4-4 歌の力

「なにそれ。それ被って病院まで来たの?」

 ギターを手に静佳の病室にかけこむと、先に到着していた響が梓の頭上にむかって指さした。

「あ、これ、静佳にあげようとおもって」

 梓は頭に被っていたリースを外し、静佳の枕元に置いた。

「クリスマスリース。『ファミリア』っていう名前がついてる」

「『ファミリア』って、スペイン語で『家族』っていう意味だよね」

 鈴がそう言うと響が「物知りだね」と感心していた。

「急に静佳の病院へ来いって呼び出されたんだけど、どういうこと?」

 響が身構えるように腕を組んだ。鈴は怪訝な表情で小首を傾げている。

 言葉を音に乗せて静佳に届けてみたらどうだろう。そう思いついたらすぐさま実行したくなった。音を作るには響と鈴の協力が必要だ。梓はギター片手に病院に向かって走りながら響と鈴の二人に連絡を取っていた。

「静佳をこの世に引き戻そうと思ってさ。その手伝いを二人にはしてもらいたくて」

「いや、待って。病院にいて、医者がついてて意識が戻らないのに、どうやって私たちが静佳の意識を戻せるっていうの?」

 すかさず響が問い返してきた。

「医者の真似事をしようっていうんじゃないんだ。同じことをしたって静佳の意識は戻らないってわかりきっている。僕らは違うことをしないといけない」

「それって、何?」

 鈴が聞き返した。

「僕らにしか出来ないこと」

「僕らにしか出来ないこと? あたしは音楽しか出来ないよ? ドラム叩くことしか出来ない」

「うん、鈴、それでいいんだ。僕らは音楽で静佳を取り戻す。僕たちの思いを音に乗せて静佳に伝えるんだ」

 梓は響を見やった。懐疑的だった響の瞳が今は輝き始めている。

「確かに、音楽は私たちにしか出来ないことだね。やってやろうじゃないの、鈴、梓。静佳が感動して目を覚ますような音を聞かせよう!」

 鉄は熱いうちに打てとばかりに、梓たちは曲作りに取り掛かった。

「あんまりかしこまらないで。頭に浮かんだ言葉を言ってみてよ。僕はそれを音にしていくから」

「わかった。前にもやったよね? あの時は確か紙に書いていったっけ」

 響が、わずか数か月前の出来事を懐かしんだ。紙に言葉を掻きつけていこうと言いだしたのは静佳だった。その静佳は今、深い眠りについている。

「紙に書かなくていいよ。響と鈴は、思いついた言葉を言っていくだけでいい。静佳に言いたいこと、思っていること、何でも言って。一度音にしたら僕が覚えているから」

 梓は自信たっぷりに請け負った。

「よしっ!」と響がめいっぱい気合を入れた。

「ねえ、静佳。聞こえてる? 聞こえていると信じて一番大事なことを言うね。大事なことは言葉にしてちゃんと伝えないといけないから。私たちみんな、静佳が大好きだよ。静佳は自分のことが好きじゃないみたいだけど。言葉がしゃべれなくなってしまったことと関係あるのかな? でも、どんな静佳だろうと、私たちは大好きでいるよ」

「静佳はね、言葉が口に出来なくて、でも他人の言葉なら言えるからって歌を歌って自分の気持ちを伝えていたよね。嬉しいこと、楽しいこと、悔しいこと……いろんな気持ちを歌っていた。でも、悲しい気持ちだけは歌わなかったね。悲しくないわけないよね。むしろ逆で、ものすごく悲しい気持ちがあったのじゃないかな。悲しみが大きくなりすぎて、おしつぶされそうになる心を守ろうとしたら言葉を失ってしまったんだろうね」

 梓は空中に視線を向けた。響と鈴、二人の放った言葉の言霊がキラキラと宙を舞っている。強いけれど暖かい光を放ち、済んだ音色だ。響と鈴の静佳に対する真っすぐな思いが伝わってくる。

 まだ音符の存在も知らず、楽器も弾けなかった幼い頃、梓は身近にある物を利用して言霊の音をとらえようとしていた。ペットボトルの口を吹いたり、鉄格子を木の枝でなぞったり。茶碗やコップを箸で叩いたりすると祖母には行儀が悪いと叱られたが、樹は梓の好きにさせておいてくれた。

 言霊はいつでも見えるわけではなかった。見えたり、見えなかったり、見えたとしてもぼんやりとしていて、すぐに見失ってしまう。

 あの日、「バーンハウス」で梓は言霊を見失った。悲鳴のように聞こえた言霊は今となっては静佳の発した物だったと確信している。

 同じ過ちを犯すわけにはいかない。意識を宙に集中させる。言霊はゆらりと漂っている。梓はその位置を追うだけでよかった。指先でギターの弦をはじく。言霊の音が鳴る。拾う音にも今は確信が持てる。

「梓……君って天才」

 ふいに自分の名前を呼ばれ、梓はギターを弾く手を止めた。顔をあげると、梓を天才と褒めた響は頬を赤く染めて梓を見つめていて、その傍らの鈴は涙を流していた。

「本当に、本当にきれいな曲」

 しゃっくりあげながら鈴がどうにか言葉をひねりだした。

 ふふっと梓は笑った。

「それはそうさ。だって、響と鈴の言葉がきれいなんだから。心からの思いだから美しい音になるんだよ。僕はただ音を拾って弾かせてもらってるだけ。きれいなのは二人の思いだよ」

「もう一度聞かせて。ううん、静佳に聞かせてあげて」

 涙声の響に促され、梓は再びギターをつま弾き始めた。

 優しいけれど、ほんの少しばかり寂しげなメロディライン。まるで子守歌を歌いながら赤ん坊の背を叩いているような規則正しくゆったりとしたリズム。

「あッ!」

 突然、鈴が大声をあげた。

「びっくりした!」

 驚いた響もまた大きな声をあげていた。夢中で言霊の音を奏でていた梓もびくりとしてギターを弾く手を止めてしまった。何事だと顔をあげ、鈴をみる。

 鈴は静佳の寝顔に見入っていた。鈴は静佳の寝顔から視線を放さずに「梓、ギターの演奏を続けて」と言った。その横顔がいつになく真剣だ。

 梓は言われるがまま、手を止めた箇所から弾き始めた。梓が弾き終えると鈴はふうと満足気なため息をついた。

「やっぱり」

「何がやっぱりなの?」

 一人合点している鈴に響が少しばかり苛立っていた。

「うん。あのね、今ね、静佳の口が動いたんだ」

「え?!」

 響と梓は同時に声をあげ、そっくり同じ動作で静佳を見やった。すかさず静佳の口に視線をやる。唇はかたく閉じられている。一、二分ほど凝視したものの、静佳の口は頑ななまでに動かなかった。

「本当に動いたの?」

 響が疑り深い視線を鈴にむけた。

「動いたよ」と、静佳を凝視したまま、鈴はこくりと頷いた。

「気のせいなんかじゃなかった。梓のギターを聞きながら静佳を見ていた時、口が動いたように見えたんだ。あっと思ったら、動かなくなっちゃった。気のせいかと思ったけど、ギターの音に合わせているように見えたから、確かめようと思って梓にギターを弾いてってお願いしたんだ。思った通り、静佳はギターの音に合わせて口を動かしていたよ。見間違いなんかじゃない」

 ささいな変化も見逃すまいと鈴の視線は静佳にはりついたままだ。

「うーん」と、響が唸った。簡単には鈴の言うことが信じられないようだった。

 梓もすぐには信じられなかった。ギターの音色に合わせて静佳が口を動かした。あり得ない――とも言い切れない。梓が奏でている音は霊力を持つ言霊なのだ。

「わかった。もう一度、僕がギターを弾いてみるから、二人は静佳の唇の動きを見ていて」

 梓はギターを抱え直した。響が期待に目を輝かせ、梓を見つめた。「静佳の口を見て」と、梓が照れると響は慌てて静佳の方に顔を向けた。

 梓は二度、三度と大きな深呼吸をした。そうやって期待に膨らみすぎた胸を落ち着かせたあと、ギターを弾き始めた。指は弦を抑えながらも目は静佳の口元を凝視する。最初の音が出るなり、静佳の口がほんの少しばかり開いた。

 息をしているだけかもしれない。そうでないことを祈りつつ、動けと念じるように静佳の寝顔を見つめる。

 縦に開いたり、すぼめたりと、静佳の口は息をしているには不自然と思われる動きをみせた。その不自然と思われる動きはギターの音と合わせてみると自然な動きに見えた。鈴の言った通り、静佳の唇は梓が奏でるメロディに合わせて動いていた。

「動いた……」と、驚きのあまり響の声はかすれ、「動いてる! 動いてるよ!」と、のんびり屋の鈴がいつになく興奮し、声がうわずっている。

「静佳、何か言おうとしているんじゃないの?!」

「何かを言おうというより……」と、響は両腕を組んで考えこんだ。

「もしかしてだけど、静佳、歌おうとしている?」

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