第19話 歴史の真実



 それから何分が経過した頃でしょうか、彼女の耳に聞き慣れた人魚の声が入ってきたのは。

 

「皆様にお伝えしたい事がございます!」


 顔を見るまでもありません。力強く美しい声の主は、紛れもなく王宮に仕える同僚の一人です。


 国中の民を中央広場に集めた彼は、美しい青の鱗を翻して群衆に呼び掛けました。


 よく通る彼の声は、端のほうにいる人魚たちにも問題なく届いています。


 彼は国民を相手に、なにを語るつもりなのでしょう。彼女は固唾を呑んで見守ります。


「単刀直入に申し上げます! クラーケンが、長い眠りから覚めてしまいました……。一刻も早くこの国を出てください! なるべく遠くへ。どうか、被害の及ばない場所へ……」


 響き渡る悲報。彼女自身は彼の話が終わるまでそこを動くつもりはありませんでしたが、付近にいた中年の人魚に押され、元いた位置からは若干流されてしまいました。


 他の大勢もパニックに陥り、押し合いへし合い、出口へと一直線に押しかけます。


 これはいけない。そう思った彼は、さらにボリュームを上げて民衆に語りかけました。


「皆様! 最後まで聞いてくださいませ……。お気持ちはわかりますが、一旦落ち着いて……! 兵士たちの誘導に従って行動してくださいますよう、お願い申し上げます。皆様のことは、彼らが安全な場所までご案内いたしますので……。大丈夫、動き出すまでに猶予はございます」


 人々は男の言葉で我に返ったようで、先ほどの混乱ではぐれてしまった子供たちの家族を手分けして探したり、弾き飛ばされてしまった人魚を助け起こしたりする様子があちこちで見られました。


 ひと仕事終えた男は、逃げ遅れる者が出ないように、引き続き広場の中心に留まって民の動向に注視しています。


 さまざまな色合いの鱗の人魚たちが列をなすさまは、まさに壮観というほかなく、彼は最後となる美しい母国の姿を目に焼き付けます。同時に、主の立てた計画について反芻するのでした。


 


 この国の真下には、国土の数割ほどを占める巨大なクラーケンが封印されていました。


 遠い昔、破壊の限りを尽くした海中に潜むその怪物は、この国と、それから睨み合いが続く隣国との二国に跨る形で砂中に葬られました。


 その頃はまだ、両国は友好関係を築いていたのです。


 しかし、当時はまだ、正確な国境が定められていませんでした。襲撃によって、どちらの国も壊滅し、それを示す手掛かりもありません。


 脅威の去った瓦礫の上で、人々は領地をめぐる争いを始めてしまいます。長きにわたる戦争の幕開けでした。

 

 また、葬られたとは言いますが、実のところ、とどめをさすには至っておらず、クラーケンは無力化されて一時的に眠っているに過ぎませんでした。


 なにかのきっかけで目を覚ますということも、十分にありえるのです。

 

 ……というのが、長年信じられてきた通説です。しかし、実際にはそうではありませんでした。


 国境が不明瞭になったことが戦争の引き金となったのは事実ですが、クラーケンの正体は海底火山です。


 激しい噴火の様子を何本もの巨大な怪物の足だと思い込んだ人魚が誤った自論を後世に語り継いでしまった……というのが事の真相でした。


 そして、淡い黄緑色の鱗を持つ彼の家系に継承されてきた異能とは、国の中心部にある火山の活動を活性化させ、噴火を引き起こす力です。


 これは、外敵からの侵略・占領を受けた際の最終手段であり、本来であれば、使用されることはありません。


 現に、過去の継承者たちも、大半がその力を振るうことなく生涯を閉じました。秘密が固く守られてきた理由は、なにも箝口令のためだけではなかったのです。

 

 平和を願う彼は、部下の犯した罪を誰よりも重く受け止めていました。


 王族の暗殺は、またも二国を引き裂くでしょう。今度こそ取り返しのつかない溝となって、共存共栄を阻むのです。


 彼の目には、個人の復讐であろうと関係なしに、人々が憎み合い、殺し合い……屍を積み上げる恐ろしい未来が浮かぶよう。


 それでも、都市が壊滅してしまうだけなら、まだ構いませんでした。


 ですが、民たちが復讐のそのまた復讐のために虐殺される事には、到底耐えられそうにありません。


 そこで彼は一計を案じたのです。『』と。


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