僕は一体どうすればいいんだ」

「ちょ、ちょっとお兄ちゃん。少し落ち着いて」

「これが落ち着いていられるか……! 里奈が……どうして」


 どうして里奈なんだ。何故か僕はその言葉を飲み込んだ。じゃあ里奈じゃなければ誰でもいいと言うのか。いやそうじゃない。けど、そうじゃない。誰一人として死んでほしくはない。


「僕が一番恐れている事が起きてしまった」


 親しい人間の死。これほど僕にとって残酷な現実は無い。僕のはじめてのカウントダウンがみえた祖母の死。あれは僕の人生を変えた死と言っても過言ではない。今度は差し迫る里奈の死。そんな現実、僕はもう耐えられる自信はない。


「お兄ちゃん。良く聞いて」

「な、なんだ」


 僕は千夏の言葉に耳を傾けた。もしかして何か講じられる策があると言うのか、里奈のカウントダウンを止める方法があると言うのか。


「運命には誰も逆らえない」


 今、なんと言った。


「な、なに……⁉」

「落ち着いて。人間、いや生き物すべてには運命が最初から決まっているんだよ」

「千夏、お前。何を言っている……」

「忘れたの? 前にお兄ちゃんは近所のおじさんの運命を変えようとした。けれどダメだったでしょ。おじさんは亡くなった。ううん、あのおじさんだけじゃない。お兄ちゃんはその能力で何人もの人を救おうとした事があるよね。でも全員ダメだった。人間の死は初めからきっと決まっているの。少しだけなら変えられるかもしれない。でも『運命の強制力』によってそれは再び動き出すんだよ」

「そ、そ……そんな事……」

「沢口先輩の事は正直私だってなんとかしたい。けど今まで一度だって運命を変える事が出来た⁉」

「じゃあ……このまま里奈を見送れって言うのか」

「あの赤ちゃんだってきっともう亡くなっている。映画館の帰りに見たよね。お兄ちゃんはそれを止めようとしたけど、たぶん無理だったよ。だって運命は変えられないんだから」

「じゃあ、何で僕には他人の寿命が見えるんだ!」

「お、落ち着いて」

「これが落ち着いていられるか……そんな現実……」

「でも……もしかしたら……」


 千夏はベッドから立ち上がり先程地面に放り投げた鞄を持ち上げる。


「これ」


 鞄から一冊の本を取り出し僕に見せた。それは一昨日テレビで見た田沼雄二の著書『みえるひと』。


「ど、どうしてこれを千夏が」

「あ、知っているの? 一昨日テレビのニュースでやっていてそれを偶然見てたんだ。あのニュース、お兄ちゃんの力に似ていると思って買った」


 なんて素晴らしい妹だろうか。


「私もまだ読んでないけれど」

「有難い」


 僕は千夏から本を受け取りパラパラとページをめくる。本の内容は『アルバート・バーレン』というアメリカ人をカウンセリングした経緯をまとめたものだった。


「この本に書かれている人、たぶんお兄ちゃんと同じ力を持ってる」


 テレビのニュース特集は天文部の先輩佐藤との諍いで見ることが出来なかったが、偶然にも同じニュースを千夏も見ていた。それで本を購入し僕の力になろうとしてくれていたのだ。


「ありがとう千夏」

「ううん、でもこの人。田沼雄二って人なら……」

「うん」


 藁にも縋る。大人は誰一人として信じられない。けれど、もしかするとこの大人なら僕の能力を信じてもらえるかもしれない。そして里奈を救う手立てを教えてくれるかもしれない。

 絶望に打ちひしがれた僕の心に一筋の光明が差し込んだ。それはまだか細い一縷の小さな光。けれどもそれは確実に。僕の暗闇を照らす。


 運命は変えられるかもしれない。

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