3-5.些細なトラブル

 ツグミのOJTの最終日、ヨルから独り立ちすることが決定したあとのことだった。


 ヨルは油断していた。

 ツグミに仕事を任せてもミスなくこなしていることから、多少目を離しても問題ないだろうと思っていた矢先だった。

 優秀な後輩とて人間だ。当然ミスはする。


「すみませんでした!」

 ツグミは元請けの責任者に頭をさげていた。

 現状把握のためにヨルも急いで向かう。

「どうしましたか?」

 下手な刺激を与えないように下手に出て様子を聞く。

「ツグミちゃんに頼んでいたプログラムなんだけど、同じ会社から来ている人たちの組んだプログラムとの兼ね合いで致命的なバグが発生することが分かって、このままだと他のチームに影響が出てしまうんですよ。ちゃんと確認されました?」

「え、ええ……。ちゃんとヨルさんとテストをして問題ないことを確認しました」

「でも他の人が開発している部分まで考慮できてなかったみたいだね」

「えっと……その……」


 ツグミは頭が真っ白になり言葉が出ない。

 たしかに、ヨルはツグミに比較的簡単な部分のコーディングを任せていた。

 優秀なツグミとは言えど、全体のシステムで動作するかどうかまで考慮が及ばなかった可能性はあるかもしれない。

 だが、ヨルはツグミが悪いとは思わなかった。

 問題が発生しているのはおそらくヨルと同じ会社から来ている男性社員の組んだプログラムが原因だろう。


「申し訳ありませんでした」

 ヨルは急いで頭を深く下げ、この場を収める。

「どうするの。これじゃ進捗に遅れが出てしまうんだけど」

「それでしたら、問題が発生している箇所を連携いただければ、あと2、3時間ほどで修正いたします。それでしたら、進捗にも問題ないかと」

 と、ヨルはツグミを矢面に立たせないよう配慮しつつ、今日中に作業は終わると説明した。

 責任者はそれで納得し、溜飲を下げた。


「ああ。うん。じゃそれでいいから。なる早でお願いしますね。こっちも労務管理とか厳しくなってきてるから過度な残業とかさせたくないんだ」

「この度は私の過失でご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」

 ヨルとツグミは深く頭を下げた。


「はいはい。次からは全体のシステムとかも考慮してプログラム組んでね」

 責任者は許してくれたが、同行していたヨルの同期の一部の男性社員たちが遠巻きで騒いでいた。仕事もせず椅子にもたれかかり、駄弁っている。

 そこからは、ほら、やっぱりあいつはダメだ。使えねえなあ、と言った声がチラホラと聞こえてきた。それはヨルの耳にも入ってくるし、当然隣にいるツグミにも聞こえている。

「悔しくないんですか?」

「なにが?」

「ああやって勝手に妬まれて、悪評を広められて、まるでヨルさんが悪者みたい」

「別に、気にしても仕方ないだろ」

「でも……。私は何度も問題がないか確認しました。ヨルさんにも再鑑していただいたし、きっとヨルさんと同期のあの人たちのプログラムが原因ですよ。それなのに自分のミスを棚上げして、わざとヨルさんを責めるような態度をとっているんですよ?」


 ツグミもどうやらミスは自分達ではないと気づいているようだ。

 同期達はどうやらヨルへの愚痴で盛り上がっているようで、嘲笑の声はどんどん大きくなっている。

 所詮中途採用でコネ入社。だからあんな問題起こすんだよ。そんな心ない言葉が聞こえた時だった。


「私、耐えられません!」

「おいっ……!」

 ヨルはツグミを止めようとするも、手は空振った。

 ツグミはズカズカと男たちの元へと立ち向かっていく。

「さっきから聞いてればなんですか? 私、昨日あなた達のコード確認しました。他のチームが組むプログラムとの兼ね合いを全く考慮していないですよね。それを後からトウドウさんが修正していることを知ってましたか? どうしてわざと迷惑なことをするんですか。一言言ってくれたらこちらのコードも事前に修正することができて、迷惑をかけることはなかったはずです」

 矢継ぎ早にツグミは質問と文句を突きつける。


「ああ。先輩に楯突くなんてなあ。新入社員ちゃんの研修もまともにできねえのか。こりゃ早めに担当替えしたほうがいいなあ」と男が言った。それを皮切りにまた嘲笑は、勢いを増す。

「トウドウのせいで仕事が来なくなったらどうしてくれるんだよなあ!」

 ツグミはグッと拳を握り、顔を赤らめている。もう爆発寸前だ。

 はあ、とため息をつき、ヨルはツグミの前に立った。


「すまんな。まだ俺も未熟なんだ。至らない点もあるかもしれない。そこは許してくれ」

 男たちの視線はまずツグミへ。

 舐め回すように見てから、まるで興味なさそうにヨルへと視線を移した。


「で?」

「は? なんだよ」

「土下座のひとつでもしてくれないと腹の虫がおさまらえねんだけど。こちとら会社の評判を下げられて迷惑してんだよ」

「それを言うならっ……!」

「いいから」

 激昂するツグミを止め、ヨルは社内の目も気にせず床に膝をつき、頭を下げた。

「すまなかった。後輩の指導もしっかりする。だから今回のことは許してくれ」

 男たちは見せ物になったヨルに対し、大口を開けてわははと笑う。

 面白いものを見れて男たちは満足したようだ。


「これでいいか?」

「ああ。さっさとどっかいけや。目障りだ」

「言われなくてもそうするよ」

 ヨルはツグミの手を取り、席へ戻ろうとする。

 背後から「後輩ちゃんもそんなやつに見切りつけてこっち来いよ。俺らが手取り足取り色々教えてやるからさあ!」と下品な笑いが聞こえたが無視した。


「ちょっと……。ヨルさん!」

「いいから、今は黙ってろ」

 ヨルは流石にほとぼりが冷めるまで人目につかない場所にいた方がいいと思い、休憩スペースへとツグミを連れ込んだ。

「情けなくないんですか!? あんな人たちに土下座までして!」

 ツグミの怒りはいまだおさまらない。

「それであの場が収まるならいいだろ。俺のプライドなんか安いもんなんだから」

 はああ、とツグミは大きなため息をついた。

「それでもあの人たちの行為は目に余ります。なんでヨルさんが不当な評価を受けて、あまつさえ土下座なんか強要されて……」

「俺の評判なんか元より気にしてないからいいんだ。それよりことを荒立てて、万が一にでもツグミさんの評判が落ちるなんてことが起こる方が、俺は嫌だ」

 ツグミは途端に立ち止まり、息を止めてきょとんとしていた。


「……ふはっ」

 そして突然吹き出した。

「なんでいきなり笑うんだよ」

「いえいえ〜。ヨルさんらしいなって」

 ツグミはニマニマと笑って今度は上機嫌だ。

「でも、私にも悪いところありましたね。すぐカッとなっちゃって……。先輩。ごめんなさい。さらに大ごとにしちゃって……」

 ツグミは「私がもっと頭を働かせておけばこんなことには……」と自分を責めた。


「ツグミさんの責任じゃないから自分を責める必要はない。あいつらはそんなことしても無駄だよ。わざとそうしているんだからさ」

「なんですかそれ。社会人としてどうかと思います」

「まあ、俺へのやっかみもあるだろうけどさ。別にいいんだよ」

「どうして?」

「あいつらは来月リストラされるからさ」

「え……?」

 ツグミは今度は驚いた顔でヨルを見た。


「マサさんから聞いたんだ。隠れてサボってたのがバレたらしい」

「そうなんですね。でも働かないくせにお金だけもらうなんてリストラされて当然ですよね」

「その通りだな」

 ヨルもそれには納得だ。

「あーあ」とツグミは体を伸ばした。

「私、もっと頑張らないとですね」

「むしろツグミさんは気を張り詰めすぎだ。新人なんだからミスして当然って思いながらリラックスして仕事しなよ。それと、すぐカッとなって何かあったらどうするんだ」

「ありがとうございます。庇ってくれて助かりました。以降気をつけます」

「理解してるならいいよ。次は気をつけて」

 いざこざが収まり、ふう、と安堵のため息が出た。

 そんな最中、ツグミはぽつりと呟いた。


「……すごいですね。ヨルさんは」

「ん? なにが」

「私、トラブルに直面する機会があまりなくて、テンパってしまって、なにもできませんでした。それでもヨルさんはしっかり対応策とそれにかかる時間をを提示して、責任者の怒りをうまく流してたじゃないですか」

「場数を踏めばツグミさんでもできるようになることだよ。俺がすごいわけじゃない」

「そんなことないです。私、自分ができる人間だと自負して自惚れていたのかもしれないって、はっきり気づきました」

「気づいたならよかったんじゃないか。ツグミさんは飲み込みも早いし、そうやって自分を客観的に見ることもできてる。優秀なんだから次には今回の反省点を活かして対処できてると思うよ。まあ、迷惑をかけるやつらがいなくなったらもう起きないと思うけどさ」

「はい……」

 ヨルの励ましがあってもツグミは落ち込んだままで、いつもの元気さはなかった。


「うまくいってたと思ったらミスが起きて、それが例え他人のせいであっても怒られればそりゃ落ち込むよな」

「はい……」

「まあ。気にすんなとは言わないけどさ、今回のはツグミさんだけのミスじゃないわけだし、帰ったらあいつらにさりげなく注意しとく。だからこのことは一旦置いといてさ、メシでも行かない?」

「ご飯ですか?」

「そう。お腹いっぱいになったら少しは幸せな気分にもなれるだろ」

「どう?」とヨルが聞くと、ツグミは笑った。


「あは。いいですね。おいしいとこ教えてください」

「任せて」

 ヨルはそう言って笑ってみせた。

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