第19話

「ワトソン博士がある種の天才なのは確かだろう。なにしろこのぼくを生み出したのだから」

 千鳥格子模様の茶色いジャケットにベスト、黒い膝丈の半ズボンという出で立ちの美少女が、手にしていたパイプの柄で臆面もなく自分の胸を指差した。


「しかしその才能が科学者としてのものかといえばぼくは些か疑問に思うね」

「ホームズちゃん、こんにちはー」

 空はにこにこと手を振った。


「ごきげんよう、空くん。今日は縞パンではないのかな?」

「今日はピンクの水玉です。ホームズちゃんは?」

「ぼくは白と黒のツートーンだ。前が白地、後ろが黒地でなかなかシックで気に入っている。見せっこでもするかい」


「いいよ、それじゃあ」

「やめなさい」

 短パンに手を掛けた空の脳天に洋子はチョップを落とした。相手の方が背が高いのでジャンピング唐竹割りだ。

 亜麻色の髪にハンチングを被った少女を胡散臭げに眺め、それから後ろの白衣姿の青年を敵意を込めて睨みつける。


「ワトソン博士もこんにちは」

「こんにちは逢田さん。体育だったようだね。お疲れ様」

 ワトソンはいつものように微妙に視線を逸らしながら応じる。


「あの、今のお話ですけど」

 遊佐がワトソンに尋ねる。

「何か?」


「和藤さんの才能は科学者としてのものではないって。どういう意味ですか?」

「いや、僕に訊かれても……」

 ワトソンは口籠った。目があちこちに忙しなく動き、挙動不審の度合が増している。


「変態としての才能しかないってことでしょ」

「いや洋子くん、それは違う」

 ディスプレイ上の美少女は、人差指を左右に振って否定した。


「ワトソンには変態としての才能はもちろんあるが、決してそれだけにはとどまらない。他にもロリコンとしての才能、ペドフィリアとしての才能、引きこもり、ニート、オタク、変質者等々、枚挙にいとまがないほどだ」

「おいホームズ何を言って」


「用務員としてだってこれでなかなか立派なものだしね。医者としての才能はせいぜい並といったところだが」

「へえそうなんだすごいね」

 洋子は全く抑揚を付けずに言った。


「洋子くんにはきっと意外だろうが、ジゴロとしての才能だってなくはない」

 ホームズは真面目腐った調子で続ける。タブレットを持ったワトソンはひどく決まりが悪そうだ。


 馬鹿馬鹿しい。洋子は思った。どういう仕組なのかは知らないが、ホームズが喋っているのは全部ワトソンが考えたことだろう。つまりは自作自演だ。


「今のが私の質問に対する答えなんですか?」

 遊佐が不服そうに問うと、ホームズは肩を竦めた。

「まさか。これまで並べたのは全て瑣末なものだ。才能があるとはいっても一般の枠の中の話でしかない。天才というにはほど遠い」


「じゃあ一番重要なものが他にあるんですね? それはどんな才能なんですか?」

「それは」

 ホームズは面を伏せた。


「ぼくの口からは言えないな」

 遊佐は失望したようだった。だがそもそもちゃんとした答えが返ってくることを期待する方が間違っている。


「行こう、綾香、空。下手に近付くと危ないわよ。精神が汚染されるわ」

 遊佐は頷くと歩き出した。空はもっと話していたそうな雰囲気だったが、洋子が視線でプレッシャーを掛けると、「またね、ホームズちゃん」と踵を返した。


「いいのかい、洋子くん」

 凛とした声が呼び止める。薄っぺらい機械から出ているだけのくせに、やけに意味ありげな響きがあるのが気に入らない。


「きみは我々に相談したいことがあるのではないかな」

 我慢できず、洋子は振り返った。小粋だが場違いな扮装をした少女が心を見透かそうとするように洋子を捉える。


 けど錯覚だ。だってこんなのただの絵だ。本当にそこに存在しているわけじゃない。心も意思も持ってない。気後れする必要なんてない。しかしその持ち主はどうだろう?


 何をされるか分らないから近付くな、と洋子は空に言った。だが洋子自身が今まで本当に警戒していただろうか。気持ち悪いし傍に来られると不快だが、どうせ何もできはしないと高を括り、取るに足りぬ相手だと見下してはいなかったか。


 だが改めて見ればワトソンは女子小学生の洋子達よりも当り前に背が高く、肉体労働も多いだけあって体格もいい。もし本気で襲われたら為す術なく押し倒されてしまうに違いない。


 もし、じゃない。洋子は寒気を覚えた。ほんの十何時間か前に実際にあったことだ。空に覆い被さっていた人影と似たような白衣を纏った男が、洋子の目の前に立っている。


 これは脅しなのだろうか。余計なことを喋ったらただではおかないというような。それとも悪意の予告。次はお前の番だ、覚悟しておけ。

 すぐにも走って逃げ出したい。ワトソンの目と手の届かない距離まで遠ざかりたい。


 だがそれでどうなるというのか。学院の中にいる限りたいして違いはない。ホラー映画じみた場面が洋子の頭の中で再生される。月の出ていない夜闇を貫き、少女の悲鳴が沈黙の校舎を震わせる。徘徊するは白衣の怪人、幽霊のように現れては消え、誰も何の対策を取れずにいるうちに、被害者の数ばかりが増えていく。

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