第16話 計画、始動



「…………そう、だったのですか」


 使用人の男は目を見開いて、やっとの思いで一言返します。彼は、たったいま知り得た事実に圧倒されているようでした。


「うん、実はね。ずっと黙っていて本当にごめん」


「いえ。むしろ、わたくしめに話してしまってよかったのでしょうか……。先ほどの内容は、言わずと知れた国家機密ではないですか」


 今現在、彼が保持している強大な力は、王家に代々受け継がれ、何代かに一度、同時代に一人にのみ発現するものです。


 法則性はなく、百年単位で能力者不在の時代が続くこともままある異能。その実態は、能力者本人と国王夫妻以外には秘匿されていました。

 

「大丈夫さ。言ったじゃないか、いまはそれどころじゃないって。それにね、私は君だからこそ話したんだ。……心配してくれてありがとう、本当に」


「どうしてです…………」


 国中でも一、二を争う声量の美声を持つ男は、いつになくか細い声で、長年仕え続けた主に問い掛けました。


「なにがだい?」


「なぜ、そこまで……国のために尽くすことができるのですか……」


 やっとのことで絞り出した声は、やはり弱々しいものでした。肩を震わす男は、涙を流しているのかもしれません。


 ですが、ここは海の中。彼自身も気付かぬうちに、零れる雫は周囲と同化し、跡形もなく消え去ります。

 

「言わせるのかい? この国を…………いや、違うな。この陸と海せかいを、愛しているからだよ」


「…………ふふっ。そうですね、貴方はそういう方でした。……本当に、昔から変わらない」


 と、口元を和らげる男。真面目な彼の裏のない笑みは、いつも淡い黄緑の鱗を持つ彼の心に安らぎを与えます。

 

「君もずっと変わらないね。こんな私にずっとついてきてくれている。君がいなければ出来なかった事ばかりだよ……。ううん、君のおかげなんだ、全部。きっと私ひとりでは、なにも出来なかったよ。いつもフォローさせてしまって、本当にすまないね」


「身に余るお言葉です。…………叶うなら、これからも……そうして生きていきたかったです」


「最後にその言葉が聞けてよかった……なんて言うのは、卑怯だね。引き受けてくれてありがとう」


「ええ、必ずや完遂してご覧に入れましょう」


 男はそう言い終えたあと、なにかに気付いたように口元に手を当てましたが、彼の主はあえて指摘することもなく、ただ優美に微笑を湛えるばかりです。


「健闘を祈る」


「……ご武運を。我が君」


 二人の人魚は黄緑と青の尾鰭を軽く触れ合わせて背を向けたきり、二度と会うことはありませんでした。






 主と別れた使用人の男は、急いで島を目指します。


 彼は、殺しに手を染めた同僚が証拠隠滅を謀った現場に向かっていました。目当てはもちろん、波止場の大型船……その乗組員です。


 知らずに人魚の肉を食べさせられた気の毒な船乗りたちに待ち受けているのは、予期せぬ死。生命の強制終了。


 まもなく彼らは、人魚たちの平穏のために沈められてしまうのです。


 この先数十年、彼らが生きたところで、それは寿命の範囲内。


 周囲の人間は、自分たちが世を去ったあとに彼らが何年生きるかなど、知る術もありません。

 

 しかし、人魚の肉を食べた人間は、その時点で老化が止まります。


 ……となると、元来の寿命を迎えるよりずっと早く、彼らか、あるいは彼らの周囲が異変に気付くことでしょう。


 そこから真実に辿り着く事は難しいかもしれません。


 なにせ彼らは催眠状態にありました。自分たちが人魚の肉を口にしているという事実すら、彼らは知らないのです。


 そうはいっても、不安要素は完全に排除するほかありません。


 遠い昔、人魚の肉を食べた人間が不老長寿を得たという話がどこかの地方には伝わっているといいます。


 世界中を探せば、似たような伝承はいくつも見つかるでしょう。


 食糧危機に瀕した人々や、まだ見ぬ珍味を追い求める人間は、体の半分が魚である人魚を食らう事もきっと、厭いはしませんから。


 海中にとどまらず、陸上における平和な世の到来も、彼と彼の主のかねてよりの願いでした。


 しかし、それが実現するとなると、どうでしょう。


 それは国家間での人の往来の増加、物資の交換や情報伝達の活性化などを意味します。人魚の肉を口にした人間の話についても例外ではないはず。


 やがてそれが伝播すれば、欲をかいた人間は人魚を追い回し、殺戮を行い。人間は人間同士で、貴重な人魚の肉を奪い合う。そんな、血で血を洗う事態に発展するでしょう。


 杞憂で済めばそれに越したことはありませんが、人間はそういう生きものだと、すでに数百年の時を生きる彼は承知していました。


 人魚についても同様です。王族殺しが露見すれば、隣国の民は報復を企てるに違いありません。


 彼女一人の命を捧げても、彼らは納得しないでしょう。猛る暴徒たちの魔の手が国民に襲い掛かる事を、彼の主はなによりも恐れていました。


 彼には、無辜の命が失われるさまを指を咥えて見ている事など不可能です。


 だからこそ二人は、その芽を摘むべく暗躍を誓ったのでした。




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