3-4.優秀な後輩

 ツグミは本当に優秀だった。

 入社から三日すると、仕事に必要な情報全てを頭に入れていたのだ。


 それから二日経てばヨルの作業を見て何をすればいいのかを理解し、入社から一週間後にはひとりでコーディング作業を始めるまでになっていた。

 しかもその要領の良さがありながら妬まれない。これはツグミの愛想の良さからだった。


「またそうやってお尻触って」

 おじさん社員からのセクハラ行為に対して優しく咎めている。もう現場にはヨル以上に馴染んでいる。

「あはは。いいじゃないツグミちゃん。減るもんじゃないんだしさあ」

「セクハラで訴えますよ」

「ああ。そりゃかなわないなあ。もうしない」と男は両手を上げ降参の意思を示す。

「そうやって前回も言ったのにまた今日触ったじゃないですか。たしかに減るもんじゃないし触るくらいいいですけど……」

「なら」と男は懲りずに手を伸ばした。が、ツグミはその手を掴み、止めた。

「けど、私はほいほい人に触らせるほど安い女じゃないので」と突っぱね返していた。

「ツグミちゃんには敵わないなあ」

 また笑いが起きた。もはやこのやりとりは恒例になりつつある。


 ヨルはツグミに近づき、声をかけた。

「ササキさん。俺たち休憩行こっか」

「はあい」

 

 ・・・

 

 ヨルたちが休憩に訪れたのは出向先の会社からほど近いとこにある安く済むファミレスだった。

 ツグミはメニューを何度も捲っていることから、迷っているようだ。


「ツグミさんは何頼む?」

 ヨルはドリアに決めていた。

 ツグミはなにやらニマニマしている。美味しそうなメニューばかりで迷っているのだろうか。

「なんで笑ってるの」

「いえいえ、ちゃんと約束守ってくれて嬉しいなあって」

「……ああ、名前呼びのことね」


 ヨルはツグミとふたりきりのときには名前で呼ぶ。

 それはツグミに硬く約束されてしまったからだ。この前なんてみんながいる前で嫉妬を買いたくないと苗字で呼んだところ、不貞腐れて二日ほど口を聞いてくれなくなった。

 理由もわからず平謝りしてようやく許してもらえたが「なんで苗字で呼ぶんですか?」と怒られた。


「男の嫉妬ほどめんどくさいものはない。影で言うだけ言って、徒党を組んで、無言の圧力をかけてねちっこくせめてくるんだ。変な嫉妬は買うもんじゃないからあの時は苗字で呼んだんだよ」


 それは以前していた派遣のパチンコ店の清掃のときに学んだものだ。

 男ひとり、おばさん大勢の中に突然ヨルがやってきて、なまじ顔がよく、身長も高いものだから人気を掻っ攫ってしまい、その男はわざわざ友達をバイト先に集めてヨルのあらぬ噂を広め、ねちっこく攻め立てたのだ。


「でも、名前で呼んでって言ったのに」

 まだまだツグミはご立腹だったが、「仕方がないなあ」と折れてくれ、みんながいるところでは苗字。ふたりきりなら名前呼び。と隠れて付き合っている学生カップルのような約束ができてしまったのだ。


「それでもまあ……」

 名前を呼ぶだけでツグミが嬉しそうならそれはそれでいいかと思った。

 惚れられていると思うほど自惚れてはいないが、ツグミなりに信頼してくれているということなのだろう。  

 最近では積極的にプライベートの話までしてくるほどだ。


「ヨルさんって休日なにしてますか?」

「コーヒー淹れて、プログラムの勉強をしてる」

「なにそれ、真面目〜。つまらないですね」

「うるさいな。今の現場は理数系の知識が必須だから覚えるのに必死なんだよ」

「私が教えてあげてもいいですよ」

 と、ツグミは上目遣いでヨルを見る。

「私、理系の専攻でしたから。特に統計解析とか人工知能の分野は講義でやりましたので」

 そうは言っても入社したばかりの新人に教えを請うほど切羽詰まっているわけでもない。

「いや。いいよ」

「ええ〜。どうして?」

「自分で理解する楽しさもあるから」

「そう言われたら、私何も言えないじゃないですかあ」

「そんなことない。知識があるなら時々俺のフォローしてくれ。納品物の品質を向上するためにもさ」

「はあい」

 ツグミは納得し切っていない返事をした。

 どうやらツグミ的には手取り足取り教えてヨルとさらに親密になりたかったらしい。

 ヨルがそのことに気づいているはずもないが。


「でもヨルさんって、プライベートで仕事以外のことしてなさそうですし、流行にも興味なさそうですし、枯れてますよね」

「枯れてる?」

「あ、若者言葉にも疎いんだ」

 ツグミは、口角を上げてにんまり小悪魔の笑みを浮かべる。

「時代遅れみたいな意味ですよ」

 そして得意げに教えてきた。

「そんな言葉があるんだなあ」 

「あはは。ほんとおじいちゃんみたい」

 ツグミなりの冗談だと思って、ヨルは気にしないことにした。

「ツグミさんは休みの日には何してるんだ?」

「私は友達と遊んだり、仕事の勉強したり、ちゃんと息抜きも勉強も両立させてますよ」

「しっかり者だな」

「早く仕事を覚えて現場で役に立ちたいですから。かといって、無理して体を壊すのは一番ダメなので気をつけてます」

 すでに独り立ちしてもおかしくないほど役に立っているとは言えないヨルだった。


 そんなことを話していると、ちょうどいいタイミングで注文が運ばれてきた。

 ヨルはドリア。ツグミはカルボナーラだった。

 ツグミは頬張りながら、ごくんと飲み、フォークを置いた。

 そしてヨルの顔をじっと見てくる。


「なに?」

「ヨルさんって、なんか大人ですよね」

「みんなそうだろ。働いてるやつらは大抵大人だ」

「そういうことじゃなくって、精神年齢が成熟してるっていうか、落ち着いてる感じがするの。ほら、見た目だけで人を判断したり、ヨルさんのことを妬んでる人たち、ああいう人たちってなんだか子供だなと思うんですよ。ヨルさんは外見や印象だけが全部じゃないってわかってる感じ。私も偏見とかはないように気をつけてるんですけど、ヨルさんみたいにはいかなくって」

「そうか?」

「うん。私も早くヨルさんみたいになりたい」

 純粋な尊敬の対象とされているのは、くすぐったくもあり、嬉しくもあった。


「そんなこと言うくらいなら、そのタメ口まじりの敬語も直せよ。俺は気にしないけどさ、他のやつなら気を悪くして怒るかもしれない」

「あはは。これは仲良くしたい人にしかしませんよ。流石にヨルさん以外にはしませんって」

 それは言い方を変えればなめられているってことじゃないか、と思ったが、ヨルは口に出さなかった。


「けど、ヨルさんはなんか儚げな雰囲気があるからちょっと心配です」

「儚げ?」

「うん。なんか、ちょっと目を離したらどこか遠くに消えていっちゃいそうな感じ」

「なんだよ。それ」

 ヨルは笑って誤魔化した。

 否定をしなかったのは、少し前の自分は死んでもいいと思っていたからだ。


「あんまり先輩をからかうな」

「はあい」

「また適当な返事」

「あは。ごめんなさい」

 ツグミは笑って逃げるつもりのようだ。

 やれやれとヨルはため息をついた。

 気持ちはどこか弾んでいる。

 

 ・・・

 

 仕事はツグミのおかげで順調に進んだ。というより、順調すぎるくらいだった。

 研修も一通り終わったため、簡単な仕事から任せているのだが、おそるべき効率の良さでタスクを消化していくのだ。


 優秀。その一言が当てはまる子だと思わずにいられなかった。


 挨拶はもちまえの明るさと愛らしさで人の心を掴み、マニュアルに一通り目を通しただけで業務を覚え、率先してプログラムを組み上げ、臆することもなく元請けの責任者のところへ行き、品質チェックを受け、OKの返事をもらっていた。


 ツグミの虜になった人たちはやる気を出し、ツグミに気に入られたいという下心という裏があるものの作業に黙々と取り掛かるようになった。ヨルではこうはいかなかっただろう。


 そして疲れた人へのケアも忘れない。オフィスでの仕事とはいえ、空調は十分に効いていないこともある。脱水にならないよう飲み物を汲んで配ったりと、とにかく気配りができる。


 ツグミのおかげで今日のタスクは一通り終わってしまい、もう今日は定時で上がっても問題なくなった。


「これ、俺の指導とか必要か?」

 それは指導係を降りようかと思ってしまうほどだった。

 手に余るほど優秀な後輩を持ったことを喜ばしく思うも、優秀すぎて特に指導することもなく複雑な気分のヨルだった。


「明日の仕事終えたら、俺の指導から外れて独り立ちだな」 

「ええー。早過ぎますよぅ。もっとヨルさんと一緒がいい〜!」

「駄々こねても無駄だ。今はOJTみたいなものなんだ。ツグミさんはこれから色んな人のもとについて、たくさんの現場に行って、業務系からWeb系、基幹系のシステムまで幅広く覚えてもらわないといけないんだからさ」

「むう」

 ツグミは納得いかない様子だった。


 けど、これは社長であるマサの決定だ。

 ツグミがヨルにべったりだと、ヨルの関与していない他の仕事が身につかなくなってしまうことを危惧したのだろう。

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