九 不定形の■■■■と読者※

 枕の下を確認する癖がある。毎晩寝る前に枕を持ち上げて、そこに何もないことを確認する。そうしてやっと安心して眠りにつく。

 自分でも変な癖だとは思う。でも、ぼんやりとした不安に駆られてやらずにはいられない。物心ついた頃から一日も欠かさず続けていることだった。


 今日も煌々とした部屋の明かりの下で布団を注視する。ジッと見つめてもお気に入りのシーツが皴一つ無く広がっているだけだった。ふと、私は何をしているんだろう、という考えが過る。暗闇を怖がる幼子じゃあるまいし。もういい加減、意味のないことはやめよう。


 翌日、何年も続けていた日課をやめた。

 少しだけ気掛かりに思う気持ちを無視して布団に横たわる。眠りに落ちる直前、耳元で音がした。蠢くような、這いずり回るような……。

 バッと勢いよく飛び起きて照明をつけた。先程まで頭を乗せていたところから少しだけ這い出ている、得体の知れない何か。もう怖くて枕の下を確認できない。


 ◇


「ね、どう? 怖くね?」

「うう~ん」


 ネットで見つけたとっておきの怖い話とやらを自信満々に見せてきた友人。その顔は期待に満ちている。


 目の届かない場所に潜む正体不明の何か、そういうものに恐怖心を抱くということが昔はあったらしい。例えば日常的に見る暗闇だとか、あるいは深い森や海、そういうところに潜んでいそうな存在を妖怪だとか幽霊だとか言って。でも、そこに居た存在はもう未知ではなく既知となり、怯える必要がなくなった。だから……。


「ちょっと、価値観が古くてピンとこないかなぁ」

「えー、このレトロさが逆に良いんじゃん!」


 俺から望みの反応を引き出せなかった友人は口をとがらせ不貞腐れる。面白いと思ったものを共有するのはいつものことだけれど、今日のはイマイチだったな。そうしているうちに今度は、憧れだというサッカー選手の動画を嬉々として見せてきた。スーパープレイ集だ。これは素直に凄いと思う。


 時代遅れの怪談話なんて、その場限りのただの雑談のはずだった。

 だけどその夜、俺は寝る前に枕を持ち上げてみてしまった。当たり前だが何もいない。いるはずがない。別に怖いと思ったわけじゃない。ただ、昼間そういう話をしたなあと思って、なんとなく行動に起こしてみただけだ。


 翌朝、登校して下駄箱を開ける手が止まり、昨日の話を思い出す。もしもこの中に得体のしれない何かが潜んでいたら……?


「おはよー!」

「おぁ!? お、おはよ……」


 友人は昨日の話をまるで気に留めていないようで、普段通り下駄箱を開けて靴を履き替える。なんだか悔しいような気持ちになって俺も思い切って自分の下駄箱を開けた。上履きしか入っていないことに安堵の溜息をつきかけて気づく、俺は何をこんなに怯えているんだ。くだらない与太話を気にするなんて阿保らしい。もう気にしない、忘れる、忘れた!


 しかし、忘れようとすれば却って脳内に焼きつき、気にしないようにと思えば思うほど気になりだす。

 例えば教室の机の中、薄暗い体育倉庫の中、通学路にある植木鉢の下、自宅の浴槽の中、勉強机の引き出しの中……。何かが潜んでいるかもしれない所は、全て確認しないと気が済まない。もちろん枕の下も見る。今日も明日も明後日も、次の日も、毎日毎日。そうして自分の目で確認して、安心してから眠りにつくようになった。



 価値観が古いだとか時代遅れだとか言って馬鹿にしていた頃の俺はもういない。一度そこに「いるかもしれない」という可能性を感じてしまうと、本当に現れるような錯覚に陥ってしまう。恐怖は、人間の認識によって形作られるのかもしれない。そして、見えないところから這い寄ってくるんだ。だから、疑わしいところを明るく照らしておけばいい。目が届く範囲を広げてさえいればきっと大丈夫。


 今日も今日とて見て確認する。パーカーのフードに何も入っていないか見る、ズボンのポケットに何も入っていないか見る、靴を履く前に一度ひっくり返してみる。こうしてよく見て確認さえしていれば、アレが入り込む余地なんて無いはずだ。だから見る。見る見る見る、見る……見る……? ところでアレって何だ? と思った瞬間、耳の中で蠢くような音がする。どうりで、どこを見てもいないわけだ。

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