Obedient Dog Ⅲ


 肉体的にも精神的にもくたくたの体を強引に歩かせる。印象に残らないように、気丈きじょうに振舞わないとならないものだから余計に体力を消費した。


 202号室の扉を開き中へ入る。ぐらつく視界には暖炉を眺める少女が映っていた。私が外へと出ている間、ずっとそうしていたのだろうか?


「ただいまノエル」


 疲労感を隠さない声色で呼びかけた私は、大きな紙袋を丸テーブルの上にドスンと落とした。


 その勢いのままに自身すらベッドへ沈めたい衝動に駆られるが、なんとかこらえる。荷物の整理と食事、シャワー……やるべきことは多い。


 私は紙袋の中を取り出し始めた。飲用の水、瓶詰め、干し肉、少しのチーズといった保存食。加えてよく切れる小型の刃物と小さな鍋。本当はより大きなサイズのものが欲しかったが、路銀や荷物量との相談により断念した。


 それらをボストンバッグの中へ詰め込んでいく。その過程でアンチョビの瓶詰めが手渡された。


 何事かと思い顔を上げる。


「あぁ……ありがとう」


 先ほどまで暖炉を眺めていた少女がいつの間にか荷詰めを手伝ってくれていた。丸テーブルに置かれた瓶詰めを一つずつ、私へ手渡してくれる。


 それらを丁寧に受け取りつつ、私は瓶詰めをしまいこんでいった。


 最後の一つを受け取ったところで再び顔を上げた。こちらを見つめる少女と目が合う。その手には瓶詰めではないものが握られていた。


「それは……後で使うから紙袋の中へと戻しておきなさい。危ないから」


 荷物の整理を終えた頃、外はすっかり真っ暗になっていた。大通りを窓越しに眺め、点々とした明かりを発見する。寂れたとはいえ憩いの街だ。夜はある程度活性化するのだろう。


 遮光カーテンをザッと閉めた私は、少女の手を引きロビーへ向かった。受付の老夫と目が合い、私はつい身構えてしまう。


 そんな私を前に、老夫は自身の顎髭を撫で付けながら言った。


「ディナーは準備できているが……食べられるかね」

「え?」

「気を張っているように見えてね。喉を通るならいいのだが」

「……すみません。スープやサラダだと助かります」

「あぁならいいんだよ。メニューを変えなく済む」


 ロビー奥の大きな部屋へ案内される。そこは木組みの小さなテーブルと椅子が3組だけ並んでいる実に殺風景な空間だった。


 席につき、間もなく老夫が運んできたのは豆と野菜が中心のスープだった。 ……一口すすり、私は思わず涙をこぼしそうになってしまう。


 その感情を紛らわせるために少女へ尋ねる。

 

「……美味しいかい?」


 目の前に座る少女は実に上品にスープを口へと運んでいた。小さな口で食べるソレの中には、私のモノとは異なり肉が入っている。


 少女は口の中のものを飲み込むと、小さくだが首を縦に振った。


「温かいね」


 再び少女は首を縦に振った。


 

 ……そのようにして食事を終えた私達は自室へ戻る。各々おのおのでシャワーを浴びた頃には短針が9を指していた。


 遮光カーテンを開く。大通りは今だに繁盛をしていた。それは少し離れたホテル前の道でさえも。小さな橙の光が動いていることが見て取れた。 ……ソレを警察と考えるのは神経質が過ぎるだろうか?


 …………。


 私はため息を一つ吐いた後に、椅子へ座らせた少女の黒髪を櫛で撫でた。シャワーを浴びた後の少女の髪はしっとりとしていながらも、櫛に一つも引っかかることのなくサラサラと抜けていく。大事にケアをされ育てられた証拠だ。


 前方の鏡には私と少女が映し出されている。暖炉の火が揺らめくことにより、陰影は明滅を繰り返していた。


 そのような光景も悪くないと思ったが、今からする行いには少々邪魔だ。私はバッグの中のランタンを灯すと、対して暖炉の火に水をかけた。丸テーブルの上にランタンを置く。安定する灯りが確保できたところで、私は少女へこのように言った。


「ノエル、ごめんね。今から君の髪を切るよ。とても綺麗だから、こんな真似したくなかったけれど……そうも言ってられなくて」


 少女の反応とはやはり予想通りのものであった。ただ一つ頷くだけ。何も抵抗はしない。いきなり髪を切られるなんて嫌に決まっているのに。 ……そう思ってしまうから、私の心には雪のように罪悪感が降り積もっていく。


「ごめんね、ごめんね……本当に」


 私は謝りながらも、躊躇ためらいなく少女の後ろ髪へハサミを差し込んだ。やるか否かの葛藤なんて、既に結論は出ていたのだ。


 手際は良くない。考えられることなんてあまり痛みがないよう仕上げることだけだ。


 ハサミの開閉を繰り返す度に、ショキという小気味の良い音が聞こえ、手には極小の振動が伝わる。バサと髪が落ち、束のソレが事前に敷いてあった新聞の一面にばら撒かれた。


 …………。


「ノエル。私は君にとって酷い人間だね」


 腰まであった少女の髪を首裏ほどまでの長さに切り揃えたところで、私はそのように口走った。『口走った』という自覚があるからこそ、私は自身と交わした約束により言葉を留めようとする。


 ――しかし上手くいかない。まるで口が別に意志を持っているように吐露とろを続けてしまう。


 エマわたしは言う。


「君が見ている世界は、きっと優しいものに溢れていたよね。君はとても大事に育てられてきた。列車に乗る前に、駅員さんは飴玉をくれたし、ホテルのお爺さんにも思いやりがあったね。 ……酷いのは私だけ」


 少女の前髪にも手をかける。ハサミを浅く差し込んだ。


「君に恨まれていてもおかしくないと思う。だって君の幸せを奪ってしまったのだから……でも」


 あぁまずいと思った。しかし、もうどうにもならない。一度決壊してしまった感情の波は止まることを知らず外へと溢れていく。


「でも、君は私の…………えっ」


 手に触れる温もりに私は小さく声を上げた。見ると、少女はハサミを差し込んだ私の手にそっと手を重ねていた。


 その時になって私は自身の愚かな行為に気がついたのだ。


「ご、ごめんなさい! 私ったらなんて危ないことを……!」


 慌ててハサミを抜き取りテーブルの上に置く。誤って傷をつけてしまっただろうか? いや、流石に問題ないはずだ。でも万が一のことがあったら?


 取り乱しつつも私は言葉を紡ぐ。


「傷は大丈…………」


 再び私の言葉は遮られた。予期をしない温もりを感じたからだ。今度は手だけじゃない……全身だ。


 何が起こったのか分からなかった。いや、解せなかったという方が正しいだろう。その温もりのその意味を。


「あ……アァ」


 震える腕を回す。壊してしまわないようにゆっくりと。そうやって私は少女をひしと抱きしめ返した。


 昼間に溢したモノとは全く別の涙が溢れ出す。少女が受け容れてくれた、とに思ってしまったのは私のエゴに他ならないだろう。

 



 ※※※※※




 三日目の朝になり、私たちはホテルをチェックアウトした。その際に老夫は少女の髪を見て目を丸くしたが、何も言うことはなかった。私の心にチクリとした痛みが走って……それだけだ。


 珍しく天気は快晴だ。冷え切って澄んだ空気が全身を包む。深く息を吸うと胃の中まで凍えてしまうようだった。


 私はその場にしゃがみこむと、少女のマフラーを巻き直し、ニット帽を深々と被らせた。


「列車に乗るまではちゃんと身に付けておいてね」


 コクリと頷いた少女を連れて閑散かんさんとした街を歩く。数十分後に乗り込んでいるはずの列車は、これよりも更に北へ向かうものだ。私はその列車に乗るためこの街に滞在していたのだ。もちろん補給という意図もあるが。


 間もなくして駅へと到達をした私と少女。寂れた街の、寂れた駅の、寂れた地方へと向かう列車を待つ人間とはほんの数える程度だった。私はその事実に胸を撫で下ろし、少女と共にガランとしたベンチに腰をかけた。


 少女の手を握る。


「もっと北上すると、もっと気温は下がるよ。ひどい時なんかは水を空気に撒くと途中で凍ってしまって、結晶が出来るんだ。綺麗でね、小さい頃はよく遊んだよ」


 私はそのようなことを言いつつ、自身の指を少女の指へ絡めた。 ……細くて、華奢な指だ。少し力を加えてしまえば簡単に壊せてしまうほどに。私は指を絡めた。優しく包み込む。


「……離したくないな」


 冷たい空気を吸い、吐いた。濃く濁った二酸化炭素が空を一瞬だけ舞い、すぐに霧散むさんした。その痕跡を辿り私は顔を上げる。 ……その時になってようやく気がついた。




 ――複数の目が、私たちを見ていることに。




「ワンワンワンワンワン!!!」


 けたたましく犬が鳴く。犬種はドーベルマンで断尾だんび断耳だんじが為されていた。


 私の顔はすっかりと青ざめる。


「警……察犬」

「失礼」


 冷徹な声がかけられる。この雪国の中で最も冷たいモノでだった。反射的に顔を向ける。


「少しお話を伺っても? 『娘さん』と共に」


 差し出される手帳。警察手帳。向こうの方に見えるのは、道を塞ぐ警察官たち。野次馬。包囲網。


「ここでは寒いから、駅にでも入りませんか? なに、すぐに終わらせますよ」

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ………………」


 取り繕いの暇もなかった。みるみる青ざめるその顔も、早鐘はやがねを打つ心臓も、震え出した身体も……もはやどうにもならない。


 私は少女を抱きしめた。


「アァァァアアァァアァァ!!!」


 激昂。抵抗にも満たないその行為とは、この場において何の足しにもならなかった。気がついた時には私の視界から少女が消えていた。真っ暗な冷たい地面。叩きつけられた頭が朦朧として、意識が働かない。手首に金属がはめられる。


 私は叫んでいた。


「返して……返して!!!」


 叫んだ。


「私はその子のことを愛している!!!」


 叫んだ。


「私にはその子と共にいる正当な理由がある!!!」


 叫んだ。


「私はノエルの……母親だ!!!!!」


 ナイフで切りちぎった髪を大柄な手で鷲掴みにされる。強制的に上げられた視界には不機嫌な警察官の表情が映っていた。


 

 ――私が意識を手放す直前、彼はハッキリとした口調でこのように言い放ったのだった。



「そこにいかなる事情があろうが、罪人は罪人だ。お前は法を犯した」



 

 …………何がいけなかったのか? 全てが良くなかったのだ。レイデンレーヴで『シャーロット』と呼ばれる少女を見つけてしまった時から、ずっと。


 

 私は狂っていた。今なお狂っている。私は酷いやつだ。



 私は、罪人だ。



 

 『END ~Obedient Dog~』

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Fragile Snow Days しんば りょう @redo

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