『三日目』

    三日目


 やっぱりレインは私の話しを信じてくれなかった。部屋の隅にうずくまって座りながら考える。

「私なんか、村の人たちと目も合わせられないし、魔族だし、嫌われてるし、一人でレインを説得するなんて無理だよ」

 昨日の事を思い出しただけで胸がキュッと締め付けられて苦しくなる。

「私にもっと、自信があればなぁ」

 ダメダメな私が変われたら……なんて、そんな事を思ったりする。

 レインが信じてくれないのは仕方が無い。私だって夜中の巻き戻しの光景を見るまではそうだった。だってこんなのあんまりにも非現実的で、おとぎ話みたいな話しなんだもん。

 ……お腹が鳴った。昨日は丸一日何も食べていないから、もう空腹感に耐える事は出来そうにない。

 外に出るとすれ違う人たちに悪口を言われている様な気がして、誰とも目を合わせないように駆け足で走り去る様にした。

「見て、魔族の娘だよ……」

「……っ!」

 聞こえない、何も聞こえない。私は耳を覆ったまま村を駆けて、誰も居ない畑に辿り着いていた。

「誰も居ないのは一昨日確認してるわ、今日は多めに貰って蓄えておこう」

 そう思い、私が堂々無人の畑へ立ち入った時だった。

「――っ」

 盗みをしようと伸ばした私の手が、ピタリと止まっている事に気付く。思い留まった私は畑から出た。それでもお腹は空腹で鳴り続けるから、私はどうしたら良いのかわからなくなって、誰もいない曇天の下で涙をこぼしていた。

 ――……だけど、だけど、

「いつまでも泣いてたらダメだ」

 自分のお腹が空いたからと言って、人が丹精込めて作った物を盗んで良い理由になんて絶対にならないって、何故かこの時の私はそう思うことが出来た。一昨日の何も知らないで繰り返していた私はそんな風には思わなかったのに。

 不思議だ、まるで記憶が蘇ったあの時に、他の大切な事まで思い出したみたいだった。

「忘れる前の私は、今の私よりも大人だったのかな?」

 ……わからないけれど、そうだったらいいな。この胸に刻まれた経験が、無意識の内に“次の私”に引き継がれているのなら、まだ少し、忘れ去って来た過去の自分が報われるかなって思った。

 私はその場を移動して、軒下にとうもろこしを並べたイリータの家の前に来ていた。汗水垂らしてせっせと働いている彼女の姿を見て、もう二度と盗みなんてしたくないって、他人のことも、私の事も傷付けたくは無いって、そう思った。一世一代の勇気を出して物陰から飛び出した私は、彼女の目の前で、お腹の底から大きな声を出した。

「イリー……タ!」

「あン? って、アンタか……驚いたな、私に何の用だよ」

 この時の私がどうしてこんなに大胆な行動を起こしたのか。イリータの曲がった眉毛と私を観察する鋭い目付きに射竦められ、言葉が出なくなって俯いてしまった。彼女を中心にして集まり始めた村の女たち。すぐに汚い言葉の数々が私を取り囲んだ。

「用があんならさっさと言いな、アンタと違って私たちは忙しいんだ」

 敵意を剥き出した口調に目をギュッと瞑る……だけど私は彼女の笑ったその顔も、不器用で乱暴だけれど面倒見が良い、そんな性格の事を知っている様な気がした。……彼女だけじゃない、今私を取り囲んでいる村の人たちも一つボタンを掛け違えているだけで、本当はとっても優しくて私に良くしてくれるって事も知っている。……私は酷く罵倒されるその声に逃げ出したいのを堪えながら、思い切ってその顔を上げた――


「あれ――――??」


「なんだい、どうしたんだいアンタ」

「お腹が空いているのかも、何か食べるかい?」

「アンタの顔が怖いんだよイリータ」

「なんだってぇアンタ!」

 そこに渦巻いていると思っていた村人たちの悪魔の形相と、私に対する激しい侮蔑の声は――

 口を半開きにしたイリータが、小鼻にシワを寄せながら言った。

「全く、突然話し掛けてきたと思ったらカチコチに固まっちまってさ、ぁあもういいさ、そんなに暇ならとうもろこしを下ろすのを手伝っていきなよ、

 ――『そんなものは、キミの暗い心がもたらした幻影に過ぎない』

 私に伸し掛かっていた黒い重圧。私を苛んでいた醜い言葉の数々は……

「あっ、じゃあイリータの所の手伝いが終わったらウチにも手伝いに来てくれよ」

「ウチもウチも! ついでに昼飯も食わせてやるからさ、な?」

 弾けるようなみんなの笑顔に取り囲まれて、私はオロオロと困惑する。

「えっ……ぇ? みんな、怒って、無いの」

「はぁ、怒るだって?」

「そうだよ、だって私は魔族で、村のみんなとも馴染めなくて……ずっとお仕事もしてないし、それで……っ」

 私がそう呟くと、吹き出したイリータが私の頭をかき混ぜた。

「アンタは今から私たちの仕事を手伝う。だったら昔の事なんてもういいじゃないか」

「でも……」

「うるさいねぇ、昔の事なんて忘れちまうんだよ私たちは。なぁみんな!」

 顔を上げるとみんな笑っていた。そしてイリータは言った。

「それに、とうもろこし好きに悪い奴はいねぇ」

 私はこの時になってようやく、この耳に聞こえていた罵倒の数々と、あの恐ろしい無数の視線がであった事を知ったのだった。私は自分を卑下し過ぎて、自分で自分を貶めていたんだって、その時知った。

「うっ、ぅう……ぅえぇえええ、みんなぁああ、ごめんなさぁアアア……っ」

「なんだいこの子は、今度は泣き出しちまって、訳のわからない子だねぇ」

 私の泣きべそをみんなが見つめて、明るい声が響き渡った。


   *


 草の伸びたあの細い路地の窪みの所に座って、私は雨宿りをしながらレインが来るのを待っていた。たらふく食べたとうもろこしのお陰で、お腹はしばらく保ちそうだ。地面に打ち付ける雨音を聴きながら、なんとなく考える。

「イルベルトは今日も来ないのね」

 以前ここに現れたイルベルトは、あの日以降姿を見せない。繰り返しの中でみんなは同じように行動する筈なのに、彼だけ違う行動をするの変だなって思った。考えてみると、彼の言っていた人形がどうって話しもよくわからないままだ。――謎多き魔導商人。私が彼を知っている様な気がするのは、全てを忘れ去る前の私が、彼となんらかの接点を持っていたからだろうか?

 そんな事を考えている内に、この暗い路地へと走り込んで来る人影のシルエットを光の向こう見る。

「リズ? 驚いた、こんな所で何をしているの」

 時間ピッタリに現れたレインが、小首を傾げたまま私に歩み寄ってくる。降り頻る雨が地面を跳ねて、大粒の水滴が足音を掻き消している。

「聞いてレイン、私たちはね、繰り返してるんだよ! この村で同じ“昨日”を延々と!」

「繰り返し? 何を言ってるの?」

「何か覚えてない? 少しでも良いの、違和感を覚える事があるんじゃないの?」

「……ハハ、繰り返しかぁ、それじゃあまるで、僕らは夢の住人みたいだね」

 朗らかに笑う彼の表情に、敵意や害意は一つも見受けられない。

「夢の住人? 違うわレイン、夢ならいつか醒めるでしょう? これはそんなに生易しい様な現象じゃないわ、私たちは来るべき未来を永遠に奪われたままなの。ねぇレイン、お願いだから私の話しを聞いて」

 私必死の懇願も虚しく、昨日と同じ優しい目線が私を捉えて歩み去ろうとしていく。

「キミがそんなに夢中になるなんてスゴいね、でもごめん、今からお母さんを迎えに行かなくちゃいけないんだ」

「レイン、お願いよ!」

「夜会においでよリズ。そこでゆっくり話そう」

 徐々に小さくなっていく、路地を過ぎ行く暗い背中を私は見やる。

「……っ」

 昨日と同じく傍観するしか無い世界で、私は足下の水溜りを見下ろす……そこに映った気弱な自分を見つめ直し、固く拳を握り込んだ――

「――……っ!」

「――ワァっ! リ、リズっ!?」

 昨日掴めなかった彼の背中を、私は決死の思いで掴んでいた。驚いたレインが私へと振り返ったのを確認して繰り返した。

「大切な事なの……私たちにとって、とても重要な」

「……」

「お願いレイン。思い出して……アナタは私に言ったわ、“明日”に行こうって、私をこの世界から連れ出してくれるって!」

「リズ?」

「アナタは私の世界を変えてくれた! だからお願い、帰って来て……良くは思い出せないけれど、あと少しだと思うの、この世界を抜け出す為に必要な努力は、あと少し。それだけ私たちはこの呪いの真相に迫っていたって、そんな気がするのよ!」

 レインはそこで首を振る。寂し気な目をして、私に謝罪するかの様な弱々しい表情をしながら。

「キミが何を言ってるのか、僕には……」

「いいえ、私を信じてレイン、信じてくれなくちゃダメ! こんな所で負けちゃダメなんだよ、あと一歩で私たちは願った世界へ行けるんだ、本当なんだよ! 上手く、私は頭が良くないから上手くは言えないけれど……っお願いだから、信じてよっ」

 浮かない表情のままのレインは半身になって、背中を掴んだ私の手にそっと掌を被せた。息を切らした私がそっと彼を見上げると、灰の瞳のその中に、顔を真っ赤にする程必死になって訴える、ボロボロの私が見えた。

「ごめん、それでもキミの話しはとても信じられないよ」

 ――これでもダメなんだ……肩を落とした私が、ゆっくりとまつ毛を伏せていくと、レインは私の顔を目と鼻の先に見つめたまま、握ったままの私の手を、ギュッと強く握り込んだ――

「でも……キミの事は信じてる」

「え……」

「だって初めて見たんだ。キミがそんなに他人に表現している所を、息を荒げて他人に訴えてる所を。キミにそんな勇気があるなんて知らなかったから」

「勇気……?」

「うん。変わったねリズは。何だか強くなった……だから僕はリズを信じたい」

 大粒の雫に打たれたまま、私は火の灯ったレインの瞳をただ凝視していた。

「僕はキミの言う通りにするよ。どうしたら良い、リズ?」

 私の勇気が、この一歩が、彼の背中に届いていた。――昨日まで誰にも届かなかった声が、みんなに届く様になっていた。

「きっと、アナタが私を変えたのよ?」

「なんの事だい?」

 交差した私とレインの視線。止まった時計の秒針が進み始める。これからの私は、何度忘却しようとも――“昨日”の私じゃない。


   *


 ――夜会後の屋根裏にて。

「そんな――ッ」

 頭を抱えて絶句した僕の鬼気迫った声が、頭上のランプの炎をざわめかせた。闇を映した窓辺に腰掛けたスノウは、何処と無く達観した様な佇まいで、屋根裏に積み上がったメモを読み漁る僕を見下ろし続けていた。

「リズの言っている事は本当だった……思い出す、記憶の断片、失われたパズルのピースが、こうしていると、みるみると……ッ!」

 異様に細かく記された僕らの日記。そこに記された情報を眺めていると、微かながらに過ごした筈の無い記憶が蘇って形を成していく。

「忘れていたんだ……ッ! 突然のリセットによって、僕らは全員――!」

 目まぐるしく回転する思考の中で、小さな机に突っ伏して目を見開いた僕は、無意識に前髪をかき混ぜていた。

「ここに記されている壁越えの日に僕らは……」

 僕らが決行した壁越えの日に何があったのかが、まるで思い出せない。だがこれ以降のメモが途絶している事から、その推測を立てる事は出来た。

 その時スノウの眉がピクリと動いた。艶めかしい唇がほぅと息を吐く――それはまるで、僕の思い至った恐ろしい推測を、彼もまた感じ取っているかの様だった。

 ――僕が思い出したのは、過去の僕らのメモにがある、といったその点だった。欠落とはすなわち――壁越えを行ったというその記録。ある筈の記録が、この膨大なメモの山の何処にも記されていない。すなわちそれは――

「突然のリセットは僕らが壁越えをしようとした、その時に起こっている……!」

 ハッキリとは僕を肯定して見せないスノウは、怪訝そうに眉間にシワを寄せて歩み寄って来た。その沈んだ額に影が差していくのを僕は見上げていた。

「……それでキミは、突然のリセットが壁越えの時に起きていると、そう結論付けるんだね?」

 指先に髪を巻き付け、ジッと僕を見つめるスノウの様相は冷徹としている。まるで僕の正気でも疑っているみたいな表情にも思える。だがやがて、彼の長いまつ毛が微かに震え始めたのに気付いた。そして薄い唇は押し開かれていく――

「もし仮にそうなら、今も何処かからか、だよ?」

 スノウのその一言に、僕の首筋にゾクリと冷気が走っていった。

 彼は僕に背を向けて離れ、なんでもなさそうにしながら引き出しに仕舞ってあったシャツに着替え始めた。そんな背中を呆然と眺める。

 スノウの言う様に壁越えの時に突然のリセットが起こっていたのなら、毎回どのような手法、タイミングで壁越えに望むかもわからない僕らを、霧の魔女はしていたという事になる。僕らを苦しめ続けるこの呪いの主――あの霧の魔女が、想像しているよりもずっと側に居るなどと言うのだろうか? 

 その瞬間、僕の脳裏に猛禽類を思わせる凍てつく視線がイメージされた。そして疑いたくは無い筈の、大好きな人たちの姿が霧の如く形を成しては次々と過ぎ去っていく。

 ――セレナ、グルタ、ティーダ、フェリス、イルベルト、リズ、そして……スノウ。

 心臓がバクンと脈打って、血流が全身を駆け巡る感覚に満たされる――

 ……何故だか分からないけど、僕はその時唐突にスノウに触れてみたくなった。触れて、感じて、存在を確かめたい。彼が生きているのだという実感を得たいという、突飛であるが、ある種の確信めいた何か……説明しようのない不安に駆られ始めた。

 スノウに近付き、その背中に伸ばした手。指の隙間に絹みたいな白銀の髪が流れ落ちるのが見える……

 ……僕の震える掌が、彼の背中に――――

「……なんだよレイン?」

「え……ぁ……」

「遊んでないでキミも着替えるべきだ、夜会から帰ってそのままじゃないか」

「う……うん」

 振り返った彼の胸に添えられた掌。確かに触れているその先に、魂の拍動と体温を感じて、奇妙な動揺を見せていた心臓を落ち着ける。

 ――僕はどうかしている、どうしてこんな事を……。

「……はぁ、全くキミは」スノウは囁いた。

 僕はいつしか顎に手をやりながら、思考の深みへと沈んでいた。難しい顔をしたままそこに立ち尽くし、汚れたシャツを変えようともしない僕のシャツの前ボタンをスノウがため息まじりに外し始め、ぼやいた声が胸の所から聞こえて来る。

「キミはいつもそうだ。謎に直面すると、僕の理解し得ない深海の様な深みまで没入してさ。僕らは二人で一人だなんて言っておいて、キミの方が僕を置いていくんじゃないか。……ま、でも今回ばかりはお手上げじゃないか、だって僕らは無力な子供なんだ、あの霧の魔女に何が出来る?」

 やっぱりスノウも気付いているんだ……そうだ、あのエルドナの霧の魔女が僕らを側で監視しているというのが全ての真相なら、僕らに一体何が出来ると言うのだろうか? 側に感じた強大なる存在に対し、どうする事も出来ないという無力感で肩を落とし掛けたその時――視線の先に落ちたメモの一文が、僕の視界に飛び込んでいた。

 ――“

「……っそうか!」

 スノウの肩に手を置いた僕は、彼を揺り動かしてこの興奮を体現する。

「霧の魔女がいかに強大だろうとも、刻の牢獄に閉じ込められた僕らには、無限の時間がある!」

「それは、確かにそうだけれど……何を興奮しているんだよ」

「わかるだろうスノウ! 僕らは何度だって挑戦出来るんだ。上手くいくまで、何百回だって何千回だって繰り返し続ける、その時間が!」

 くだらなそうに細い目をしたスノウは、僕の着崩れたシャツを強引に引っぺがしながら反論した。

「なんて途方も無い事を言っているんだいキミは。僕らが懸念していたのは、突然のリセットが起こる度に、いつ思い出すともわからない日々を何日、何年も過ごし続けるって事だっただろう? 逆に言えば、キッカケが無い限り僕らは何時までも気付かず日々を繰り返し続けるんだ。いくら時間を持て余していようとも関係無い。リセットがある限り僕らは一生刻の牢獄から出られない、それがこの呪いの恐ろしさだって、キミもそう言っていたじゃないか!」

 目を赤くして語気を強くしていったスノウ――だけど僕は目一杯に頭を振るって、その反論を一蹴してやったんだ。

「違う、僕らはもうリセットされない。もしそうなっても、すぐにまた思い出す事が出来るんだよ!」

「はぁ? リセットされないって、どうしてそんな事!」

「わかるだろう?! 僕らはもう、一番の脅威だったリセットをじゃないか!」

 ――忘却したリズを記憶を引き継げるセーフティゾーンへと導いたのは、イルベルトから手渡された“ロンドベル庭園の魔草”だった。あの花は世話を怠れば苛烈に鳴き始める。その習性を利用すれば、リセットされた僕らの事もセーフティゾーンへと誘うだろう。つまりあの魔草をこの屋根裏で飼育していれば、僕らは何度リセットされようともここに戻って来る事が出来る。

「そんな、事って……っ」

 脱帽したスノウは前髪を引っ掴みながら硬直し、僕から剥ぎ取ったシャツをはらりと床に落としていった。

「僕らはになったんだ。いつか絶対に霧の魔女だって打ち倒せる」

 未だに驚愕している様子の彼へと、僕はその目をしかと見て表明する――

「僕はこれから、。この村の何処かに潜んでいる魔女に、もうリセットを起こさせない為に」

 闇に芽生えた真なる光明――

 こぼれ落ちる程に目を剥いたスノウが、ゴクリと空気を飲み下していった。腕を組みながら首を少し傾げ、こめかみを激しく小突き始めた興奮混じりの汗が顎先から垂れていくのが見える。

「なるほどね、この現象の元凶であるリセットさえ起きなければ、刻は必然動き出す、か。過去の僕らはこの現象を難しく捉え過ぎていたんだね」

「うん、だけどこの真相に辿り着けたのは、過去の僕らのお陰だ」

 緩々と冷静になっていった灰の視線はこう続ける。

「身震いするよ、なんの力も無い僕らが、あの霧の魔女に挑む。そんな日が来るなんて」

 物憂げにこちらを見つめたスノウは、引き出しから取り出した寝巻きをスッポリと僕に被せた。そうして二人で窓際に並んで、外に広がる濃縮な闇を見下ろす。するとスノウは囁いた。

「考えてみれば、僕らをこの迷宮から前進させるのは、いつだってイルベルトだったね」

 イルベルトから半ば一方的に手渡されたあの花が、呪いを克服する最大の鍵になるなんて思いもよらなかった。……確かに考えてみれば、僕らの進展はいつも、イルベルトの持つ知識や魔導具に後押しされていたように思える。それらが無ければ僕らは無力なままで、決してここまでは来られなかっただろう。

 ――彼は何者なのか? 今改めてその素性に想いを馳せる。

 僕らのメモにイルベルトが家の軒下で眠っていると書いてあったから玄関先まで出ていったけれど、不思議な事に魔導商人の姿は何処にも見当たらなかった。


 もう僕らの手元には、壁越えをする為の“ズーのウロコ衣”も“羽靴”も、イルベルトとの交渉材料になる“妖精石”さえも残されていない。だけどこの呪いを抜け出す為の方法はそんな事なんかじゃなくて、もっとシンプルで根本的な事だったんだ。

 僕らはこの村に潜んだこの呪いの術者霧の魔女を見つけ出してリセットを阻止する。彼女は僕らの思っている以上に、ずっと近くにいる筈だから。

 大丈夫、恐れる事なんかは無い。だって僕らは不死身になったんだ。



 ……そう、思っていた。

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