エピローグ

エピローグ

 東京は知っておいて損はない街だ。

 良い面も悪い面もあるし、人や物が集まる分だけ見識が広がって面白い。一定期間いるだけでそれ以前と以降で価値観が否応なしに変わる街。

 それが東京だ。

 その片隅におかしな噂のある小さな珈琲店があるという。

 店員は男性と女性のふたり。

 けれど、誰もふたりのことを思い出すことも、覚えておくこともできない。

 そんな奇妙な噂があった。

 コーヒーの味だけが舌に残り、その余韻を求めてまた飲みに訪れる。


 ・・・


『堂々珈琲店』のドアベルがカランコロンと鳴り、来客を知らせた。


「いらっしゃいませ」


 男と女の店員は同時に言った。

 女の店員はスーツ姿の二人の男女を席へと案内する。

 お客は席につき、女性のお客は店内を見渡して早々に男性のお客へと話しかけた。


「マサさん。ここですか? おいしいコーヒーのお店って」

「ああ。ここのコーヒーは都内一と言っても過言じゃないくらいおいしいんだ」

「店内の雰囲気もなんかあったかくていいお店感ありますよね」

「だろ?」

「店員さんは男性と女性のふたりだけみたいですね」

「そうみたいだな」

「あ。指輪してる。結婚してるんだ〜!」

 いいなあ。いいなあ。とツグミがはしゃぐ。


「私にも誰かいい人いないかな」

「お前はすぐそういう色恋話するなあ」

 呆れたとマサはため息をついて、店員を呼んだ。

「ブレンドコーヒーを二つください」

 脳内お花畑のツグミは放っておいて、マサは勝手に注文をした。


「かしこまりました」

 女性の店員の澄んだ声が店内に響く。


 外からは鳥の囀りが聞こえる。昼の日差しは木の葉に遮られ、ちょうどよい明るさと暖かさを店内にもたらしている。

 芳醇なコーヒーの香りが空気の流れにのって空間を埋め尽くしていく。


「ブレンドコーヒーふたつです。どうぞ」

 男性の店員がふたりのもとへカップを届けた。

「では。ごゆっくりしてください」

 男性の店員が立ち去る姿を、ツグミは目で追っていた。


「なに見てんだ?」

「あの男の人、どこかで会ったことありませんでしたっけ?」

「勘違いだろ。お前は男を見過ぎなんだよ」

「これでも記憶力いいから忘れるはずないんですけどねえ」

 うーんと唸りながらツグミはコーヒーに口をつけると、表情が一転した。

「おいしい!」

 とても幸せそうだった。

「ああ。格別においしいな」

 マサもとても満足そうだ。


「え、あれ。これブラックだったんだ。飲めちゃったよ私。大人の階段を登っちゃいましたよ私! ねえ、マサさん!」

「静かにしろよ……」

 マサは騒がしいツグミに辟易し、ひとりコーヒーに口をつけた後、顔を綻ばせた。

「……よかったな。トウドウ」

 そして、小さく呟いた。

「何か言いました。マサさん?」

「いいや、何も」


 ・・・


 これは店の奥のキッチンスペースでのお話。ふたりだけの会話だ。

「記憶されないって結構大変ですね。住む場所を見つけるのも、お店を開くのも一苦労でした」

「私との生活は嫌になった?」

「なるわけないじゃないですか」

「……後悔してない?」

 ユカは聞く。

「してないと言えば嘘になります。もっとツグミさんに教えることもあったし、マサさんに恩を返せてない」

 ヨルが返す。

「……でも、それ以上に俺はユカさんと一緒の人生を送りたかった。だから、この選択で良かったと思ってます。それに俺がユカさんを思い出せたように、もしかしたらあの人たちも思い出すかもしれませんしね」

「そうだね」

 ふたりは目を合わせ、幸せそうに笑った。

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ふたり雨の下で オオキ ユーヒ @oki_yuhi

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