4-5 頼りはあの人

「僕もそう思う。静佳は歌を歌おうとしているんだ」

 梓がそう言うと、「そうだよね!」と響がはしゃいだ声をあげた。

「でも、歌うって何を?」と鈴が尋ねた。

「決まってるじゃない! この歌だよ、この歌しかない。梓が弾いた曲。みんなで生み出した曲なんだ。静佳はうちらのバンドのボーカルなんだよ。歌いたいと思うでしょうが」

 響が熱弁をふるう。聞いているうちに鈴の目が輝きはじめ、膝がしらがトントンと上下し始めた。リズムを刻みたくなってきたらしい。

「でも、歌詞がまだついてないよ?」

 鈴が梓を見た。

「歌詞ならもうついてるって。さっき、響と鈴が言ったことが歌詞だよ」

「えっ」と言い、響は鈴と顔を見合わせた。

「何言ったか覚えてないんだけど……」

「あたしも」と鈴も申し訳なさそうな顔をした。

「大丈夫」と梓はにっこりと笑った。

「僕がすっかり覚えているから」

 そもそも曲そのものが響と鈴の言霊の音から成るのだから、曲を弾けば言葉が再生される。梓はすらすらと言葉を音に乗せた。


 歌いながら、梓は静佳の口元の動きに注目した。静佳の唇の動きは梓を真似ていた。静佳は歌おうとしている。目を覚まして歌い出してはくれないだろうかと期待しながら梓は歌い終えた。

「いい歌だね」と、響がしんみりと言った。

「歌い手の技量はともかくとして、歌はいい歌だった」

「なんだよ、ひどい言い方だなあ。結構、がんばって歌ってみたんだけど」

 響の酷評に梓は苦笑いを浮かべた。

「はい、次、響と鈴の番。歌って」

「は?」と響が素っ頓狂な声をあげ、鈴は首がもぎれそうなほど頭を激しく振った。

「この歌は響と鈴の思いなんだから、二人が歌ってこそ静佳に伝わるんだ」

「その理屈はわかるけどさあ、あたしたち、歌下手だもん」と響は両手を振って拒んだ。

「上手い下手の技術の問題じゃないよ、歌は」

「確かに、技術じゃない。歌は心だよ」と響が言った。

「歌に魂をこめてこそ、静佳に思いが伝わるんだと思う。でも、歌に魂を込めることができる人間は静佳だけだよ。そんな風に歌えるのは静佳だけ……」

 響はそう言って、かたく閉じられてしまった静佳の唇を悲し気に見つめた。

「そうだね……」

 こぼれそうになる涙をこらえようと梓は顎をあげ、窓の外に目をやった。視線の端に花瓶の花が揺れていた。梓が昨日持ってきた言霊の花は新しく替えられ、今はスイセンの花が揺れている。そのスイセンの花がこくこくと頭を振ったように見えた。

「ああ、そうか、いるね」と梓はひとりごちた。

「何が?」と響は怪訝な表情を浮かべ、窓の外に何かが「いる」と思ったらしい鈴が梓の視線を追うように背後の窓を振り返った。

「もう一人、いるよ。歌に魂をこめて歌える人が。その人の歌う歌でなら静佳を取り戻せるかもしれない」



「おおうっ……」

 病室に現れた立華は、かしこまっている梓たち三人を目にし、眉根を寄せた。

「急に病院に来いって言うから何かと思ったら……。まさか、静佳に何かあったんじゃないだろうな」

「何かありましたけど、悪いことではないです」

 梓が笑顔を見せると、立華はほっと表情をゆるませた。

「悪いことではないということは、良いことだな? 何だ? 意識が戻ったのか?」

「意識はまだ戻りませんが……静佳が口を動かしたんです」

「それはすごいことじゃないのか?!」

 立華は、麦わら帽子を放り投げ、今にも踊り出しそうなほど興奮していた。

 あの嵐の夜、梓は立華に連絡し静佳が来ていないかと尋ねた。結果からいえば静佳は立華のもとを訪れてはいなかったが、その後に静佳の身に起こった出来事を知り、立華は静佳を気にかけてたびたび見舞いに来ていた。静佳が口を動かしたという知らせに、立華は梓たちと同じかそれ以上に驚き、喜んでいた。

「ひょっとしたら、意識が戻りかけているのかもしれない。医者には知らせたのか? 知らせただろうな?」

「いえ、まだ誰にも言っていません」

「おいおい、医者か少なくとも看護師さんには言わないと。静佳の意識を取り戻させるために何かしてもらえるかもしれない」

「そのことで、僕ら、立華さんをお呼びしたんです」

「そのこと?」と立華が怪訝な顔をしてみせた。

「はい。静佳の意識を取り戻させるために、です」

「待ってくれないか。俺は医者じゃないんだ。意識を取り戻すだなんて、そんなこと出来るわけがないだろうが」

「医者が投げた匙を立華さんに拾ってもらいたいんです」

 梓は、音楽を聞かせたら静佳の口が動いたと立華に話して聞かせた。音楽を耳にして口を動かしたということは、ひょっとして静佳は歌おうとしているのではないか、歌を聞かせたら意識を取り戻すのではないかという考えも披露した。

「なるほど、そういうことか。俺に歌を歌えと」

「はい。立華さんに歌ってもらえば、静佳は意識を取り戻すんじゃないかと」

「何でそう思った?」

「立華さんは歌に魂を込められる人だから、です。命を持った歌でなら静佳をこっちへ引き戻せるかもしれません」

「なるほど」

 立華はしきりと頷いていた。

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