再度、腹をくくるとき

 それはさすがに都合がよすぎないか。そもそも、潜入の手引きはフィリップから言い出したことではないか。マクシミリアンは不審に思ったけれども、他はそうでもなかった。

 眉間にシワを寄せた彼の横から、彼に代わって承諾したのは賢い妻デボラだ。


「しかたありませんね。天下のグッドマン商会が潰れでもしたら、とんでもない数の人が路頭に迷うことになりかねませんもの。ねぇ、あなた?」

「あ、ああ、そうだな。いや、だが……」


 妻のもっともすぎる話に危うく頷きかけたマクシミリアンだった。


(いやいや、確かにグッドマン商会が潰れでもしたらなんて考えたくもないが……)


 善人と呼ばれる男だけれども、善人というだけでリセールで一番影響力のある顔役に成り上がれるはずがない。リセール公ともあろう人が、いまだに何かとお伺いを立てている男だ。仮に今日フィリップが倒れたとしても面倒見がいい彼のことだ、路頭に迷わせないようすでに手を打ってるに違いないというのに。

 今さら保身に走る意味がわからない。

 けれども、納得がいかないのは彼だけのようだ。


「難しく考えることはない、マックス。ようは俺たちがヘマしなければいいだけだ」

「うん、マクマク、ダイジョウブ、ダイジョウブ!!」


 いったいどこまで理解しているのかわからないけれども、軽く言ってのけたチャールズにチェチェは元気に後押ししてくる。


「チェチェ一緒、ダイジョブ!!」


 そもそも、目をキラキラ輝かせている少女を巻き込みたくなかった。

 大陸語のみの意志の疎通が難しい彼女に、リチャードが彼女の言語で説明してくれたのは知っている。それでも、この国についてほとんど理解していない以上監獄潜入作戦からチェチェを外すべきだ。

 すべてを打ち明けてくれたフィリップを馬車で送り届けたあと、マクシミリアンはすぐに双子にそう訴えていた。


「チェチェは、しっかり理解している。大陸語は不十分だが、そもそもアウルム族は言語よりもアウルを介して意志の疎通をしていた。アウルは至るところに存在し、命そのものであり、世界そのものである。目に見えるものはもちろん、目に見えないものにも宿る光であり陰である。人間もアウルの一部なのだろう。……とにかく、あいつはちゃんと理解している。それは間違いない。アウルについては、言語で説明するのは難しい。それはお前もよく理解しているだろう? 理屈で考えるな」


 リチャードが言ったことは理屈抜きでわかる。というよりも、腑に落ちる思いだった。

 つたない大陸語を話すくせに、こちらの伝えたいことはしっかり理解している様子に違和感を覚えることはたびたびあったのだ。とはいえ、チェチェの側にはリチャードがいたこともあって、二人きりになることもなかったので、それほど気にならなかった。

 けれども、計画の危険性を理解しているならなおさら巻き込むべきではないとさらに訴える前に、チャールズが気にするなと笑いながら言った。


「ああ見えて、チェチェは賢い娘だ。見た目通り子ども扱いすると、痛い目見る。あいつは、理解した上でお前の力になりたいって言ってんだよ」

「俺が、特別だから?」

「アウルンコーガーだからって? そりゃあそうだろうよ。アウルム族が待ち望んだ栄光の英雄だしな。アルルンコーガーに奉仕するのが連中の至高の名誉だとかなんとかだったか。まぁそれはそれとしても、チェチェはアウルンコーガーでなくったって、マクマクのためって張り切ってただろうよ」

「チェチェには、わたしたちもついている。お前が心配するようなことは何も起きない」

「そもそも、子どもを連れて行くべきじゃないと俺は言ってるんだ! そもそも俺には彼女を連れて行く必要はない計画を立てるべきでは……」


 大人の事情に子どもを巻き込むなど、どうかしている。マクシミリアンは、思わず声を大きくしてしまう。

 チャールズは隠形の術を長時間持続させるために、チェチェが必要だと言った。けれども、冷静に考えれば、長時間持続させる必要のない方法があるはずだ。フィリップがどんな計画を用意してくるかにもよるだろう。おそらく、フィリップならばチェチェを巻き込まずにすむ計画を立ててくれるのではと期待してもよいのではなかろうか。どうしても彼女が必要不可欠だというならば、ヒューゴとの接触を諦めればいいだけ――などとマクシミリアンが一気に話し終えると、チャールズもリチャードも吐き捨てるように笑った。チャールズの顔から軽薄さが一切合切消えると、本当にこの双子は見分けがつかない。

 馬鹿にされたかと眉を逆立てる彼に、チャールズはいつものように軽薄に笑うけれども目が笑っていない。


「いや、ちいとばかし懐かしかっただけだ。なぁ、リチャード。だから気を悪くするな。お前、本当にクリス兄の息子だな」

「……」


 感慨深げに言うものの、チャールズの目つきも声音も怒りをあらわにして口を閉じる。気圧され戸惑うマクシミリアンに、今度はリチャードが双子の片割れに代わり口を開くのだった。


「お前は正しい。クリス兄さんもいつも正しかった。正しい人だった。だが実際、正しく生きられる人間がいったいどれだけいる? 少なくとも、わたしたちは違う。非情の双子王子は正しくなくて結構。そんなわたしたちでも、クリス兄さんにだけは譲歩してきたが、お前に譲るつもりはない。チェチェは連れて行く。わたしたちがそうしたいからだ」


 普段は口数の少ないリチャードは、抑えきれなかった怒りを淡々と声ににじませていく。


「泣きんぼうは余計な心配するな。目的の囚人から情報を聞き出すことだけ考えればいい。チェチェもお前も、わたしたちが守る」


 マクシミリアンは、なおも二人を説得しようと口を開きかけたけれども、結局口から出てきたのはため息だった。フィリップから話を聞いたあとではもう双子らに正しさを説くことはできなかった。


(これからも一生涯彼らは非情の双子王子の二つ名に執着し続けるのだろうか)


 しかたないだと思うけれども、父のクリストファーがそうだったようにそんなもの捨てられる日がくればいいと願わずにいられないのもまた事実。

 ここは自分が折れるしかないのだろう。彼らを折るなんてできるはずがない。

 そうはいっても、やはりチェチェのような子どもを巻き込むのもどうなのか。本音はわかっている。ただわがままになるには、彼女の存在があまりにも重すぎるだけだ。

 葛藤する甥に、チャールズはふっと息をこぼすように笑った。


「安心しろ、マクシミリアン。リチャードが言った通り、お前もチェチェも怪我一つさせねぇから」


 この話はこれで終わりだと、双子の弟の肩をたたいて双子は行ってしまった。おそらく、遊戯室でビリヤードでも興じるのだろう。


 チェチェが少しでも嫌そうな素振りを見せたら、絶対に計画から外していた。けれども、彼女はこの五日間そんな素振りを微塵も見せてくれなかった。


「ダイジョブ!! ダイジョブ!!」


 無邪気に目を輝かせている彼女は、やはり危険性について理解していないのでは。


(皆には悪いが、やはりやめるべきだろう)


 決意が固まる直前、大きなため息が聞こえた。ため息の主は、面倒くさいと顔にありありと書いたフィリップだった。


「大公、まだ腹をくくっていないようだな。フン、夫人の心遣いはありがたいが、そう難しく考える必要はない。手引きは万全にしてやるし、チャックとディックがヘマをすることはまずない。フン、心配すべきは、むしろこいつらが監獄を崩壊させかねないことだ」

「……は?」

「一介の商人に監獄崩壊の尻拭いができるはずがないだろうが」


 尻拭いをしたくないのではなく、できないから保身に回るのだ。

 監獄を崩壊させかねないと言われても、当の本人たちは否定もせず平然としている。根拠はないけれども、彼らならやりかねない気がしてくるから不思議だ。

 なんだか悩んでいる方が馬鹿みたいだと、マクシミリアンは肩を落とす。


(俺もチェチェを守ればいいんじゃないか。俺にもできることくらいあるはずだ)


 これでも王の従兄でリセール公だ。少女一人くらい守れるだけの権力くらい持っている。


 そもそも、そもそもの話、従弟に事情を打ち明けて、ヒューゴ・ウィスティンとの面会の便宜を図ってもらえばいいこと。マクシミリアンを従兄上あにうえと慕い敬うジャックならば、間違いなく協力を惜しまないだろう。けれども、それは、それだけは、マクシミリアンのプライドが許さなかった。意地でも、自分だけの両親のことに従弟の力を借りないと決めていた。


 悩むことをやめた途端、上手くいく気がしてきた。


「わかった。それで、計画を聞かせてくれないか」


 腹をくくったマクシミリアンに、フィリップは満足げにうなづいてテーブルいっぱいの紙を広げた。

 広げたドローア監獄周辺の地図の上に、フィリップは木の駒を三つまとめて置いて言う。


「当日の荷馬車は、三台。二重底の荷台を用意する」


 大人一人くらいは余裕で身を隠せるということもなげに言うフィリップに、聞いてはいけない話を聞かされている気がしているのは自分だけでないとマクシミリアンは切実に思いたかった。


(なんで、そんな不穏な代物が出てくるんだよ)


 どう考えても、真っ当な代物ではない。以前の彼なら、気炎を上げて糾弾していたはずだ。間違いなく。

 けれども、すでに公務を放棄して無断出国をした上に、こうして監獄に潜入しようとしている身だ。苦言すら口にする資格はない。

 それを計算に入れた上でフィリップは計画を提示しているのだと思うと、頭が痛い。


「我が商会が直接関わるのは、この検問所までだ」


 フィリップは監獄の手前の検問所に置いた木駒の指さす。

 検問所では、積み荷をすべて下ろして入念に調べるのだと言う。


「大公とデック、それからチェチェには、隠し底に隠れてもらう」

「おい、俺は?」

「チャックには、別にやってもらうことがある」


 名前を挙げられなかったチャールズが間髪入れず口を挟んだけれども、次の一言であっさりと引き下がったことに、マクシミリアンは意外だと軽く驚いた。もっと抗議すると思ったのに、と。


「調べ終わった荷から積み直されたあと、御者と馬を替えて順次監獄に向かって再出発する。わかっていると思うが、新しい御者と馬は我が商会のものではない。検問所を突破すれば監獄で荷下ろしするまで積み荷が改められることはまずない。だから、再出発したあとで隠し底から出れば問題ないだろう」


 上の荷台に這い上がって隠形の術をかける。そこまで想像してみて、マクシミリアンは悪くないと思った。幸い、何かあると狭いところに隠れる子どもだったから、隠し底に身を潜めることに抵抗はない。不謹慎ながら、にわかにワクワクし始めてすらいた。

 それまで黙って聞いていたリチャードが、木駒から次兄に目を向けて尋ねる。


「積み直した荷で出られない可能性は?」

「ない。フン、積み荷を下ろして積み直すまでが我が商会の仕事だからな、塞ぐような下手を打つようなことはしない」

「そうか。……マックスとチェチェはなるべく離したくない。大人一人余裕というが、一台でこの二人がまとめて隠れることはできるか?」


 リチャードの意見に、フィリップはチェチェをじっくり観察してから答えた。


「可能だ。当然、窮屈にはなるが、じっとしていられないほどではないだろう」

「では、マックスとチェチェ、わたしで」

「了承した」

「で、お次は跳ね橋の先で合流だな」


 監獄内に木駒を移動させたチャールズに、そうだとフィリップは言いながらドローア監獄周辺の地図の上にもう一枚紙を広げた。

 広げられた紙を覗き込むなり、マクシミリアンの顔がひきつった。

 記されていたのは、ドローア監獄の配置図。それも獄舎や官舎などなどの間取りまで詳細に記されている。

 まかり間違っても、一介の商人が持っていていいものではない。




 跳ね橋を渡り終えたと体で感じたあと、予想よりも早く荷馬車は止まった。

 マクシミリアンは頭に叩き込んだ配置図を頼りに現在地に見当をつける。跳ね橋が上がり城門が閉まる音もすぐ近くでした。おそらく、フィリップが積み荷を下ろす場所としてもっとも有力視していた門と獄舎の間に広がる石畳の広場だろう。

 いつでも降りられるようにとチェチェの肩を軽く叩くと、幌が開けられた。

 薄暗さに慣れていた目には眩しすぎる明るさに、彼は一層気を引き締める。


 この少女だけは、何が何でも守らなくては。

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