第27話 駒鳥と鷦鷯

 

 翌日。

 北部第3警察署は、朝から喧騒に包まれた。


 モーガンとラークはまだ食堂で朝食をとっており、マリーもその場でコーヒーを注いでいる時だった。

 バタバタと同僚の刑事が食堂に駆け込んできたかと思うと、大きな声で叫んだ。


「アデル・ジェニーレンとクリフ・ミルヴァスが乗り込んできたんです! クロウさん! 来て下さい!!」


 その言葉を聞いて、思わずモーガンとラーク、マリーは、それぞれ顔を見合わせてしまった。


「まさか、こんな朝早くから?」

「朝一で馬車を出したってことだな」


 モーガンはまだ上手く動かない頭にカフェインを流し込み、席を立つ。

 厄介だという思いと、今更何をという思い、そしてマリーを守らなければという思いが入り乱れている。

 それに続いて、ラークも立ち上がった。

 まだ食べかけだった目玉焼きを必死にかき込み、頬を膨らませている。


「あの、私も行きます」


 マリーは真剣な表情で、モーガンに言った。

 モーガンは意外に思った。

 昨日、マリーはアデルたちに直接会うことを嫌がった。

 だから、今回も積極的には会わないだろうと踏んだのだ。


 しかし、マリーはすでに決意していた。

 出来ればこのまま、2人には会わずに済ませたいと思っていたけれど、それはただの甘えだ。

 きちんと訣別するのなら、ちゃんと顔を合わせて話す必要がある。

 もう、自分には2人が必要ないのだと。






 モーガンとラーク、マリーは、連れ立って警察署へ向かった。

 アデルとクリフは一旦、モーガンのオフィスに連れて行かれたようだ。

 確かに2人を取調室に入れる訳にいかないのは確かだが、だからと言って何故自分のオフィスなのだとモーガンは思う。

 そんな少しばかりの不満を持ってオフィスに入ると、アデルとクリフは案外静かに待っていた。

 いや、クリフは腕を組み貧乏揺すりをしているし、アデルもキョロキョロとして落ち着かない。

 まるでその場に座っていることが苦痛でならないと言わんばかりだ。

 2人の間にはなんとも不思議な距離感があり、お世辞にも恋仲とは思えないほど、張り詰めた空気が漂っている。



 事実、アデルとクリフは今日、ほとんど言葉を交わしていない。

 アデルが朝一で馬車に乗り込むのを認めたクリフが、ほぼ無理矢理一緒に馬車に乗り込んだのだ。


 昨夜、「マリーが実は生きている」という知らせを聞き、2人はそれぞれに歓喜の声を上げた。

 アデルは、マリーの亡霊など本当はおらず、もう苦しむことはないのだと知り喜んだ。

 クリフは二度と会えないと思っていたマリーが生きていたことで、生きる気力を取り戻した。

 早く、早くこの目でマリーが生きていることを確認したい。

 その一心で、馬車を走らせた。

 道中、馬車の中では、一切言葉が交わされなかった。



 モーガンがオフィスに入ると、2人はバッと音が出る勢いで立ち上がった。


「ちょっと! マリーはどこなの!?」

「早くマリーを出せ! このクソ野郎!!」


 アデルは淑女の顔を完全に脱ぎ捨てているし、クリフは路地裏に居た頃の口調に戻っている。

 その様子から、彼らが本気でマリーの帰りを切望していることが窺えた。


(彼らも、本当はマリーを愛していたのだろうか……?)


 モーガンは考える。

 ならば、何故。

 何故マリーを裏切るようなことをしたのだろう。

 本心がどうであれ、その事実は、決して変わらないのだから。



「まさか、こんなに早くいらっしゃるとは思いませんでしたよ」

「まあまあ、とにかく落ち着いて座って下さい」


 皮肉を込めて言うモーガンと、慌てて取り成すラークに、2人は厳しい目を向けた。


「あなたたち警察が、嘘を言うからいけないんじゃない!! 酷いわ!! それでもこの国の番人なの!?」

「とっととマリーを返せ!! いつまでもマリーを閉じ込めておく気か!?」


 激しく詰め寄り唾を飛ばすアデルとクリフは、次の瞬間、言葉を失ってぴたりと止まった。


 モーガンとラークの後ろから、マリーが顔を覗かせたからだ。



「マ、マリー……?」

「本当に、マリーなのか……。本当に、生きていたんだな……!!」


 呆然とするアデルの横で、クリフは思わずマリーを抱きしめようとして……出来なかった。

 マリーが、クリフを避けてモーガンの背中に隠れたからだ。


「マリー……?」

「あの、手紙に書きましたよね。私、あなたたちのこと覚えていないんです。というか、思い出したくもないというか」


 マリーはそう吐き捨てた。


 アデルとクリフは、強い衝撃を受けた。

 これまでマリーに、こんな風に邪険に扱われたことなど、一度もなかったから。



「聞きました。お二人は、私と一番近しい存在だったんですよね。でも、それで私を裏切っていたんですよね。ならもう特に言うことはありません。それが全てですから」


 そう言って、マリーは冷ややかな視線を投げかけた。

 アデルとクリフは混乱していた。

 目の前の、このマリーと良く似た人物は誰だろう。

 マリーはいつだってアデルの我儘を笑って受け止めてくれたし、クリフにも穏やかに接していたのに。


 こんなマリーは、知らない。



「マリー……? ごめんなさい。謝っても謝りきれないわ。でも、もう私たち終わりにしたのよ。だから戻ってきて? 今は記憶がなくて混乱しているかもしれないけれど、きっと屋敷に帰ったら全部思い出すわ」


 アデルこそ混乱しながら、マリーを宥める。

 実際は終わりになったのかどうか酷く曖昧な状態であることを棚に上げ、声を和らげて言った。


 マリーはいつだって、アデルの言うことを聞いてくれた。

 他の誰よりも、アデルを優先してくれたのだ。

 こんなに冷たいことを言うのも、記憶を失っているからだ。

 私が話せば、きっと分かってくれる。

 アデルはそう思った。

 けれど、マリーはそんなアデルを、一切の感情がこもらない瞳で見返した。


「それで、また私をあなたの背景にするつもり?」

「え……?」


 アデルは一瞬、何を言われているのか分からなかった。

 しかし徐々にその言葉を理解するにつれ、段々と顔が青褪めていく。


「な、何を……」

「捜査員の方が、屋敷から服を持ってきてくれたんです。それで驚きました。びっくりするくらい地味なものばっかりで、全然好きな服じゃありませんでした。記憶がなくなったからといって、好みまで変わるんでしょうか?」


 あくまで不思議そうに言うマリーに、アデルは言葉を失くす。

 何も言えないからだ。

 アデルは、マリーの好みなど気にしたことがなかった。

 いつもアデルが選ぶ服を喜んで着ていたから、実際に地味な服が好きなのだろうと思っていた。

 地味なマリーが華やかな服を着ても似合わないだろうし、何も疑問に思ったことはなかったが……。



 そう言えば、今のマリーは、何だか違う。

 何が違うのか判然としなかったが、よく見れば、以前ほどの地味さを感じない。

 服装? 髪型? 表情?

 いや、きっと全てだ。

 服は決して豪華なものではないエプロンドレスだが、袖のパフスリーブや胸元のフリルが、適度に清楚にまとまっていて良く似合っている。

 髪型も、今まで見たことのないようなまとめ方だ。

 マリーはいつお団子に纏めているか、外出の時はバレッタで簡単に留めるかしかしていなかったのに、サイドを編み込んで後ろをリボンで一つに纏めている。


 そして何より。

 何だか、表情が明るい。

 決して笑っている訳ではないのに、何故か明るく感じる。

 それはきっと、これまで常にマリーが纏っていた卑屈な雰囲気がなくなったからだ。

 マリーはいつも、どこか暗く、まるで全てを諦めているような、そんな雰囲気があった。

 けれど今は、それがない。

 アデルの知っているマリーとは、まるで別人のように感じられた。



「私はもっと、鮮やかな色が好きです。あんな濁った色ではなくて。何でこんな服ばかりなんだろうと思いましたけど、あなたを見て分かりました。あの服を着てあなたの隣に立つ私は、とても良い引き立て役になったでしょう」


 マリーの言葉に、アデルは頭を殴られたかのような衝撃を感じた。

 アデル自身はよくそのことを認識していたが、マリーがそれを口にしたことは、これまで一度もなかった。

 けれど、マリーから直接そう突き付けられれば、自分が如何に卑怯な行いをしていたか、まざまざと見せつけられている気分になった。

 アデルは思わずかぁっと赤面する。

 羞恥心から、体が震えた。


「私は何も覚えていないので、もしかしたら私自身が進んでやっていたのかもしれないですけどね。ですが、少なからず私はもうあんな服は着たくありません」


 そんなアデルの様子を見ながら、マリーはそう付け加え、そっと視線を外した。

 アデルを想う気持ちが蘇りかける。

 けれど、もう分かっていた。

 マリーのアデルを想う気持ちは、ほとんど自己暗示に近い。

 アデルを愛していなければ、自分が保てなかったから。

 アデルを愛し憐れむからこそ、アデルの影としての役割に耐えることが出来ていたのだ。

 だが、もうそうする必要はない。

 もう、自分を偽る必要はないのだ。




「……マリー。まさかもう帰ってこないつもりか?」


 暫しの静寂を破って、それまで黙っていたクリフが声を絞り出した。

 しかしマリーは一瞬、誰の声か分からなかった。

 あまりにも、今までのクリフとは違う、とても低い声だったから。

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