デボラの糾弾

 フィリップ・ウィリアムズと名乗ってやってきた彼は、デボラを見てあからさまに顔をしかめた。


(予想しておくべきだったな)


 マクシミリアンが妻に黙っていられるわけがないと。そもそも、妻の理解がなくてはピュオルに行けるわけがないのだから。さすがにデボラが強引に送り出したとまでは思い至らなかったものの、二人の親密ぶりにうんざりする思いだった。

 そもそも、フィリップは庶民の娘を正式に妻に迎えることを快く思っていない。この迎賓館で行われた婚礼の宴の場で、面と向かって彼女に「リセール公の妻が務まるとは思えん」と言ったほどだ。一瞬で顔色を変えた夫の腕をさすって一歩前に出たデボラは、「善人も年をとると、頭が固くなるようですね。かつて英雄王ロバートは、神が強いた身分制度に反旗を翻し、この神なき国を築きました。なので、この国では商人が貴族に成り上がることもできる。それなのに、どうして町娘がリセール公の妻になれない道理がどこにあるというのかしら。ぜひおうかがいしたいものですわ」と周りにも聞こえるようはっきり言い返した。他国から嫁いできた王妃が注目を集め、女性の社会進出に期待が寄せられ初めた頃だったこともあって、フィリップは「フン」と鼻を鳴らして引き下がった。


(今思うと、わたしも大人気なかったわね)


 そんなことがあったので、デボラにとってフィリップは関わらないようにしてきた。

 けれども、今、ふいに思い至った。彼もマクシミリアンを愛しているのだと。それが、一般的な叔父が甥に向けるものなのか、別種のものかまではわからないけれども。


(兄嫁に恋していた疑惑はまだ残っているしね)


 とはいえ、同じ男を支える者だからといって、仲良くなりたいわけではない。

 それはフィリップも同じのはずだ。今この瞬間、部外者がなぜいると顔にはっきりと書いてあれば、疑う余地はない。


「よう、ウィル兄。今日はあの悪趣味な香水つけてないんだな」

「フン」


 次兄が来る――すでに門まで来ていると聞いて、チャールズは着崩したままだった服を完璧に整えリチャードのほうに詰めて用意した席に腰を下ろした彼に、マクシミリアンは今回の件に妻は初めから関わっていることを説明した。もちろん、フィリップの素性も母の日記もすべて包み隠さず妻に話してあるとも。

 マクシミリアンとしては、結婚前からデボラとフィリップにはもっと友好的な関係を築いて欲しかった。友好的とまではいかなくても、二人が顔を合わせるたびにピリピリした空気を漂わせないように改善してもらいたい。実のところ、今回の両親の死の真相を共に追求が関係改善に繋がってくれないかと密かに期待している。

 そんな切実な期待をあざ笑うように、フィリップは鼻を鳴らした。


「大公は、夫人を巻き込んだことを後悔したいのか? 凄惨な人殺しの話など、女人には刺激が強すぎるだろうが」


 席を外せと遠回しに言うにしても、こんな侮辱的な言い方をする必要はないはずだ。これにはさすがに、マクシミリアンも顔色を変えて膝の上の拳に力が入る。


「フィリップ、それは……デボラ?」


 腰を浮かせて声を荒らげるより先に、デボラは夫の腕を掴み引き止めた。その力の強さに驚き戸惑っているうちに、彼女は口を開いた。


「女人には刺激が強い、ですか。そんなことは言われなくても、わかっていました。……そうでなければいい。そうであってほしくない。そう願っておりましたけれども、フィリップ、あなたのおかげで確信したわ」


 デボラの声は、ひどく硬い。声だけではない。その愛嬌ある顔も、ひどく強張り硬い。まさに、真実から目を背けないと覚悟を決めた者のそれだった。

 深呼吸一つ分言葉を切った彼女は真正面からフィリップをひたと見据えた。その強い眼差しはなぜか今にも泣き出しそうでもあった。


「パトリシア様は、入れ墨の男に強姦されたのですね」

「え、何を言っているんだ……」


 マクシミリアンは妻が何を言ったのか、すぐに理解できなかった。理解が追いついても、頭が受け付けなかった。

 母のパトリシアは、生まれたときから父の許嫁だった。次代の王妃の座を約束された女性に、そんな非道を働くものなどいるはずがない。


(ありえない!!)


 否定する叫びは声にならず、気が狂いそうだった。


 ――――ィン


「マクマク」


 妻の反対側で、それまで大人しく焼き菓子を食べていたチェチェの声に、はっと我に返る。じっと見上げているチェチェの琥珀色の瞳は、船上で舞い踊ったときのように恐ろしいほど澄んでいた。

 チェチェはもちろん、大人たちの会話をほとんど理解していない。にもかかわらず、澄んだ瞳は、(お前も覚悟を決めて過去に向き合うべきだ)と強く訴えかけてくる。

 肩の力を抜いて嘆息した彼は、フィリップをうかがう。動揺した様子はないけれども、こころなしか表情が強張って見えた。なにより――


(否定、しないんだな)


 我に返って気がついた重苦しい沈黙は、ほんの一瞬だったのかもしれない。混乱し自失してていたのがどれほどだったのかさだかではない。

 夫がショックを受けたことに、当然デボラは気がついていた。そもそも、かつての入れ墨事情を聞いたときに察せられただろうにと、鈍感さににわかに苛立ちすらした。なので、今回は夫をフォローする気にならなかった。今は、他にやるべきことがある。夫と双子たちが当てにならないなら、自分がフィリップを糾弾するしかない。


「先ほど、当時、月虹城で服を脱がなくてはわからないような箇所に入れ墨を入れるのが流行っていたと聞きました。このパトリシア様の日記には、名前も知らない男の入れ墨を見たことがあるとわかる記述がありました。女の前で男が服を脱ぐとしたら、それはつまり……つまり肉体関係があったのは間違いないでしょう。その上で、男の素性を知らなかった。これはもう強姦されたとしか考えられないのよ」

「あぁ……」


 思わず嘆息したのは、誰だっただろうか。双子のどちらにせよ、マクシミリアンにせよ、先ほどなぜ彼女が激高したのか痛感したに違いない。彼らが考えつかなかったのは、ただ単に女性に乱暴するという発想がなかったからだ。非情の双子王子と呼ばれた二人であっても、理不尽な振る舞いを好まず、双子には双子なりに筋を通してきたのだ。

 彼女の推測の真偽を知るフィリップの表情からは、何も読めない。

 理解が追いついても、マクシミリアンはあまりにも衝撃的で受け入れられずにいた。そんな夫に構わず、デボラはフィリップに向かってさらに衝撃的なことを言い放つ。


「そして、あなたは隠蔽に加担した。なかったことにした」

「さすがにそれは……」

「マックス、あなたは、最後まで黙って聞いて」


 悲しみと怒りがないまぜとなっている目できっと睨まれては、マクシミリアンは口を閉じるしかなかった。


(そこまで言うなら、しかたない)


 侮辱されたも同然のフィリップが沈黙を貫いているなら、下手に擁護するよりも、なぜ妻がそんな突拍子もない考えに至ったのか耳を傾けるほうが正しいのかもしれない。

 仮面を外しているというのに、フィリップのあらゆる感情を押し殺したような無表情もまた、余計に不安を駆り立てるのだ。フィリップが反論し相手の意見を潰すのは、全部喋らせたあとだということを身をもって知っている。今回もそのつもりだろうと言い聞かせても、不安は増すばかりだった。


「フィリップ、あなたが隠蔽に加担したすれば、アンナが話してくれたことのほとんどに説明がつくわ。そう、パトリシア様が襲われたのは、慣習にしたがって月虹城の雛菊館でキャサリン妃に仕えていたそうですね。同じ頃、起きたナハルの暴動鎮圧で、クリストファー様が不在だった時期があった。パトリシア様があなたと浮気していると噂が立ったのはちょうどその頃で、『友人』として認めるとキャサリン妃がわざわざ表明したのかずっと不思議だった。けど、背景には強姦事件があったのなら、アンナがまるで主従のようだと──姫と騎士のようだったと言ったのも、納得がいくわ。実際、そうだったのでしょう。あなたは、パトリシア様を守るまさに騎士だったのよ。婚礼の翌朝──初夜の後に殴り込みに来たというのも、それまでクリストファー様にも隠していたからに違いないわ」


 考えついたことをすべて話しきったデボラは、一度大きく息をついた。


「当時はすでに婦女子保護法は施行されていた。強姦罪で裁くこともできたのに。それなのに、なのに……」


 これ以上、言葉にならなかった。

 隠蔽しなければ、二人は殺されることはなかったかもしれない。隠蔽せざるえなかった事情も察するに余りある。

 喚き散らしたいほど荒れ狂う胸を押さえて、もう一度潤んだ瞳でフィリップをしっかりと見据えた。


「違うなら、違うと言ってください」


 涙をこぼすまいとし震えるデボラから目をそらしたフィリップは、真っ青になって顔を強張らせている甥を見やって、再び彼女に目を戻した。


「まったく、本当に聡明な夫人だな」


 褒めも貶しもしない抑揚のない声に、誰かが息を呑む音が嫌に響いた。


「おおむね、夫人が今言ったとおり……フン、クリスとトリシャを殺した入れ墨の男は、かつてトリシャを強姦した男だ」


 三五年前の十一月二九日のことだったと、彼は淡々と話し始めた。

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