書籍化記念SS②


リコリスとロベルトが結婚してから数年後の話。

※リコリスとロベルトの娘が出てきます。



 ◇◆◇◆◇




「アリッサー? どこなのー?」


 子ども部屋、庭園、書斎、食堂──心当たりのある場所はあらかた探し回ったが、未だに探しびとは見つからない。


(いったいどこに行ったのかしら?)


 リコリスは廊下を歩きながらきょろきょろと辺りを見回した。

 おそらく屋敷の外には出ていない。いつも通り、屋敷のどこかで遊んでいるのだろう。

 そう頭ではわかっていても心配になるのが親心というものだ。愛しい夫によく似た愛娘になにかあったらと思うと、リコリスは気が気じゃなかった。


(あとアリッサが行きそうな場所は──)


「おかあさま」

「っ!」


 突如背後から聞こえてきた声に、リコリスの体はビクッとした。

 しかし、この鈴の鳴るような可愛らしい声が誰のものなのかなんて、考えなくてもすぐにわかる。

 リコリスはくるりと振り返った。


「アリッサ、いったいどこに行っていたの?」

「おかあさま、絵本を読んで」


 紫の瞳が印象的な黒髪の少女──リコリスの娘アリッサは、両手に持った絵本をリコリスに差し出してくる。

 こちらの問いには答えず自分の言いたいことを言うそのマイペースさに呆れつつ、リコリスはアリッサの手にある絵本を見つめた。


「これは……」

「おかあさまとおとうさまの部屋にあったの」

「……勝手に持ち出したのね」


 リコリスは咎めるように言ったが、それをアリッサが気にする様子はない。瞳の色だけでなく、中身も父親にそっくりで何事にも動じない娘なのだ。

 ひとつため息をついてから、リコリスはアリッサを抱き上げた。そして、アリッサが持つ絵本の表紙を見つめる。


 黒い髪と緑の瞳を持つ少女の姿をした妖精が中央に描かれたその絵本は、幼い頃リコリスがロベルトからもらった初めてのプレゼントだった。

 いや、正確に言えば少し違うのだが、リコリスとロベルトにとって大切な思い出の品であることは間違いない。


 子どもが生まれたら、この絵本を読んであげよう──そうロベルトと話していたことを、リコリスはふと思い出した。

 忘れていた……とは思いたくない。

 だが、初めての子育てにあたふたして、絵本の存在が頭の片隅に押しやられていたことは事実かもしれない。


「この子、おかあさまに似てる」


 そう呟いたアリッサは、絵本の表紙の妖精を指差す。

 幼い頃のロベルトも、リコリスにそう言った。だから、この絵本をリコリスのために買ってきたのだと。

 懐かしさにリコリスはくすりと微笑む。


「昔、お父様もそう言ってくれたわ」

「おとうさまも?」

「ええ。この絵本は、お母様が初めてお父様からプレゼントしてもらった絵本なの。……いいえ、正確には、お父様からもらった絵本はなくしてしまったから、別物なのだけれど……」

「べつもの……?」

「……色々あったの。でも、もう昔のことよ」


 幼いアリッサには、まだウィンター伯爵家のことは話していない。いつかは話さなければならない日が来るのだろうが、今はさほどその必要性も感じなかった。

 爵位を失った元家族が今どうやって生活しているのかは知らないし、興味もない。

 毎日忙しくて、楽しくて、幸せで──リコリスには悲しかった過去を振り返っている暇がないのだ。アリッサが生まれてからは特に。


 リコリスは目を細め、アリッサの柔らかな頬に軽くキスをする。


 さらりとした黒い髪に、長いまつ毛に縁取られた大きな紫色の瞳。子ども用のドレスを着たアリッサは、親の贔屓目抜きにしても天使のように愛らしかった。

 ロベルトはアリッサのことを『リコリスに似て可愛い』と言う。だが、リコリスはむしろアリッサはロベルトの方に似ていると思う。確かに背格好は幼い頃のリコリスと瓜ふたつだが、長いまつ毛や、綺麗な紫色の瞳や、スッと通った鼻筋は間違いなくロベルト譲りだ。


 そんなアリッサは、顔だけでなく性格もロベルトに似ている。物静かで、それでいて何事にも物怖じしない。

 好奇心旺盛なところもあるためたまに手を焼くが、リコリスとロベルトにとってはそこも含めて本当に可愛い娘だ。

 アリッサを可愛がっている親友のマリーナも、『今から将来が楽しみね』とカラカラ笑っていた。


 頬にキスを受けたアリッサは、くすぐったそうな顔をしてはにかむ。


「おかあさま?」

「──ちょうどいい時間だし、お茶にしましょうか。マリーナから美味しいケーキをいただいたの」

「おとうさまも一緒?」

「ええ、お父様も一緒よ」


 父親が大好きなアリッサは、満足げにふわりと笑った。

 リコリスは抱き上げていたアリッサを床へと下ろす。そして、ふたり手を繋いで、ロベルトがいる書斎へとゆっくり歩き出した。


 ふたりを迎えたロベルトがアリッサの腕に抱えられた絵本に気付いたとき、彼はいったいどんな反応をするのだろう──

 優しく細められた美しい紫の瞳を想像したリコリスは、幸せそうに頬を緩めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【完結】双子の妹になにもかも奪われる人生でした……今までは。 祈璃 @minamiiori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ