3-5 文化祭

 天気は晴れ、十月にしては気温が高く、空気が湿って重い。楽しみにしていた文化祭の日だというのに気分は上がらない。

 ノロノロと学校に向かう梓の肩を誰かが軽く叩いた。横を向くと静佳の笑顔があった。

「おはよう、静佳」

《おはよう。元気ないね》

「まあね……」

《せっかくの文化祭だし、楽しもうよ》

 気の抜けた返事から梓の落ちた気分を察したようで、静佳が明るく振舞った。

 軽音学部を文化祭に参加させるため、飲酒喫煙行為の濡れ衣をかぶった静佳は退部した。ボーカルを失ってしまうが文化祭には参加してほしいと静佳は主張したが、梓も退部を決めた。梓と静佳は二人そろって響と鈴に謝った。せっかく文化祭にむけて練習してきたというのに申し訳ないと言うと、事情をきいた響もその場で退部を決めた。鈴も退部すると言ったが、鈴が退部してしまうと鈴がドラムを兼任している他のバンドに迷惑がかかってしまうからと説得し、鈴の退部だけは阻止した。

「軽音学部に所属していなくたってバンド活動はできる」

 響は力強くそう言ってくれた。その言葉に梓も、一番に退部を決めた静佳も救われた。

 響の言葉通り、退部した後もバンド活動に変化はあまりなかった。これまで通り、放課後には立華のガレージ「バーンハウス」に集まって練習をする。練習には鈴も参加した。梓たちが退部したからといってバンドを解散したわけではないし、兼任を承知の上での練習スケジュールだったからと納得させ、「アズキ」での練習時間を作り出してくれた。

 変わりないといえば変わりない。放課後に「バーンハウス」に行くため、学校へはこれまで通りギターを持っていく。四月から続けている習慣だが、文化祭のこの日だけは梓の肩にギターケースがかかっていない。気の重さと正反対の肩の軽さを梓は居心地悪く感じた。

 居心地の悪さは肩の軽さだけではない。挨拶程度の言葉なら歌って口にしていた静佳があれ以来、どんな簡単な言葉でも歌わなくなってしまった。とはいえ、バンド練習時に歌は歌っているし、気持ちを切り替えたといって明るくクラスの出し物の準備に参加していた。過ぎてみればあっという間の二週間だった。

《後で鈴の発表を見に行こうよ》

「そうするとしますかー」

 梓は両腕を大きく天にむかってのばし、文化祭の飾りつけの始まった校門をくぐった。


 教室にはすでに数人の生徒がいて、文化祭の出し物の準備を始めていた。梓のクラスの出し物は「縁日」。大人も子供も安全に楽しめる出し物をとクラスで議論した結果、「縁日」に行きついた。一口に縁日といっても、縁日自体がいくつかの出し物で成り立っている。またしても話し合いを重ね、出す物は「カラーボールすくい」「輪投げ」「ダーツ」「ペットボトルボーリング」「水中コイン落とし」「トランプタワーチャレンジ」の六種類のゲームと決まった。「ダーツ」は安全性を考慮し、粘着式のボードとボールを使用することとなった。

 生徒はゲームごとに六つのブースにわかれ、それぞれのゲームの準備、設置から接客までを行う。梓と静佳は「トランプタワーチャレンジ」を担当する。「トランプタワーチャレンジ」とは、トランプのカードを上へ上へと立てていくチャレンジで、制限時間以内に並べられた階層の数を競う。

 机と椅子を取り払った教室は思いのほか広く感じられた。窓際、廊下側、教室の後ろの壁にそって六等分された場所でそれぞれのゲームの設営が始まった。「カラーボールすくい」のチームは子供用の小さなプールに水をはり、カラーボールを投げ入れている。「輪投げ」と「ペットボトルボーリング」チームはともに水を入れたペットボトルを床に並べ始めた。

 「ダーツ」チームは市販の吸着テープを利用した手作りのボールとダーツ盤を用意している。事前準備に一番手がかかったゲームだ。「水中コイン落とし」チームは机を並べ、水の入った瓶を机の上に準備した。「トランプタワーチャレンジ」チームにいたっては机を出し、トランプと砂時計を置くだけという手間で済んでいる。

 部活の発表の準備との兼ね合いもあって、クラスの出し物にはそこまで力を注げないというのが現実だった。しかし、景品には金をかけた。他のクラスの模擬店で使用できる引き換え券をメインに、子供の好きそうなぬいぐるみやおもちゃ、お菓子やジュース、タオルやティッシュなどの生活用品まで幅広い客層を考えて用意した。あとは客が来るのを待つだけである。

「お客さん、来ないね」 

 梓はふうとため息をついた。午前中とあって人出がそもそも少ない。天気の良さも手伝って人は校外の模擬店に集中しているとみえ、校内の出し物は閑古鳥が鳴いている。

《今のうちに他のクラスの模擬店とか見に行ってきてもいいよ》

 すっと静佳がタブレットを差し出してきた。

「あれ、スマホは?」

《今日はタブレットを使うことにしたんだ。スマホだとスクリーンが小さくて文字が読みにくいだろうけど、タブレットなら見やすくて接客しやすいかなって思って》

「タブレットか。なるほどね。考えたね」

《お客さんが入らないことには何の役にもたたないんだけどね》

 静佳は苦笑いを浮かべてみせた。

 暇を持て余しているうちに軽音学部の講堂での発表の時間が迫ってきた。三十分の休憩をもらった梓と静佳は、一緒に鈴の発表を見にいこうと誘うため、響の教室へとむかった。響のクラスの出し物は「メイド&執事カフェ」、昼時を過ぎたとはいえ、人はそれなりに入っている。

「響?」

 梓は響の姿を探した。すると梓たちを目指して黒服の小柄な生徒が走ってきた。

「もうそんな時間? はやく講堂に行こっ」

 執事の黒服姿の生徒の正体は響だった。

「歩きながら食べちゃおう」と響はサンドイッチの入った箱を梓と静佳にわたし、自分は歩きながらタマゴサンドをほおばり始めた。

「響、執事なの? メイドじゃなくて?」

 梓もハムサンドをくわえながら尋ねた。

「ただの『メイド&執事カフェ』だとありきたりだから、うちのクラスのは男女逆転、男子がメイドで女子が執事」

「へえ。おもしろいね」

「男子の方がノリノリ。女子は普段パンツはくこともあるけど、男子はスカートなんか絶対に着ないし。しかもメイド服のスカートだからさ。なんか、妙にはしゃいでる。頼まれて写真を一緒に撮ったりしてるよ」

「ちょっとしたアイドルじゃん!」

 そんな会話を交わしている間に、三人は講堂に着いた。

 講堂では軽音学部の発表がまさに始まろうとしているところだった。観客はそれなりに入っていた。発表は一年生のバンドからだ。梓たちのバンドの発表はなくなったため、鈴がドラムを兼任しているバンドからの登場となる。

 ステージに鈴が登場した。

「鈴―!」

 響が声を張り上げ、手を振った。気のせいか、鈴がこちらにむかって笑ったように梓には見えた。

 演奏が始まった。アップテンポの曲にあわせて、観客も体を揺らしている。トップバッターとしては上出来だ。

「鈴のドラム、かっこいいよね」

 思わず口をついて出た感想に静佳が深く頷いて同意してみせ、響は「そりゃそうよ」と握りこぶしで梓の肩を突いた。

 考えてみれば、鈴のドラムを客観的に耳にしたのは初めてかもしれない。鈴のうみだすリズムの波はいつも背後からせまっていて、梓は安心して身を任せていた。当たり前のように聞いていた鈴のドラムを正面から聞くと、その正確性とリズム感のセンスに圧倒される。

 あらためていいバンド仲間を持ったなあと感慨深く思うのと同時に、鈴と同じステージに立てていない今を梓は悔しく思わずにはいられなかった。

「あの、すいません、もしかして、『アズキ』のギターの人ですか?」

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