第20話

 あるいはサイコサスペンス風の展開だ。毎年一人、学院の少女が失踪する。行方は杳として知れない。自分の意思で出て行ったのか、何者かに拐かされたのかすら分らない。だが些細な偶然の悪戯により、ある生徒が気付いてしまう。少女達はいなくなったのではなかった。収集されていたのだ! 少女という存在に対し、偏執的な愛情を抱く異常者の手によって。学院に棲息するその男は、昼は何喰わぬ顔で用務員として働き、夜はガラスケースに入れられた永遠の少女達のコレクションを鑑賞して悦に入る。そしてその秘密を知ってしまった生徒に白衣の殺人鬼の魔の手が伸びる……。


「ねえ、いつまでここにいるの?」

 腕を揺すられて洋子は我に返った。

「あ、空……」


 既にワトソンの姿は消えていた。周りを見渡してみてもクラスでまだグラウンドに残っているのは空と洋子の二人だけだ。


「あたしどのくらいぼうっとしてた?」

 目眩にも似た不安を覚えて尋ねる。もしや質の悪い催眠術みたいなものを掛けられ、幻覚の世界に長時間に渡って捕えられていたのではないか。


「うーん、二分か三分だと思うけど」

「あ、そう」

 別にそんなこともなかったらしい。少し反省する。妄想の世界に浸るのは、実家で映画を観ている時か布団の中だけにしておこう。


 だがワトソンが怪しいことには変わりない。昨夜の怪事の容疑者筆頭なのはもちろん、空の短パンがなくなっていたのも奴の仕業じゃないのか。


 用務員なのだから校舎への出入りは自由だろう。実際、作業をしている姿を見掛けたこともある。今日の理科は実験だったから、皆が理科室に行っている間に誰もいない教室に忍び込んで短パンを盗むぐらい簡単だったはずだ。


 なにしろ女の子の下着を普通に持っているような変態である。短パンに手を出しても何の不思議もない。さっき話し掛けてきたのだって、体育の授業をどこかでずっと盗み見していた直後だったのではないか。

 またしても身の毛がよだつ。今度は恐怖よりも嫌悪の方が強かった。肌を舐められているみたいな気持ちの悪さ。


 教室に戻ると既に次の授業が始まっていた。体操服姿のまま遅れて入った二人を見ても担任の刈谷かりやは怒りも気遣いもせずに先に進める。


「じゃあ問四を、先坂さん」

「はい」

 身を屈めるようにして自分の席へと向かいながら、洋子は「おや」と思った。朝に怒らせてしまった後ずっと雲隠れしていた先坂が四時間目にしてようやく復活したらしい。


 屋上や校舎裏でうだうだしている図というのは想像しづらいので、たぶん気分が悪いとか適当な理由で保健室で寝ていたのだろう。


 とにかくちゃんと謝っておかないと。

 悪いことを言ってしまったのは間違いないし、空への誤解も解いておく必要がある。


 無駄に気位が高かったり、下らないことで突っ掛かってきたりと、面倒なところもある先坂だが、クラスの一部からの信望はなかなか厚い。もし洋子と先坂が正面から敵対するようなことになったら、クラスが真っ二つに割れてしまう恐れもなきにしもあらずだ。


 それにそういう姑息な話は抜きにしても、先坂なら傷つけても構わないなどと思うほど嫌っているわけでもない。


 しかし仲直りする機会は得られなかった。どうも避けられてるっぽい雰囲気だった。目が合いそうになると寸前で逸らされる。こちらから席に近付こうとすると途端に席を立つ。そういったことが繰り返されて、だがそれを押してまでという気にもなれず、ついに放課後となった。


 まあいいか、と思う。また仕切り直せばいい。向こうが話したくないという時に一方的に謝ってみせてもたぶんいい結果にはならない。急ぐ必要はない。

 それに今はもっと気にすべきことが他にある。


「先生、ちょっといいですか」

 帰りの会が終わり、生徒の誰より先に教室を出た刈谷教諭のことを洋子は廊下で呼び止めた。


「ああ、姫木ひめぎさん」

 刈谷は仕方なさそうに振り返る。

「いいわよ。ちょっとなら。でも面倒な事なら姫木さんに任せます。信頼してるからあなたがいいと思った通りにして頂戴。それじゃあさよなら」


「あの、あたしまだ何も言ってませんけど」

 洋子はさすがに声を尖らせた。

「だって面倒な事なんでしょ」

 間髪を容れずに刈谷が答える。


「どうしてそう思うんですか?」

「簡単に済むような事ならわざわざ先生に声を掛けたりなんてしないでしょう。自分で片付けようとするはずだわ。あなたはそういう子だもの」

 確かにその通りかもしれない。少し己を省みる。


「あたし、もっとまめに先生に相談した方がいいでしょうか」

 放置が基本の無責任系教師かと思っていたが、実は洋子があれこれやってしまうせいであえて好きにさせていたのかもしれない。それならば洋子にも改めるべき点がある。


「しない方がいいわね」

 だと思った。

「それでも今回は聞いてもらいます。もし何もしないでいたら、もっと大変なことになるかもしれませんよ」

 婉曲な脅迫だった。刈谷は渋い顔をした。


「なかなかこしゃくな言い回しを使ってくるじゃない」

「すいません」

「いいわ、聞きましょう。やらなければいけないことなら拙速に、って古典の本にもあるものね」

「手短に、だったと思いますけど」


「話は逢田さんのことね」

 どうして分ったのか、などと驚きはしなかった。刈谷は空の方を見ている。一緒に連れて来たのだから関係があると思うのは当然だ。


「よろしくお願いします、先生」

 空は頭を下げた。礼儀正しいのはいいことだが、今の場合は何かずれている気がする。

 刈谷も似たようなことを感じたらしい。反応に困ったように束の間沈黙する。

「とりあえず場所を変えましょうか。立ったまま話してると疲れるわ」

 既に疲れを感じているみたいな口振りだった。

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