Obedient Dog Ⅱ


 丸二日間を列車の中で揺られ続ける。極北で最大の街、オルコウホで下車をする大多数の乗客を車内から眺めた。


 がらんどうの車内から談笑が聞こえることはもう無い。他人からの視線に怯える必要のない気楽さを、これほど感じたことはなかった。ブラインドを上げる。鉛色なまりいろの空の下に、小さな建物群を発見した。


 私は初めの目的地である、その街の名前を呟く。

 

「レストスノウ」


 間もなくして列車は停車した。


 


※※※※※




 レストスノウは、雪山で獣狩りをする狩人達がその身を休める街だ。オルコウホから取り寄せた醸造酒と近くの山で獲れる新鮮な獣肉が有名で、そこそこに栄えていた記憶がある。


 しかし私が少女と共に足を踏み入れたソレは、随分と寂れていた。個体減少数を危惧した政府による法的措置により、極北に生息する鹿と狼の狩りに厳しい制限が設けられるようになったことが大きな要因だ。


 10年前に見たレストスノウはもう無い。そこにあったのは幽霊街に果てるのを待つばかりの、寂れた雪の街の一つであった。


 私は長く時間をかけて息を吐いた。いとも容易く凍りつく息は、列車に乗る以前よりも白みがかかっている。


「くしゅっ」


 少女が可愛らしいくしゃみをこぼした。見ると、彼女の鼻は薄っすらと赤らんでいる。この気温に慣れていないなら無理ないだろう。

 

「……行こう。ホテルは暖炉が備わっているよ」


 少女の手を引きホテルまで歩いてゆく。大通りの端っこを歩くが、あまりに人気ひとけがなかった。もうここには誰も住んでいないのではないか、なんて錯覚紛いに襲われるが、ときたま開店をしている店はあり、カウンター席に揺れる足を発見する。


 酒場、レストラン、金物屋、理髪店に雑貨屋。ざっと歩いたところでそのような店の並びを確認できた。ホテルまでの道中にて、そこに至るまでの道順を逆算する。そのような奇妙な行いとは、今の私にとって必要不可欠だった。


 やがて辿り着いたのは、その外面を深い青色で塗りたくった3階建ての建物、改めホテルだった。その玄関口を目に捉えながら私は乾いた唇を舌で舐める。声の抑揚とトーン、話す内容、話さない内容をシナリオ立てて頭の中で反芻はんすうする。


「行こうか」


 少女の手を握り直し、私はホテルの金属扉をゆっくりと開いた。


「……いらっしゃい」


 薄暗いロビー空間の中も、ホテルの外壁と同じ青で統一されていた。アンティークのソファや棚が壁に沿うよう設置されている。中でも赤々と火を灯す暖炉には自然と目が奪われた。


 私は受付の机で伏し目がちに頬杖をつく老夫の元へと歩を進めた。声が震えないよう気を張りつつ、口を開く。


「私とこの子で二泊を希望します」

「そうかい。 ……珍しい。ここらでは見ない顔だ」

「昔、主人とここで食べた鹿肉のクリーム煮の味が忘れられなくて……まとまった休暇が取れたものですから」

「あぁそういう奴はたまに居る。そういう奴しかこの街には来ないよ。生憎あいにく、真新しさなんて何もないものでね」


 見た目に反してよく喋る老夫は、簡単な契約書と宿泊に伴う書類をこちらに差し出した。私は羽ペンを左手に握り、記入欄を埋めていく。


 人数は二人。

 滞在期間は二日。

 喫煙はNO。

 朝食は要らない。

 シングルベッドも可。

 名前は『エマ・ブラウン』と『ノエル・ブラウン』

 滞在理由の欄は任意のために空白。


「二日間だけですが、よろしくお願いします」

「客はブラウンさん、あなただけだ」


 差し出された老夫の手は乾燥をしており、ゴツゴツとしていたが力は強かった。雪国の男の手がこのようなものだっと思い出す。


「ではごゆっくり」


 老夫から差し出されたルームキーを受け取る。私は振り向き、少女のことを呼ぼうとした。しかしながら振り向いたところで少し固まってしまう。


「……暖炉が珍しいかい」


 伏し目がちな老夫がそのように尋ねる。少女は暖炉の前にしゃがみ込んでいた。クレヨンで塗りつぶしたような黒色の目には、揺らめく炎が映り込んでいる。口を半開きにしている少女……そのような姿を見るのは初めてだった。


「ノエルは雪国の生まれではないので」

「そうかね。まぁいくらでも見ていきなさい。部屋にも備え付けはあるがね」

「ありがとうございます。 ……ノエル、部屋に行こうか」


 手を引っ張るとノエルは簡単に立ち上がった。私は老夫へ軽くお辞儀をして階段へと足をかける。


 そのタイミングで老夫から声がかかった。


「あぁそうだ。ブラウンさん、一つ言うことを忘れていた。先週にレイデンレーヴで起きた誘拐事件を知っているかね」

「……えぇ。物騒な事件ですよね。それがどうかしましたか」

「いや大した話ではないのだがね。誘拐された嬢ちゃんによく似た少女を、どこかの……名前は覚えていないが、駅で見かけたなんて話があってね。極北の地域一帯が活気づくだろうって話だ。饒舌な警官がこの街に居てね」

「そう、なんですか……怖いですね」


 私が愛想笑いを浮かべると、老夫はゆっくりと首を横に振った。

 

「すまない。余計なお節介だったかね」

「いえ、そんなことは。 ……行こうノエル」


 ノエルの手をギュッと握りこみ階段を上がる。ルームナンバー202の鍵穴を回し、ボストンバッグを部屋の奥へと放り投げた。私はすぐにバスルームへと駆け込む。


 洗面台の蛇口をひねり、胃の中のモノ全てをぶち撒けた。


「はァ……はァ…………アァ゛」


 唾液と涙と鼻水で視界がぐちゃぐちゃになる。私はそれを拭おうともせずに、先ほど放り投げたボストンバッグのサイドポケットを開いた。


 中から取り出したのは、硬貨よりもひとまわり小さい円状の固形物が入った瓶。私は震える手でその蓋を回し、クスリを三錠飲み干した。その場にうずくまる。


 

 苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、



 苦しい。

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