第15話 憂い事



「……という話なんだけど」


 一気に話し終えた彼は、思い出したように尾鰭の向きをくるりと変えました。


 集中していたせいでしょう、話の最中はずっと同じ姿勢が続いていたのです。


「…………恐れながら、我が君。おおよそ見当はつきますが、念のため、お尋ねいたしますね。どうして彼女の思い出話まで詳細に聞かせてくださったんでしょうか。ご自身の体験でもないというのに」


 労働のあとの長い長い昔話に付き合わされた使用人の男は言いました。


 疲労を訴えているかのようなとげとげしい物言いの彼の澄んだ青色の鱗も、心なしか色艶が鈍っています。


「言わせるのかい? それほど私が彼女を愛していたという証だよ。あの子が語って聞かせてくれた事はなんでも……いつになっても、忘れられないんだ」


 彼は寂しげに微笑みました。数種類が入り混じった不思議な色の目は、尽きせぬ慈しみで満ちています。


 男は主の深い愛に免じて、思い出話の件は不問にすることに決めました。


「そうでしょうね。……ちなみに、そのあとですが、彼女はどういった結末を辿ったんでしょう?」


「生涯、その元漁村で暮らしたさ。村での仕事に就いてすぐに政府が制度を廃止したこともあって、新しく流入してくる人もなかったから……その時点で村にいた彼らが全員亡くなったあとは、留まる必要もなかったんだけどね? 同僚だった人たちからも、こっちに越してきたらどうかって何度も誘われていたようだし……。それでも、彼女は正真正銘、最後の一人になっても、そこを離れようとはしなかった。あの子なら、どこまでだって行けただろうにね。自由な足でさ」


 彼はそう言うと、肩を竦めました。

 

「……そうでしたか。でも、彼女はきっと独りではありませんでしたよ。貴方がいたのですから」


「ありがとう。そうだったらいいな…………」


 彼は一瞬だけ苦い表情を見せましたが、男は見ないふりで続けます。


「……それはさておき、貴方がお伝えになりたかったのは、『人間が人魚の肉を摂取した際の人体への影響』ですね。不老長寿とは、なんともまあ……」


「君は飲み込みが早くて助かるよ。付け足すなら、『人魚の肉を食べた際に得られる効能が、欲深い人間たちに知れたときに起こり得る惨事』……というのも危惧している」


「ええ。まず間違いなく、全国規模で人魚狩りが行われるでしょうね。そのうえ、噂話には誇張や勘違いがつきものです。不老長寿が不老不死として伝わったとしても、なんら疑問はありません」


 男は彼方の地より轟く軍靴の幻聴にめまいをおぼえました。


 仕える主人がいかに偉大であろうと、そうなってしまえば同胞たちは滅亡を免れないでしょう。


 ただでさえ、人間たちは資源を奪い合って戦を繰り返し、若くして非業の死を遂げる者も少なくない世の中です。彼らにとって不死の体は、喉から手が出るほど欲しいもののはず。

 

「ああ。実際に、件の村の近辺では、不死の伝説がまことしやかに囁かれているようだしね。……放置すれば、この大海に息衝く人魚全体を巻き込む大問題になる。再び訪れた戦争危機以上の一大事だけれど、打つ手がないでもない」


 憂い顔に宿した光は、いついかなるときも未来を見据え、物事を好転させるべく行動する彼自身の生命の輝きのようでした。


「…………すでに、お考えがおありのようで」


「あるさ。出来る事なら、避けたかったけれど……そうも言っていられないからね」


「わたくしにもお聞かせ願えますか」


「当然だとも。君にも頼みたい事があるんだ。他の誰にも任せられない大仕事さ。でも、まずは……そうだね、私自身の能力について。そこから話す必要があるだろう……」


 自らの口からは誰にも明かしてこなかった秘密を、彼はなんでもない事のように淡々と語り出しました。


 次に、長年語られてきた歴史の真実を伝えます。


 最後に、これから行う予定の作戦の流れについて説明すると、満足げに頷いて天を仰ぐのでした。


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