第18話

 空が体育をやりたがったのは伊達ではなかった。

 正直、授業が始まるまでは、空は運動神経の鈍い子に違いないと洋子は決めつけていた。


 体は大きいから腕力はあるかもしれないが、いざ試合となったらぼうっとしていて味方のパスを顔にぶつけるタイプ。

 ほとんどそう確信していた洋子は、準備体操をしている間、鼻血を出した空を保健室に連れていく場面を頭の中でシミュレーションしていたほどだった。

 いらぬ心配だった。


「逢田さんすっごい上手だねー。経験者なの? 前の学校でクラブに入ってたとか」

「ううん、テレビとかで見たことはあったけどやったのは今日が初めてだったよ。すごく面白かった」

 賛嘆するクラスメイトに、額に薄く汗をかいた空は答えた。


 初体験ということ自体は驚くほどのことでもない。女子代表チームの世界的な活躍が話題になったりしたとはいえ、やはりサッカーは女子よりも男子がやる方が多いだろう。過去にやったことがなくても不思議はない。


「ほんとに? それで三点も取っちゃうなんてますますびっくりだよ。ね、洋子」

「……そうね」

 洋子は思わず歯軋りしそうになった。空と敵チームに分かれた洋子は一得点で、それがそのままチームの総得点。つまり試合も三対一で完敗だ。


 洋子も体育の授業の他に特に本格的に練習しているわけではない。それでも凛英りんえい女子学院という箱庭世界においては不動のエースとして君臨してきた身としては、正真正銘のど素人に遅れをとるのは悔しかった。これが才能の違いというものか。


 しかし凛英での体育の試合など、しょせん球遊びの延長程度のものである。片付けを終えて教室に戻ろうという頃には、悔しさは薄れて興味の方が強くなっていた。


「空さ、サッカーじゃないにしても何か他のスポーツはやってたんでしょ」

 いくら天性の素質の持ち主とはいえ、使っていなければ体は鈍る。速さでも強さでも持久性でも、空は他の生徒達とは段が違っていた。普段から運動の習慣があったとしか思えない。


「うん、ミニバスケットボール部に入ってた。だいたい毎日練習してたよ」

「あんた背高いもんね。試合とかも出てたの? チームの得点源だったりとか」

「監督には、逢田はみやこ女子学園のエーアイだからどんどん行けって言われてた」


「どういう意味?」

 逢田の「あい」をローマ字にすれば“AI”だが、それではバスケと関係ない。何か他の由来があるはずだ。しかし空は首を傾げた。


「なんだろう。洋子ちゃん知ってる?」

「あたしが知るわけないじゃない。監督に聞かなかったの?」

「気にしたことなかったし」

「気にしなさいよ。気になるじゃない」

 バスケのことはよく知らないが、空に付けられた呼び名には興味があった。


「じゃあ後で電話して訊いてみるね」

「しないでいいから」

 転校した生徒がわざわざ電話を掛けてきたと思ったら、用件がそんなことではきっと脱力してしまう。


「人工知能のことかしら」

 横から遊佐が話題に加わる。怪我をした足をさらしたことで、心ない態度を取る子は幸いにしていなかった。遊佐のためだけでなく洋子としてもほっとした。一つ間違えたらジャージを借りた空の方が白い眼で見られることになっていたかもしれない。


「AIっていったら、Artificial Intelligenceの略って考えるのが普通だと思うけど」

 遊佐は綺麗だが硬い感じのする発音で説明した。だが理由付けとしては不十分だ。


「どうしてそれが空に当て嵌まるの?」

「そうね、例えば機械のように正確な動きをするとか、コンピューターみたいに計算して先を読むとか」

「うーん、あんまりそういうタイプには見えなかったけど」


 むしろ真逆だ。まるで人間の子供の中に一匹だけチーターの子供が混ざっているみたいに、本能の赴くまま転がるボールを追い掛けてグラウンドを縦横無尽に駆け回る、という印象だった。


「空本人としてはどうなの。バスケの時は結構頭使ってやってたりしたの?」

 今日が初挑戦のサッカーとは違って、日々練習を積み重ねたバスケでは戦術などもあっただろう。


「えっとね、攻めの時は、びゅんってかわして、ぎゅんって突っ込んで、ばってジャンプして、しゅってシュート打って、でも相手に邪魔されそうだったらちゃってパス出して、それで守りの時は」


「もういい。だいたい分った。どう?」

 洋子が問うと、遊佐はアップにしていた髪を解きながら首を振った。


「違うみたいね。ホームズちゃんならともかく、そんなふうに臨機応変に活動できる人工知能があるわけないし」

「ホームズって。あんなの子供騙しでしょ」


 洋子は鼻で笑った。低学年の子ならともかく、遊佐がまともに評価するようなものとは思えない。だが遊佐は洋子が考えるよりはるかに真剣だった。


「ホームズちゃんは間違いなく世界最高レベルの、いいえ、世界で唯一無二のAIよ。どうして全然話題にならないのか分らない。あれを作った和藤わとうさんはエジソンやアインシュタインに匹敵するかそれ以上の天才だと思う」

「なかなか興味深い見解だね」

 鈴の鳴るような声音が洋子達の後ろから届いた。

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