第26話 さよなら朕朕また会う日まで
ギロリとむきむきアームを睨みつける朕。でも、空から生えた腕の方はそんな視線もなんのその。私に向かって、厳かな声で語りかけて来た。
『さぁ、邪魔者はいない。
次なる最愛よ、手を。
さあ、手を取りなさい。』
そう言ってズズいと巨大な手のひらを近づけて来る。…この手って触って大丈夫なやつなのかな。さっきはどうしようもなくって、つい勢いで触れたけど、なんかヤバいかも。最愛とか言ってるし。もしやロリコン…?私が躊躇っていると、腕からまた声が響く。
『さぁ、余と共に楽園へ。
……ん?どうした現今の最愛よ。』
お?どした?流れ変わったな。突然、私以外の誰かと話し始めたむきむきアーム。…なんかむきむきの指先が汗でじんわりと湿ってきた気がする。なんかこの人?この指?焦ってる???
『え?不倫?余が浮気した?
ちょ、ちょっと待ちたまえよ…。
余は主神ゆえ妻の一人や二人や三人は召し抱えてもよいのでは…?
……え?うんうん?え?何?ご飯抜き?
え?うんうん?え?何?別居?
え?うんうん?え?何?り、離婚!?
ま、待ちたまえって!現今の最愛!』
なんか凄い修羅場ってる!てか奥さんいたのかよ!この女の敵!ふぁっ○ゅー!
威厳もクソもない震え声のむきむきアーム。声だけでなく手の方もなんだか慌てた様子でワキワキと動き始めた。
『えっ。いや暴力って、そんな前時代的な肉体言語なコミュニケーションは余は望んでないっていうか…。
あっ!駄目ぇっ!余のむきむき乳首が千切れるぅっ!ああーー!救けて次なる最愛ー!!』
むきむき乳首って何?単語だけでクソキモいんだけど。
…ってうおお!物凄い勢いでむきむきアームが空に吸い込まれてく!そのまま、しゅぽん!とコミカルな音と共に空にバイバイしたクソデカおてて。なんだったんだ…。最初から最後までさっぱりわかんなかった…。
後に残されたのは呆然と立ち尽くすマクダマさんに私。そして同じく立ち尽くす朕とその他黒ローブの面々だ。
「なんと言うことであるか…」
辺りを見回して、そう呟いたのはマクダマさんだ。まあ、私も同じ感想だ。だって、ひび割れた石畳も、怪我をした騎士さんたちも、ドロドロに呑まれて眠ってた人たちもみーんな、綺麗に治しちゃったんだもん。こんなとんでもない魔法を私が使ったってホント?これは聖女ですわぁ(自画自賛)
「地味ん子ー!大丈夫かぁー!」
む!このきったねぇけど安心感のあるガラガラ声は…。
「タタラガ!その他!」
「おう!」
「誰がその他ですか!」
遠くから手を振って来るお馴染みの面々。良かった。みんなも無事みたいだ。アリストアお姉さんも元気にツッコミを入れてくれた。騎士の人たちも、倒れた黒ローブを拘束していってる事だし、これにて一件落着!
私がほっと一安心したその時だ。
「聖女ぉ!」
「うおっ!」
私の体を掴んで駆け出した男が一人。朕!お前まだ動けるのか!
「もう!諦めろよー!このお朕朕!」
「珍妙な呼び名は止めろ!機会を得た…!ならば手を伸ばさずどうする!獣にも劣る愚神の力により得たと思うと…癪だがな!」
「難しい言葉が多い!簡単に言って!」
「ちん、せいじょチャンス、ばいりつどん、さらにばい」
「なるほど!」
聖女チャンスか。なら仕方ない。…?いや、よくわかんないな。よく考えたらよくわかんなかった。何この頭の悪い文章。
…いやいやいや!そうだよ!このまま連れ去られたら私、生贄にされるんだった!いくらお母さんを助けたいからって流石にそれは許容できない。私は朕の腕の中でもがき倒しながら声を張り上げる。
「朕!朕はお母さんを助けたいって言ってたけど!他に方法あるかもじゃん!こんな黒魔術みたいな方法やめてみんなで探そうよ!私も協力するから!」
「ふっ、お優しいことだ!聖女…お前のそれはただの憐れみだ!他の方法など全て試した!我らに残された道は非道にしかない!」
「でも…!そ、そうだ!私のさっきの激スゴ魔法で…!」
「…それこそ無駄だ!あの愚神、ジョルスき」
ドキュゥ!!
「え?」
アリストアお姉さんたちがいる方から何かが勢いよく飛んできたかと思うと、突然朕の動きが止まった。そのまま、つんのめったように彼はどっと倒れ伏す。
「うわっと!…朕?どしたの?」
転んだ際に、どうやら私を庇ってくれたみたいだ。おかげで怪我ひとつない。朕、大丈夫?勢いよく倒れたけど…。
心配になって朕をゆする。返って来るのは呻き声だけだ。苦しそうに呻く朕を起こそうと、手を伸ばすと何やら湿ったような感触があった。
べちゃ
「?…ってうわ!」
見てみれば、触れた手のひらにはべったりと血がついている。嘘でしょ…!?こんなたくさんの血、早く治療しなきゃ…!
朕はうつ伏せに倒れたまま、うわ言の様に何やら呟いている。
「…やはり、朕では駄目なのか…。結局、『勇士たる群像』も呼べずじまいだ。所詮、朕は『無辜の民』か…何も出来ず…何者にもなれない…」
「朕!?もう喋らないで!傷が…」
「…心の臓を貫かれている。もう…長くはない」
嘘!うそうそうそ!こんなのやだよ!喉が締め付けられる。目元が熱くなって、ボロボロと雫が溢れ出した。
私は必死になって朕の体を揺する。全部を諦めた様に、脱力していく朕の体を駄目だと分かっても声を荒げた。
「嘘!朕?朕!死ぬの?死なないでよ!」
「ふ、ふはは…名も知らぬ相手に涙を流すとは。聖女とはどうも心優しいのだな」
「な、名前、聞いてたよ…。う、ウルフェロ…って言うんだよね…」
「…それは、朕たちの名…だ。朕たちは、はぐれた狼が集まった出来損ないの群れ…。朕の…朕だけの…本当の名は…」
そこで初めて朕の本当の名を聞いた。何処にでもいる、とっても普通な名前。朕の一人称からは想像もつかなかった何処にでもいる男の人のよくある名前だ。
「なぁ…祈ってくれないか…」
「祈る…?ぐす、でも私祈った事なんて…」
聖女としてでなく、ただの私としてもちゃんと祈りを捧げたことなんてない。…情けないな。私は私が恥ずかしくなった。
ただの形だけの祈りだ。両手を重ねて、何処に向けてかもわからないまま、ただ目を閉じた。そんな私を見て、朕は目を細める。
「ふふ…聖女の初めての祈りを…朕が…」
「祈りとは…こんなにも…温かいのだな…。ありがとう、聖女…いや…ハリナ…」
そう言って、朕は微笑んだかと思うと何も話さなくなった。いつの間にか、地面には真っ赤な水溜まりが出来ている。
さっき、空から生えた腕が教えてくれた魔法を唱えようと思ったけど、今の私にはその一節すら、思い出すことが出来なかった。
********************
男は何者でもなかった。誰にもなれなかった。ただ、暗がりでゴミを漁り、ネズミや虫ケラと同じように生きてきた。
そんな男がある日、暗がりの中から覗いたのは、自分では価値もわからないような華々しい豪華な服を着込んだふんぞり返った男だ。
何頭もの馬、何人もの人、大きな馬車、その上にいるキラキラした冠を被った男。その人間が、『朕』と自身の事をそう呼んでたから、暗がりの中の男も真似をした。
『朕』と名乗ると、何故だか自分も何者かになれた気がした。ゴミで作った冠を被って、ボロ布をマントの様に羽織ると、不思議と笑みが溢れた。その日から男は『朕』と名乗る様になった。
その数日後の事だ。男が死んだのは。長い長い拷問の末、王を侮辱した罪で男は、名も、その身もゴミのように打ち捨てられて死んでいった。男は最期の時まで、何故自分がその様な仕打ちを受けたのか理解すら出来なかった。
なんのこともない。何者にもなれなかった男の話だ。
********************
「さようなら『無辜の民たる』私。どうか次の生は、恵まれたものであります様…」
(…あぁ、さようならだ。『騎士たる』朕。どうか今生にて、宿願の果たされる様…)
「…」
「……」
「………」
「どうしました副団長?」
「…いえ、罪人の死亡を確認しました。心の臓を一撃、見事な狙撃ですアリストア様」
『青の聖騎士』副団長は、いつもと変わらない無表情で己の上司、アリストアの方へと振り向いた。アリストアの方も、別段彼女の態度には疑問を抱いたわけではないようで、彼女の褒め言葉に、困った様な笑みで返した。
「褒めても何も出ませんよ。それより…聖女の方は?」
「お体の方には傷一つありませんでした。ただ気を失っていただけの様です。おそらくですが、心の方には少々傷を残したものかと」
「…そうですか。子どもには刺激が強かったのでしょう。…私は恨まれるでしょうか」
「気にしておられるので?」
「…まさか!冗談がキツいですよウルフェロ!」
つい語気を強めて、副団長の彼女を昔の様に名前で呼んでしまったアリストア。彼女と副団長の彼女は聖騎士見習いの頃からの付き合いとなる。普段こそ、上司と部下の関係を心掛けているアリストアであるが、此度は少々取り乱してしまったようだ。
しかし、無表情な副団長はいつも通り冷静に、淡々と彼女を諌めた。
「アリストア様。皆がおられる場ですから…」
「こ、こほん。貴方が急に変なことを言うからですね…。しかし…」
気を取り直すように一つ咳払いをして、「聖女の魔法とは凄まじいのですね」と、彼女は市街地の真ん中に目を向けた。黒ローブの残党たちが捕らえられている、傷一つない光景を前に、彼女は初めて地味で無礼な少女、ハリナに畏れを抱いた。
*******************
意識を失ったハリナを見送って、残った黒ローブの捕縛をしていたタタラガとその他の騎士たち。
その中で、ぼんやりと佇む団長であるマクダマを目にしたドラゴニュートのタタラガが慇懃無礼な態度で、彼に近づいた。
「どうしたよマクダマ団長」
「………」
返事はなかったが、タタラガは呑気に言葉を続ける。腕を組み、先程のハリナから放たれた光の魔法を思い出しながら彼は、己の団の団長に尋ねた。
「何が起きたかいまいち分かってねえんすけど。…あのすげぇ魔法って地味ん子がやったんすか?」
ギロリ
マクダマの冷たい視線がタタラガに向けられた。我に帰った彼の視線に射抜かれたタタラガは蛇に睨まれたカエルのようだ。カチンコチンに固まったトカゲ頭を前に、マクダマはいつもの調子で呟く様に言葉を返す。
「聖女殿に不敬であるぞタタラガ」
「…す、すんません」
「我輩は先に戻る。救済の件で、教皇様からお呼び出しを受けるであろうしな…」
「…げ。俺もやべーかも」
聖女をぶん投げた件で始末書を書かされるかもしれない、とタタラガは困った様に頭を掻いた。そんな彼をこづいたり、「死刑じゃねーの」と心配する他の黒の騎士たち。
大勢の騎士団員も、タタラガも、その場を去る黒い鎧の長の表情の変化には気づかなかった。彼の呟いた言葉も、その真意にも。
「闇の中で見つけた一条の光…。このマクダマ、必ずや…」
『黒の聖騎士』団長、マクダマ・ガルガラッジは蛇の様に深い笑みを浮かべていた。
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