3-4 バタフライエフェクト

「直斗君、君はバタフライ効果と言う言葉を知っているかい?」

「な、名前だけは……。確か蝶の羽ばたきが地球の裏側にまで影響を及ぼすとか……」

「その通り、バタフライエフェクトとも呼ばれる。俺は人の運命はこのバタフライエフェクトだと思っている。蝶の羽ばたき程度のごく小さなキッカケでも、人間では想像も出来ない程の大きな事象を引き起こす事を言うんだ」


 人の運命がそんな小さな事で決まるとでもいうのか。それはさすがに荒唐無稽だ、しかしそれを否定する事も出来ない。

 しかし似たような意味を持つことわざも存在する。『風吹けば桶屋が儲かる』何か事が起きると巡り巡って思いがけない意外なところにも影響を及ぼすというものだ。

 田沼は再び袖をまくり、腕時計をチラリと見た。僕もつられてスマートフォンを取り出し現在の時刻を確認した。


「今から二日後の夜十時。その時里奈さんに何かの事象が発生する。若さから考えて内的要因ではないだろう。彼女の本当の年齢が八十歳や九十歳の婆さんで無ければの話だが」


 田沼は時々嫌味な言い方をする。里奈さんは高校二年生、そんな年齢な訳がないだろう。


「彼女に起こる外的要因。それが事故なのか、事件なのか……それとも」

「それとも?」

「言葉は悪いけれど、彼女が自殺する可能性だって考えられる」

「⁉ そんな! あり得ない!」

「そう言い切れるかい」

「言い切れる! 里奈さんは自殺をするような人じゃない!」

「何故だ」

「か、彼女には夢がある! それにそんなに弱い心の持ち主じゃない!」

「自殺をする人は、みんな心が弱いだなんて、ちょっと見方が一方的じゃないか。人が死を選ぶなんて意外と単純なものさ。君はその目で何人もの人の運命を見て来たんじゃないのかい。自ら命を絶つ人の人生を」

「僕の能力とそれは関係ない!」

「まぁそうだね、すまない。言葉が悪かった。話を戻そう。不毛な議論だ」


 アンタからはじめたくせになんだ。一体なんだその言い方は。


「彼女に起こった、それか、今から起こる小さな蝶羽ばたきが、彼女を殺す事になる」

「……それは一体……」

「それは俺にもわからないよ。君は彼女の彼氏なんだろ。何か彼女の身の回りで変わった事は無かったのかい?」

「変わった事……」


 昨日、里奈のカウントダウンが見えてからそれは何度も思い出していた。合宿中も至って普通だったし、下校中も特に気になった点は感じられなかった。

 とはいえ、カウントダウンが見えたことによって、その小さな違和感に気づけなかったのかもしれない。田沼が言う『人の死にバタフライエフェクトが関わっている』とすれば、ほんの些細な事なのかもしれない。付き合いたての彼氏がそれを気づける可能性は極めて低いように思えた。


「もう少し整理してみよう」


 田沼は机から一枚の紙を取り出し、立てかけてあったペン入れから一本のボールペンを取り出す。そして田沼は紙に何かを書き出した。


「君が『みえるひと』の能力で里奈さんを確認したのが何時だと言った?」

「え、え、と……確か午後三時四十分ぐらいです」


 田沼は僕が言った時間を紙に書く。


「うん、その時、彼女のカウントダウンは何分だった」

「七十……九時間です」

「君の能力は、九十九時間前まで見られる。そうだね」

「はい」


 それは間違いない。さっきまで見えなかった人間のカウントダウンが目の前で始まるのを見た事がある。


「デジタル表示で『99:99』と出ます。見えた時にはカウントダウンが始まっています」

「……俺のカウントダウンはみえるかい?」

「いいえ」

「なるほど、アルバートと同じだな。『99:99』より前はタイマーが作動していない。つまりカウントダウンが始まらないとその表示は見えない。そうだね」

「はい」


 そう、見えるすべての人間のカウントダウンが見える訳じゃない。田沼の言葉を借りるならタイマーが作動してからカウントダウンが見えるようになるのだ。


「月曜日の午後三時四十分の時点で七十九時間だから……逆算をすると……。日曜日の午後七時五十分。ここで里奈さんのタイマーが作動している」


 田沼は紙に時刻とカウントダウンを記入しながら言葉を続けた。


「二日後の午後十時五十分。ここでタイマーはゼロになる。ここまでもいいね」

「はい」

「問題はここだ」


 田沼は紙を持ち上げ僕に見せる。紙に書いた99:99の時点、つまりカウントダウンのタイマーが発動した時間を指さした。


「『99:99』の時点。ここで何か起きたんじゃないか? 里奈さんは日曜日の午後八時前どこに居たかわかるかい?」

「そ、その時間は……僕とLINEをしていた時間だと思います」

「彼女はどこに居た?」

「たぶん、家だと思います。少し前に夕食を食べたと言っていましたから」

「その時、何か気づかなかったかい?」

「そ、そう言われても……」

「LINEの履歴を見てもいいかい?」


 それを言われて気が引けた。初めてできた彼女とのLINE履歴。これほど恥ずかしい事は無い。けれど、これで里奈の命が助かるなら安いものだ。

 僕はスマートフォンを取り出しLINEを起動させ里奈との履歴内容を田沼に見せた。

 この時間まだ通話をしておらずLINEのスタンプや簡単なチャットで遊んでいたころだ。


「ふむ……ふむ……午後八時前後、特に変わった会話は見当たらないな。至って普通のカップルの会話だろう。この後十時になって通話を始めて午前二時まで通話していたのか」

「お互い寝落ちしてしまって……眠った時間はあまり覚えていません。十二時ぐらいまでは覚えていましたが……」

「うん。わかったありがとう。ふむ……」

「何かわかりましたか?」

「いや……」

「いや? そんな事じゃこまります!」

「まぁ困るだろうね。君はこんな得体のしれない精神科医に助けを求めるぐらい必死なんだから」

「そんな事言ってないじゃないですか!」

「自分でも考えるんだ」


 そう言われて頭に来てしまった。僕はカッとなり声を荒げた。


「考えてますよ!」

「だったら俺にばかり頼るんじゃない!」


 田沼も声を荒げる。その表情に僕は驚き気圧された。


「確かに君の能力は稀有な存在だ。しかしその能力を持っているのは俺が知る限り君とアルバートだけだ。分析をするにもデータが足りない。本来なら緻密な研究を行ってデータを集め、分析をしなければ俺もアドバイスなんて出来ない。けれど今は君の彼女が危険な状態だ、だから必死になって一緒に考えているんじゃないか。なら俺にばかり頼らず君も必死に考えろ! あと二日しかないんだぞ。必死になって思い出せ、彼女に起こった小さなキッカケを」


 田沼はハッとなり軽く咳払いした。


「すまない、君は俺を頼ってきてくれたと言うのに」


 僕は田沼に叱られ頭から冷たい水をぶっかけられたかのように全身に冷や汗が流れ出した。田沼の言う通りだ。本来なら里奈の事を心配するよりも僕の研究をしたいはずだ。里奈とは全く面識はない。正直、田沼からすれば里奈はどうでもいい存在なのだ。

 しかし田沼は必死に僕の話を聞き、必死になって一緒に考えてくれていた。

 ここに来た途端僕は田沼に助けを求め考える事をやめていた、それを忘れ僕は子供のようにただ叫ぶだけだった。


「こちらこそすいませんでした……」

「いや、本当にすまない。でもわかってくれ。俺も医者の端くれだ。救える命は救いたい。それは里奈さんだけじゃない。君の心もだ」


 今の今まで僕の話に耳を傾けてくれた大人は居たと言うのか。何の疑いも無く信じてくれた大人が居たと言うのか。

 この人も必死なのだ。僕も救える命は救いたい。奥もずっとそう思ってきたじゃないか。

 例えカウントダウンが見えなくても失わる命を救いたい。助けられる命は助けたい。

 

 一緒なんだ。この人は僕と一緒なんだ。

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