1-11 新しいボーカル

 スマホの着信音が鳴った。とたんにドラムのリズムが崩れ、ベースの土台が揺れ、それまでつながっていた音が糸の切れたビーズのようにパラパラとほどけていった。

「誰? 練習中はスマホの電源は切っておくか、ミュートにしておくのが決まりだよね」

 ベースを弾いていた馬場ひびきが声を荒げた。いらついた時の彼女の癖で、ショートカットの髪をもみくちゃにする。天然パーマでたたでさえ波打っている髪の毛先がそれぞれ思い思いの方向を向き始めてしまった。

「あたしじゃないよ」

 大きな瞳から放たれる響の強い視線を受け、ドラムの土門すずが首を横に振った。

「ごめん」

 鳴ったのは梓のスマホだった。練習中のルールなら百も承知だ。部室である音楽室のドアは閉め、自分たちが出す楽器以外の音は出さない。いつもなら電源を切っているが、ここ一週間はいれっぱなしにしていた。待ちわびている連絡を逃さないためだ。バイブにしておくだけでは自分たちが出した音の振動によるものとの区別がつきにくく、連絡を逃してしまう可能性があった。

「ああ、もう。集中力が切れちゃった。一旦、休憩しよ」

 響はベースを放り出し、スマホをいじり始めた。

 鈴は腰まである長い髪をかきあげ、ワイヤレスイヤホンを耳にし、音楽を聴きはじめた。ドラムセットに座る鈴の両足がリズムを刻んでいる。鈴の父親は寺の住職で、生まれる前から聞いていた木魚で鍛えられたリズム感だと鈴本人は冗談めかして言っている。その手にはスティックが握られたままだ。鈴本人いわく、スティックを握っていないと落ち着かないんだそうだ。

 梓はいそいそとスマホを取りだし、着信履歴を確認した。液晶画面にうつしだされたその名は待ちわびた人の名前だった。

「ボーカル、決まったよ」

「へえ、誰?」

 響は上の空でいる。スマホに集中するあまり、梓がもたらした情報の重要性に気づいていない。

「森川静佳」

「誰、それ」

「僕と同じのクラスの森川」

「何で梓と同じクラスの生徒がボーカルになんのよ?」

「ならないかって誘ったから」

「ならないかって誘ったぁ? あれ、もしかして、うちらのバンドのボーカルの話?」

 響が勢いよくスマホから顔をあげて梓を見やった。ただでさえ大きな瞳がさらに大きく見開かれている。

「何のボーカルだと思ったのさ」

「『スクエア』のボーカル」

「『スクエア』?」

「梓は洋楽聴かないから知らないか。アメリカのロックバンド。ボーカルが脱退して、新しいボーカルを探してるって聞いてたから」

 響は洋楽ばかり聴いている。梓は逆に邦楽が多い。日本語の音としての響きが好きなのだ。鈴はインストルメンタル系を聴く。好みもスタイルもバラバラな三人が集まったバンドには「アズキ」という名をつけた。梓のアズ、鈴のズ、響のキと、メンバー全員の名前をつなげた。

「うちらのバンドのボーカルが決まったって、すごいニュースじゃん!」

 ようやく事の重大さに気づいた響が大きな声をあげた。イヤホンの壁を突き抜けて響の声が届いたようで鈴が何事かとイヤホンを外した。

「何?」

「うちらのボーカルが決まったって。梓が見つけてきたらしいよ」

「え、すごいね! これでやっとあたしらも本格的にバンド活動できるってわけだね」

 鈴がスティックを握った両手でガッツポーズをしてみせた。

 梓たちのバンド「アズキ」にはボーカルがいない。軽音部入部当初はいたが、ボーカルは入部一か月で辞めてしまった。慌てて新入部員募集のチラシを作って配ったが、時すでに遅く、ほとんどの新入生は部活を決めてしまっていた。仕方なく、次の新入生が入ってくる時期、来年の四月まで待とうと諦めていた。

「で、誰?」

「僕のクラスの森川静佳っていう生徒」

「歌、うまいんだ。あれ? 響、全然喜んでないね」

 おおざっぱな性格で空気を読むのが苦手な鈴ですら、響の曇った表情に気づいた。響は、晴れのち雨、ボーカルが決まったというニュースに喜んだばかりで今はしかめっ面でいる。

「ねえ、梓。森川をボーカルにって、どういうつもり? ふざけてんの?」

 響が涼し気な表情を浮かべている梓をきっと睨みつけた。

「響、そんな言い方しなくても。せっかく梓がボーカルを探してきてくれたんだよ」

 すかさず鈴が、梓と響の間に割って入った。鈴はバンドのリズムキーパーでもあるがムードメーカーでもある。

「とりあえず、その森川っていう生徒の歌を一回聞いてみようよ。聞いてみて、それで気にいらなかったら、『ごめんなさい』しよ?」

「鈴、あんた、森川静佳のこと知ってて歌を一回聞いてみようかとか言ってる?」

「まだ顔と名前が一致してない生徒がいるんだよね。その森川静佳って生徒、何か問題あるの?」

「森川って、梓のクラスのあの森川よね?」

 響が確認するように梓の顔をみやった。

「そう、僕と同じクラスの森川静佳だよ」

「森川をボーカルにって、本気で言ってるの?」

「本気だよ。森川以外に僕らのバンドのボーカルはいないって思ってる」

「梓、ふざけるのもいい加減にしてよ」

 響が唸り、髪をくしゃくしゃにもみしだいた。

「さっきから何もめてるの? ひょっとして森川って生徒、歌が下手だったりする?」

「歌が下手も何も……。森川は口がきけないんだよ」

「はあ?」

 鈴の声がひっくり返った。細い目を思い切り見開いて鈴は梓を見つめた。

「口がきけないのに、歌なんか歌えるわけないじゃない?!」

「だから、さっきから言ってるでしょ? ふざけるなって」

 響は腰に手をあて、太い眉をつりあげて怒っている。

「何度でも言うよ。僕は本気で、ボーカルは森川しか考えられない」

「声が出せないのにどうやってボーカルやれるっていうの?」

 あきれかえっている響をよそに、鈴が無邪気に尋ねた。

「森川は、しゃべることは出来ないけど、声は出せる。だから歌を歌うことはできるんだ。しかもいい声だし、歌も上手い」

「梓は聞いたことがあるんだ、その森川っていう子が歌うのを」

「うん、一聴惚れした」

 梓は鈴にむかって力強くうなづいた。

「鈴も響も聞けばわかる。『百聞は一見に如かず』さ。いや、この場合は『一聴に如かず』かな? とにかく、一度聞いてみてよ。部室に来てくれって言っておいたから、そろそろ来てる頃だと思う」

 困惑している二人を背に、梓は部室である音楽室のドアを開けた。

 そこにいるはずの静佳の姿はなかった。そろそろ着いてもいい頃なのにと廊下に顔を出して様子をうかがうと、走り去っていく静佳の背中が見えた。

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