第2話 大樹

 “運命論”という言葉がある。 その内容は、世界のあらゆるの事象は全て予め定められたものであり、人間の意志や努力、その他あらゆる行動によって変化させることができないというもの。


 私は運命論者ではないが、どちらかというと運命論に傾倒している。 ただそれは、運命というものが存在していることを認めるただそれだけの意味であり、運命が絶対という立場では無いことを理解してもらいたい。


 人間は──いや、すべての生命は死ぬことを運命づけられている。 これに関しての反証は絶対に存在しない。 だからこそ、その運命に逆らおうと人間は不老不死を追い求めるわけだし、死の超克は人間の悲願だと私は考えている。 まぁ、生の期間が限られているからこそ、そこに人間の輝きがあるという意見もあるが、そのあたりの思考は別の者に任せよう。


 後の話になるが、「人間が死ぬのはただの結果であり、死というのは運命という言葉からは少し離れるのではないか。 死以外の運命は変えられるのではないか」という考えを只管に推す人物と会ったことがある。 彼の中で運命とは死を意味するのではなく、連綿とした流れの中の岐路がどこかに定められていること──謂わば巡り合わせのことを指しているらしい。 彼は、終着点たる死を広義の運命として、人生におけるそれぞれのターニングポイントを狭義の運命と置き換えているようで、狭義の運命は選択次第では変化させられるものというのが持論らしかった。 しかし変えられる運命というものは、そもそも運命の定義からは外れてしまうのではないか、と私は甚だ疑問に思ったものだ。


 何を言っているのか分からないだろう。 大丈夫だ、私も分からない。


 私が運命に関して話せば話すほどに迷走してしまうのは、人間の死の運命が見えてしまっていることに起因する。 これさえ無ければ、ここまで運命に関して考えることも思い悩むこともなかったし、死の運命すら変化し得るものだと信じられた──信じ切れたはずだ。


 ここで結論だけを先に述べておこう。 死の運命は、その時期すら定められている。 それが生まれた時点なのかそれ以前に定められたものかは分からないが、いつどこでどうやって死ぬということは変えられない運命だ。 だからこそ、「ここでこうすれば死を避けられたかもしれない」なんてことは、私からすればあり得ない。


 そうして私が色々考え抜いた末に得た答えは、運命とは死を意味する言葉であると同時に、そこに至る過程も全て運命として定められたもので、人間は運命に縛られた生き物だということだ。 その中で変化しうると考えられるものすらも、定められた結果に沿った選択に過ぎず、前述の彼の言うような変えられる運命というものは基本的に存在しない。 ただそれは、基本的にというだけで、何事にも例外は存在する。


 死の淵から這い上がって以降、私にはとある特殊能力が芽生えていた。 特殊能力──そう聞くとなんだか良いものに感じられるが、決してこれは良いものではない。



 “人間がいつ死ぬか分かる”、なんて。



 こんなこと、知りたいか? 拒否権があったなら、私はこれを受け取らなかったけどな。


 ただそれは、何時何分に死ぬことが分かるというような正確無比の能力ではない。 近いうちに死ぬんだなと、漠然と理解できる程度の能力だ。 こんな能力を与えられて、果たして人間はまともに社会を生きることができるだろうか。 いや、できないはずだ。 私も当然この能力に戸惑い、社会参加を見送ろうとした。 しかし生きていく上で労働は必須のため、渋々社会に溶け込もうとしているわけだ。


 全ての人間の頭上には光の筋が降りている。 それは木の根のように軽く蛇行した形状で、太さはマチマチだ。 その根だが、人間の寿命によって長さが決まっており、死が遠い者ほど長く上空まで通じ、死が近いものは短い。 なおかつ死が近づくほどに短くなる様が見てとれるので、本当に死が近い人間であれば、根が完全に失われた瞬間に死亡するという場面も目撃することができる。


「どうだろうか。 意味のない能力だろう?」


 人の死を見るのが好きという狂人であれば歓喜したかもしれないが、私には生憎そういった趣味嗜好は無い。 そもそも記憶を失った私には、私を構成していた性格というか人格が今や存在しない。 事故の前後でこの身体を操っているのはそれぞれ別人で、前の持ち主は死んだから今の私が生まれたのだろうと私は考えている。 そうなるといよいよ私が何者か分からなくなるし、考えすぎると自我がバグり始めそうなので、それ以上はあまり考えないようにしている。


 ……能力に話を戻そう。


 人間の死というのは、得てして面倒なイベントだ。 それが身内なら尚更だろう。 私自身はそれを経験していないので憶測で話しているが、これは概ね的を射た発言だと思う。


 当然、私には家族の寿命も見えてしまっていた。 私は彼らを家族とはどうしても思えないのだが、それでも彼らが家族というのは戸籍上間違いない事実なので、本能的にというか肉体的に、私は彼らの死を知ることを忌避していた。 それが私を家族という箱の中から追い出し、こうして孤独に生きることを選択させたわけだ。


 ようやく孤独を得たタイミングで私は考えた。 一体、人間は何のために生きているのだろう、と。 運命論的に死までの道のりが全て定められているのだとしたら、人間はどういう理由で産み出されているのだろう、と。


 今ここで思考している内容ですら全て定められた道筋をなぞっているだけなんてことは、たとえそれが事実であったとしても、信じたくはないし到底理解もできない。 だからこそ人間は絶対的な運命というものを信じず、あの彼のように運命は変えられるものだと思い込むのだ。


 私はそれで良いと思う。 私のような能力さえなければこのような思考にたどり着くこともないし、好きに生きていると錯覚できるのだから。


「案外、思考を言葉にするのは骨が折れるようだ。 運命云々の理解し難い話はこれぐらいにして……そうだな。ここからは、なぜ人間の頭上に繋がるアレが木の根なのかという話をしようか」


 私はそこで目覚めた。 というより、そこに生まれたというのが正しい表現かもしれない。


 「痛ぁ……」


 尻餅を付いたことで、その痛みが私を覚醒に導いた。


 気づけば、私はだだっ広く白い空間にいた。


 静謐さというか、純粋さというか、そんな言葉で表現できるような白。 それがこの世界を埋める大半のリソースで、その清らかな佇まいは決して人間世界では成立しないもののように感じられた。


 立ち上がる私の足元には、白を少しだけ翳らせる──この世界における影であろうものが染み渡っていた。 影とはいえ、それでも黒を感じさせないような、不思議な灰色が私を含めて地面を覆い尽くしていた。


 私は背後を見遣った。


 絶句。


 声が出なかった。


 全てを飲み込んでしまうほどの、あらゆるものの極地が私を見下ろしていた。


 そこにあったのは、天高く聳立する光の大樹。 白が緑を含んだことで、それは樹木としての存在感をより体現させており、その背に浴びせられた何よりも眩い無限の陽光が私の上に影を落とさせていた。


 私はそこに生命の息吹を感じた。


 脈動しているわけでもないのに、大樹からは烈しい鼓動が聞こえてくるようだった。 それは天からの恩恵を余すことなく全身に受け入れ、その足元から伸びた無数の根が光の大地から栄養を吸い上げていた。 また、根は大地を穿つだけでなく、私の眼下に存在している淡い水色の湖からも何かを回収しているようだった。 この環境を埋める何もかもが、この樹木を育てるためにだけに存在しているのだと、私は直感的に自然に理解できた。


 湖は、ドーナツ型に開いた大地の窪みに注がれた極上の清水から成り立っている。 あらゆる雑な要素を全て濾し出して、一才の穢れなく澄み切ったそれは、胎児を包む羊水のような暖かさを溢出させていた。


 水面を辿ると、その果ては遠く微かに見えており、これが海では無いということは私にも分かる。 そんな湖に囲まれた大地に、大樹は存在していた。


「ここ、は──」


 声は、出る。 それが私自身から発せられているのは分かったが、自分のものだという確証は得られなかった。 私が何者なのかという記憶はなく、だからこそ声の主が私だということに気づくまでに時間が掛かった。


「──あの世、だろうか? それにしては美しすぎる気が……」


 ようやくここで私が自分の身体を見てみると、ぼんやりとした人間の輪郭がそこにはあるだけで、そこには人間を形成する肌色だったりそういった色は滴下されていなかった。 つまりこの世界と同様に、私自身も真っ白な存在だったのだ。


 人間から人間を構成する要素を抜いたら、このような人型が出来上がるのだろう。 私はそんなことを考えつつ、状況把握に努めた。


「この世界に果ては……?」


 無さそうだ。 湖の向こう、どこまでも続く白は、果ての存在を感じさせない。


 私の他に人間らしき存在も確認できない。 たとえ誰かが居たところでお互いに白すぎて判別に苦しむだろうし、そもそも私こそ孤島に取り残されているに等しい。 この狭い大地で誰かに出会うことは無さそうだ。


 ズズ……──。


「……?」


 何かが地面を擦るような、蠢くような音。 その発生源を見れば、木の根が湖での水浴びを終えて陸に上がっている最中だった。 私は詳細に確認していなかったのだが、遠くの水辺でも同じような光景が繰り返されている。


「あれは、卵……?」


 木の根の先には薄い膜で覆われた淡く透明な球体──私が卵と表現する何かが付着しており、根の運動がそれらを湖から引き抜くためのものだというのが理解できる。


 透明の卵は水面から這い出ると、根から離れてそのまま宙へ舞い上がり、ゆっくりと上昇を続けていった。 それらの行き先は、光の大樹が高天で枝葉を伸ばす先。 枝に生った実が落下する一連の流れが逆再生されるような動きで、卵は枝に付着し、吸い込まれ、そして消えていった。


「もしかしたらあっちが根、なのだろうか」


 その動きだけを見ていると、枝の方が根のような吸収作用を示しているようにも感じられる。 なんとも不思議な光景だ。


 私はもちろん樹木の頂上も気になったが、それ以上に舞い上がる卵の正体が気になった。


 私は緩やかな斜面──砂浜に相当するであろうそこを降り、大地と水面の境界線までやってきた。


 私の近くで卵が浮き上がるまで体感で数分、いよいよその時が訪れた。

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