十 幽霊と元気のない人

「なあ、やっぱり帰ろうよ……」

「何、お前ビビってんの? ここで写真撮ってクラスの奴らに自慢するって決めただろ!」


 手掘りの跡が残る古めかしいトンネルを前にして二人の少年が言い争っていた。片や怯えてすがり、片や眉を吊り上げ息巻いている。新月の夜、頭上では満天の星が輝いているが明るさは心許ない。


「撮るぞ……」


 やがて決意を固めたのか、スマホのインカメを起動してトンネルを背に並んだ。黄みがかった電灯に照らされているが出口は見えず、み出た地下水の滴る音だけが反響している。そして初夏に似つかわしくない冷たい風が二人の頬を撫で、緊張が最も高まった瞬間……突然背後に現れる私!


 大きな叫び声を上げ一目散に逃げていく少年たちの背中を見送りながら腹を抱えて大笑いする。「ギャー!」だってさ。しかも息巻いてたほうが逃げ足が早いときたもんだ。

 ここはそれなりに有名な心霊スポットらしく、時々肝試しに来る奴らがいる。それを揶揄からかって追い返すのが最近の私の楽しみだ。生者の恐怖心に合わせてグッと気合いを入れると、こちらの姿がぼんやりと見えるらしい。たぶんバグ技みたいなもんだろう。


 人口が爆発的に増えた現代、あの世は大忙し。無事に三途の川を渡れたものの、その先は整理券を渡され長い順番待ち。だから体はとうに無くなってしまったというのに、魂だけがこうして現世で暇を潰しているというわけだ。


「おう、聡子さとこちゃん。今夜もやってんねぇ」

「はは、お陰様で~。じんさんも元気そうですね」

「いうても死んどるけどな」


 お決まりの幽霊ジョークで盛り上がる。肉体から解放され、待っていたのは幽霊仲間との緩い日々。


 仁さんは私と違って天寿を全うしたらしい。火葬するとき棺桶に入れてもらったという紋付き袴を着こなした白髪の老人だ。生前の身体の不調もすっかり無くなり、趣味のハイキングや音楽鑑賞も捗っているという。悠々自適な老後ならぬ死後だ。


「あ、見てくれ。狐薊きつねあざみが咲いとる」

「本当だ、綺麗ですね~」

「もうじき夏も本番だ。お盆の時期だねぇ」


 「今年はどんな精霊馬が見れるんでしょうね~」なんていう雑談が始まる。盆入りの夕方頃になると正統派の馬だけでなく飛行機や船や車、果てはドラゴンまで現れるのだ。交通整理する獄卒は大変そうだけど、多様化した精霊馬は正直見ていて楽しい。

 仁さんも、未だ乗ることはないもののお孫さんがお手製の精霊馬を作ってくれているようで、頬を綻ばせている。


「やっぱりまつられたりとむらわれたりっていうのは、嬉しいもんですかね」


 ぽつりと零してしまった言葉に、仁さんは当たり前のように答えた。


「そりゃあ、そうさ。この世からいなくなっても忘れずに思い続けてくれるのは嬉しいよ」


 嬉しさと愛しさに混ざって僅かに寂しさもにじむ笑みを見て、遺された家族のことを考える。長生きして円満な最期を迎えられたのなら、いくらか寂しさは紛れるのかもしれない。仁さんのお葬式では長寿の祝いにお赤飯と紅白饅頭が振舞われ、涙しつつも笑顔で見送ってくれたらしい。


 私の場合は急なお別れになってしまったし、遺族の取り乱しようは酷いものだった。今はどうしているだろう。死を引き摺っていつまでも悲しみに囚われているのだとしたら、いっそのこと忘れてほしいとすら思う。


 暇つぶしの合間にこんなことを考えてしまって、魂だけじゃなく気持ちも宙ぶらりんだ。忘れて、忘れないで、寂しい、思い出さないで、覚えていて、会いたい、私はまだここにいる。



 なんて考えていたら来てしまった、生前に住んでいた家。私の遺影の前で俯く猫背の愛おしい人。まさか落ち込んでいるんじゃないだろうな。


「元気出しなよ」


 当然のように反応はない。まるで聴衆のいない講談、読者のいない小説。こんなに虚しいものはないよ。


 恐怖でも願望でも何でもいい。そこに居るだろうという確信めいた強い気持ちがないと、霊体を見ることは叶わない。

 葬式を挙げて心に整理をつけて、私がいない世界を受け入れたんだろ。忘れることは出来なくても、心の隅に大切に仕舞い込んで前を向けるように頑張っているんだろ。だから幽霊を見ようともしないし、見えない。全部わかるよ、大好きな人のことだから。


 だけど、せめて私の現状を伝えられたらなあ。


「私は元気にやってるからさ、君も前を向きなよ」


 私の口から出た言葉は誰の耳にも届くことなく儚く消えた。元気だけど、悲しいかなもう死んじゃっているから。

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人外と人間の(非)日常 十余一 @0hm1t0y01

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