第二章 獣の王

第14話 ラティーファ

 それから数日。

 俺は伯爵の屋敷に滞在し、アラム少年に稽古をしつつ、街で情報を集めた。


 まずはこの国について。

 この国は王都を中心にして貴族が治める領地がある。その領土は広大であり、また豊かな土地が多い。魔物の脅威も少なく、治安も良いという。また作物もよく実り、隣国との貿易も盛んである。つまり、この国は平和そのものなのだという。


 しかし、その一方で問題もある。……貴族同士の権力争いが激しいというのだ。

 伯爵によると、この国には現在二人の公爵がいるという。二人は仲が悪く、お互いの領地を奪い合っているらしい。そのため、貴族の中は殺伐とした雰囲気に包まれているのだという。

 ……なるほど、確かに平和とは言えない状況である。

 しかし、魔王軍が侵攻してきているのであれば、それどころではないはずだ。

 そして、隣国の帝国とも関係が悪化しているとも聞く。……何か裏がありそうだが……。

 ともあれ、今は情報が足りないか。


 とにかくもう少し情報を探ってみるとしようか。



 俺は情報集めを兼ねて、市場を歩き回る。


 色とりどりの野菜や果物が並べられ、それを人々が物珍しげに見つめながら買い物をしている。


「……」


 俺はそんな光景を眺めつつ、数時前の姫との会話を思い出していた。


(魔王軍が倒された後の話か……)


 人間同士の国家の戦争。難しい問題だ。

 俺の当面の目的はこの惑星にあるエルナクリスタルの採掘だ。だがそれがこの国にあるとは限らない。

 他国にあった場合、その国の許可を取らねばならない。

 だが、このディアグランツ王国に迎えられた勇者という身分が逆に仇になってしまう可能性もあるということか。


 クリスタルだけではない。

 この惑星にある魔導科学の痕跡を辿り、軌道上まで登る手段も探さねばならないのだ。


(やることは山積みだな)


 俺は息をつく。だが、ここで止まるわけにはいかない。

 必ず復讐を果たすためにも。


(そのためにも、まずは魔王軍を倒さないとな)


 俺は改めて決意を固めると、周囲の人々と同じように商品に目を向けた。


「ふむ」


 俺は目の前の果実を手に取る。

 紫色の皮に包まれた黄色い果肉。そして甘い香りが漂う。


「これ、一ついただけますか?」


 俺は店の主人に声をかけた。


「はいよ!」


 威勢の良い声が返ってきた。


「何だい兄ちゃん、観光かい?」

「はい」


 俺は答え、代金を支払い品を受け取る。

 ちなみにこの国の貨幣は伯爵からもらったものだ。


「この辺じゃ見かけねえ顔だけど、どこから来たんだい?」

「ずっと遠くからです」


 俺は適当にごまかす。


「そうか! 遠いところからよく来たなあ。長旅で疲れてんのかい、辛気臭い顔してるぜ」

「生まれつきです」


 俺はそう答えると、受け取った果物を持ってフィリムたちの下に戻ることにした。


 その時だった。


「ごめんっ!」


 何かが俺に当たった。フードをかぶった小さな子供だった。子供はそのまま通り過ぎる。


「待て」


 俺はその子供の手を掴む。


「は、離せよっ」


 子供が抵抗する。だが俺は離さなかった。そのまま持ち上げる。


「離せったら!」

「離してもいいが、先にそれを戻せ」

「……っ」


 子供は唇を噛んでいたが、やがて諦めたように手に持っていたものを地面に落とした。……パンだった。


「そこの店のものか」

「……」

「盗んだのか」

「……うん」


 子供はうなずく。


「お腹が空いて……我慢できなくて……」

「……」


 俺は黙って子供を見る。


「ごめんなさい……」


 子供は泣き出しそうな表情を浮かべていた。


「いや、いい」


 そうすると、店の人間がやってきた。


「このガキ!」


 追ってきた店主は怒鳴った。


「盗みを働くとはいい度胸だ、衛兵に突き出すか、それとも奴商人に……」

「失礼」


 俺は店主の言葉を遮って言う。


「この子は私の連れです。お金を払うのを忘れてしまいまして、今叱っていたところです。本当に申し訳ありませんでした。

 ほら、お前も謝りなさい」


 俺は子供に頭を下げさせた。


「……ふんっ」


 店主は不機嫌な顔をしていたが、やがてため息をつく。


「……わかった。だが次からは気をつけろよ」

「はい」


 俺は店主にお金を渡す。


「迷惑料も含めて。釣りはいりません」


 それを見て店主は言った。


「足りねえよ」



 ……。

 渡す金額を間違えてしまった。


◆◇◆◇◆


「その……ごめんなさい」


 子供は俺に謝る。


「いや、いい。俺にも経験がある」

「……そうなんですか?」

「ああ。腹がすいたので気になっていた柿を取って食べた事がある」

「木の持ち主に怒られた、んですか」

「いや。そしたらその柿の木はモンスターだった」

「……」


 果実を餌にして獲物を捕らえるタイプのモンスターだった。


「あの時は死ぬかと思った。空腹のあまりしでかしてしまう気持ちは俺にもわかる。だがだからこそ注意しないと、命の危険がある」

「……は、はい」


 わかってくれたようだ。

 しかし……


「臭いな」


 俺は素直に言う。この子供は臭い。おそらく風呂に入ってないのだろう。着ている服もフードも随分と汚らしい。乾いた泥もこびりついている。


「……ついてこい」

「え?」


 戸惑う子供に俺は言った。


「このまま放り出すのも目覚めが悪い。綺麗にしてやるから来い」

「でも、ボク、悪いことを……」

「それはもういい」


 俺は言う。


「悪いと思うなら働いて返してもらおう。この国に来たばかりで使用人が欲しかったとこだ」


 別に欲しくはなかったが。


「そのためにも汚い姿をどうにかしろ」

「う……うん」

『これが児童誘拐ですか、マスター』

「………………………………保護だ」


 今回ばかりはアトラナータが正しかった気もするが、無視した。


◆◇◆◇◆


 俺たちは現在、伯爵の屋敷に世話になっているが、流石にこのような汚れた子供を屋敷に連れ込むわけにはいかない。

 というわけで、風呂もある宿を探し、そこに連れて行った。


「俺はティグルと言う。少年、名は」

「……ラティーファ」

「そうか。では、ラティーファ、脱げ」

「え?」

「俺が洗う。早くしろ」

「う、うぅ……はい」


 彼は恥ずかしそうにしながらも、上着とズボンを脱ぎ、下着姿になった。


「下着も汚いな。全部脱げ」


 俺は言う。


「は、裸になるの?」

「そうだが?」

「で、でも」

「何を躊躇っている? 男同士ではないか」


 俺は首を傾げる。すると、ラティーファは俯きながら答えた。


「ぼ、ボク、女の子です」


 ……。


 俺は沈黙した。


(……そうきたか)


 余りに汚いのでわからなかった。


『確信犯かと思っていました』


 アトラナータが通信を投げかけてくる。


「俺は政治的思想犯ではないぞ」

『誤用の意味です。明確に言いましょうか? 女児とわかった上で裸にして楽しみたいために連れ込んだのかと』

「……冤罪だ」


 最初からわかっていたらフィリムに頼んだのだが。

 今から呼ぶか? だがあいつは買いたいものがあると言って出かけていたな……。


 仕方がない。


「こっちへ来てください」


 俺は浴室に入る。


「え?」

「体を洗いましょう。前は自分で洗ってください。私は背中と頭を洗ってあげます。大丈夫、自分は良識ある大人なので」

「でも、あの……口調が、言葉が変わってるけど」

「先程まで、男同士と思っていたので」


 子供であろうと、女性相手だからな。


「心配いりません。私は貴方に興奮しません」

「えぇ……そういわれるのもそれはそれで」


 俺は彼女の背を押す。


「さあ、入ってください」

「は、はい」


 彼女は戸惑いながらも、俺の指示に従い、椅子に座ってくれた。俺はスポンジを手に取り、泡立てる。


「痛かったり、痒いところがあったりしたら言って下さいね」

「はい……」


 俺は彼女の髪を優しく撫でるようにして洗っていく。


(……)


 改めて見ると、この子の髪はとても美しい。手入れなどされてないようなのに、さらりと流れるような銀髪だ。


「……」


 そして気づく。この娘は……獣人か。この惑星にもいたのだな。

 犬の耳を頭から生やしている。尻尾もあった。だが、彼女はその事を気にしていないようだった。

 この惑星の人々も、我々の銀河の一部で行われているように、奴隷として売買されているのだろうか?

 そんな事を思いつつ、俺は彼女の頭や身体を洗っていった。……それにしても、だ。


(可愛いな)


 俺は少し緊張していた。こんな幼い少女を相手に、何を考えているんだと自分を戒めるが、どうしても意識してしまう。


(落ち着け)


 俺は自分に言い聞かせる。


(こういう時は、円周率を数えるんだ。それも最新の)


 3。


 ……。


(くっ……終わってしまった)


 円周率はやはり3.14159265359……と教えるべきだろう。


 俺は混乱する思考を振り払うようにして彼女に向き合う。


「終わりました」

「ありがとうございます」


 そう言うと彼女は微笑む。とても可愛らしい笑顔だった。

 成長すればさぞや美人になるだろう。そんなことを考えていた時だった。


「つ、次はボクの番ですね!」


 ラティーファが目を輝かせて立ち上がった。


「いえ、結構です」


 俺は即答する。


「遠慮しないでください!ほら、座って」

「……」


 俺は観念して、彼女に従った。


「それじゃあ、いきますよ」


 ラティーファは嬉々として俺の頭に石鹸を塗りたくった。そしてゴシゴシと擦る。


「……っ!」


 思わず声が出そうになったが堪える。


「どうしました?」

「い、いや、なんでもない」

「ふーん……」


 何かを察したのか、ラティーフは楽しげに俺の頭皮をマッサージするように洗い始めた。


「……っ!」


 俺は必死に耐える。


(な、なんだこれは……っ!?)


 凄まじい快感だった。気持ち良いなんてものではない。頭が蕩けてしまいそうな感覚だった。


(危険だ……癖になりそうだ……っ!!)


 他人に頭を洗ってもらうというのはこういうものなのか。

 それともこの子が卓越しているのか。おそらく後者だろう。

 ただ他人に頭を洗ってもらうだけでこうなるなら、先程俺が洗ってやった時に彼女もこうなっていただろう。

 いや……それ以前に全宇宙の床屋は成人指定になってしまうだろう。

 だが俺は耐える。耐え抜いて見せる。

 歯を食いしばる。全身に力を入れて、顔に出ないように全力を尽くす。

 だが……


「あれ?ここが気持ちいいんですかぁ?」

「……ぐっ」


 駄目だ。わかってやっていたようだ。俺の反応を見て楽しんでいる。

 この雌餓鬼が。

 だが、ここで屈したら負けてしまう気がした。俺は己の自尊心を守るために抵抗を続けることにした。


「うわ、すごい汗ですよ? 大丈夫ですか?」


 ラティーファはクスリと笑う。


(こいつ……っ)


 先ほどまでの借りてきた猫のような態度はどこにいったののか。

 完全に遊ばれている。だが、俺は諦めない。


「だ、だいじょうぶだ……続けてくれ」

「わかりました」


 俺の言葉に、ラティーファは素直に従う。


「それでは続けさせていただきまぁす」

「……ああ」



 その後、数分間に渡り、俺は地獄の快楽を味わうことになった。


「はい、おしまいです」


(……………………耐え抜いた)


 つらい戦いだった。

 火山惑星ゴラ=エンゾでの行軍に匹敵する、いやそれ以上の戦いだった。

 正直、二度と経験したくない。だが、これでもう安全だ。


 ……そう思っていた時期が俺にもありました。


「それでは、今度は背中を流しますね♪」

「……はい」


 結局、このあとも俺は地獄のような天国を経験することになるのだった。


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