旅の終わりに

 今日一日を振り返るにはまだ早い時刻。けれども、これほど盛り沢山な一日は後にも先にもないだろうと、マクシミリアンは痛感したし、そうであってほしいと心底願った。


(そういえば、ピュオルでチャールズに拾われたときもそんなことを考えたっけか)


 従弟の国王命令で始まった憂鬱で悩める休暇が、こんな驚きの連続の盛り沢山になるとは思いもよらなかった。おそらく、発端となった資料を遺したコーネリアスにとっても想定外だっただろう。リセールを発ったのが今月の七日で、帰ってきた今日は二六日。日数にしてみれば、それほど長くないほうだというのに。

 グッドマン商会を出たあと、馬車を手配するために(歩いて帰れないことはないけれども、そんな気になれなかった)時計塔のある行政庁舎に向かうと、帰りを待ちきれず気を利かせて領主館から迎えの馬車が待っていた。大公なら、必ずここで馬車を用意するだろうと待ってましたと、遅すぎる先ぶれに行ってもらった二人に言われたときは、苦笑いするしかなかった。


「ウィル兄さんは、『男』だと確信していたな」

「……え?」


 馬車の揺れが心地よすぎて、心身ともに疲労がたまりにたまっていたマクシミリアンはぼんやりとしすぎて、リチャードの発言を危うく聞き逃すところだった。

 斜向かいに腰掛けるリチャードは、隣でうつらうつらと船を漕いでいたチェチェに膝を貸している。


「クリス兄さんたちを殺した犯人が『男』だと、ウィル兄さんがはっきり言ったのを、聞いていなかったのか?」

「言ってましたか?」


 そう言われていれば言っていたような気もするけれども、はっきりしない覚えていない。首を傾げて隣のチャールズをうかがう。


「リチャードがそう言うなら、そうなんだろうよ」


 肩をすくめたチャールズは、「けど」と続ける。


「滅多刺しだったんだろ。普通に考えて犯人は男だと決めつけても、おかしくないだろ。まぁ、ウィル兄が何か重要なこと知っているってのは確かだろうがな」

「俺も、そう感じました」


 フィリップが何かを隠しているのは間違いない。けれども、リチャードが気にするほど『男』に意味はないと思うのだ。そんなことよりも問題は――、


「話してくれませんでしたね」


 代わりに母の日記を譲り受けた。だからといって、マクシミリアンは、事件の真相解明を諦めたわけではない。むしろフィリップのかたくなな態度のおかげで決意を新たにしたほどだ。

 実際、両親の死の真相は何一つわからないままだ。

 誰に殺されたのか。

 なぜ殺されたのか。

 どうやって犯人は逃げおおせたままなのか。

 そのどれか一つでもフィリップが知っているなら、是が非でも聞き出さなければ。


(おそらく叔父上は、俺なら聞き出せると期待したから、事件の資料を遺してくれたんだ)


 実子よりも次期国王にという期待には、ついぞ応えることはできなかった。

 コーネリアスほど頭脳明晰ではない。けれども、コーネリアスにできなかった双子王子を連れ帰ることができたではないか。

 にわかに自信が湧いてきた。けれども、フィリップが口を割ってくれなければ、コーネリアスと同じだ。

 マクシミリアンは難題だと眉間にシワを寄せているというのに、チャールズはこともなげにこう言った。


「そりゃあ、いきなり話せないだろうよ。俺たちが帰ってきたってだけで、走ってくるほどの一大事だったのに、お前に素性がバレるわ、リトルコニーのとんでもない遺品を見せられる。その挙句、犯人をかばっているのかとまで言われたんだ。俺たちが見た以上に動揺して冷静でいられなかったはずだ」


 そのほとんどがチャールズたちの行動に起因するのではと、マクシミリアンは思ったけれども言わなかった。


「今ごろ、迷っているだろうよ。クリス兄ほどじゃないがウィル兄も正義感が強い。このままでいいなんて思っちゃいないはずだ」

「ウィル兄さんのほうから話に来ても、わたしは少しも意外だとは思わない」

「……………………そうかもしれませんね」


 かたくなに事件について話そうとしなかったけれども、犯人への憎しみはそうとうだった。

 チャールズが言ったように、二八年前は言えなくとも、今なら言えることだってあるはずだ。


(とはいえ、さすがに向こうから来るとは思えないが)


 ひとまず、今日手に入れた母の日記に目を通そう。

 それにデボラと話したいことがたくさんある。いったいどんな顔をして出迎えてくれるだろうか。離れていた時間を埋め合わせてから、それからだ。それから、フィリップを説得しに行こう。


 事件の真相には少しも近づけなかったけれども、双子の叔父にピュオルの不思議な少年、母の日記、それから一日では語りつくせないほどの土産話。得たものはたくさんあった。

 愛しの我が家まで、あと少し。

 今度こそ、マクシミリアンは疲労に負けてまぶたを閉じた。


 夢を見た。

 花の都の王城前で、大きな炎が踊っている夢だった。

 明晰王の火葬で見た炎だ。

 震えを押さえようと松明が折れるのではと強く握りしめていたジャックも、彼に寄り添っていた婚礼間近の赤毛のジャスミンも、泣き叫び炎に飛びこもうとして押さえ込まれているアンナも、嘆き悲しむ人々はいない。人っ子一人いないし、人の気配すらない。

 ただただ、大きな炎が踊っているのを眺めていた。

 火葬の炎だということだけは、はっきりとわかっている。

 神なき国の祖英雄王ロバートが、死した後にその身を焼き遺灰を大地に撒くように息子と妻の導きの魔女アンナに強く望んだのだという。

 曰く、大いなる神に支配されない奴隷なき大地の一部となって、死後も神なき国を支えよう。

 他の国では、遺体を納めた棺を大地に埋め墓を建てるのに、この神なき国では火葬し遺灰を大地に撒く。墓はない。

 火葬炉が各地にできてからは、こうして観衆の前で焼くのは国葬のときのみ。

 大きな炎が踊っている。

 おそらく、非業の最期を遂げた両親もこのように焼かれたはずだ。そうして遺灰も神なき国の大地の一部になったはずだ。

 西海のピュオルでも、多種多様な複数の民族の寄せ集めであるにもかかわらず、その多くが大地とは限らないけれども人は死後世界に還るのだと考えられているらしい。

 大地、世界、世界アウル、アウルの寵児。

 ピュオルを発つ日、船上で歌い踊るチェチェに刺激され触れたモノ。あの不思議な感覚は、しっかりと体に刻み込まれている。思い出そうとするだけでたちまち体の奥から世界アウルが湧き上がり溢れて止まらなくなるのだ。

 もし、本当に死んだ人々がこの世界に還っているのなら、両親にも触れられただろうか。欠片でも触れられただろうか。

 どれだけ呼びかけても応えることは決してないのだと、感覚的にわかっている。わかっているのだ。

 炎の勢いは少しも衰える様子がない。

 当然だ。これは夢なのだから。

 夢だから、ピュオルで倒れたときのように死んだ叔父と話すこともできる。なのに、なのに、両親に会えないのは、顔すら覚えていないから

だろうか、つい最近まで知ろうとしなかった親不孝者だからだろうか。やはり、今さらなのだろうか。

 想いが溢れて止まらない。

 泣きんぼうと呼ばれた小さな少年は、大きな炎の前でただひたすら泣きじゃくる。


 ――ィン


 ハッと目を覚まし体を起こすと、まだ馬車の中だった。慌てて目元に手をやるけれども、泣きじゃくっていたのは夢の中だけだったようだ。安堵の息をついて、居住まいを正す。


(何やっているんだ。たかが夢じゃないか)


 夢だとわかっていたのに、なぜ真剣に両親に夢でいいから会いたいなどと考えたのか。ただ虚しいだけだとわかりきっているのに。

 いつの間に起きていたのか、チェチェがじっと見つめてくる。


「マクマク、ダイジョブ?」

「ああ、大丈夫だ」

「…………」


 子どもらしからぬ底しれない琥珀色の視線に、何もかも見透かされているようで落ち着かない。


「本当に大丈夫だよ、チェチェ。夢を見ただけだ」


 大陸語が拙いチェチェのために、一言一句はっきり言い聞かせると、自分にも言い聞かせているみたいで、なんだかおかしい。自然と口元が緩んでしまう。

 なおも見つめるチェチェの藍染のターバンの上から、リチャードが頭をポンポンする。安心させるように微笑んだ彼を見上げて、チェチェもつられるように笑顔になる。

 まるで本物の父子のような微笑ましい彼らのおかげで、夢でかき乱された心も落ち着いてくる。



 夕闇迫る頃、四人を乗せた馬車はリセールの『丘の上』の領主館に着いた。

 妻のデボラはもちろん使用人たちも玄関ホールに立ち並んで、総出で出迎えた。のだけでども、マクシミリアンはデボラしか目に入らなかったようで、大事に抱えていた書類カバンを投げ捨てて彼女に駆け寄りその手を取ると、指先に手の甲、頬に唇にキスをする。


「デビー、ただいま」

「おかえりなさい。リマンから一人で海に出たって知らされたときは、心臓が止まるかと思ったわ」

「ああ、わかってる。申し訳ないこともした。謝るよ、心配かけてすまない」

「フフッ、そんなに心配していなかったのよ。あなたならなんとかなるって。また運を味方につけて、必ず還ってくるって信じてた。信じることもできないようじゃ、あなたの妻はきっとつとまらない。そうでしょう、あなた、たまにとんでもない無茶するもの」

「無茶だなんて……していないとは言えないか。だが、これからは無茶をしないよう気をつけるよ」

「ええ、この子のためにも、ね」


 そう言って、彼女はお腹を優しく撫でる。


「もちろん。君のためにも、この子のためにも、リセールのためにも、今後は無茶はしない」

「どうだか。でも、信じているわ」


 夫を送り出したとき、帰ってくると信じ抜くことで強くなりたいと強く望んだ。本当に強くなれただろうか。


(本当は、不安で心配でたまらなかったのんて言えないわ)


 言ってしまったら、夫はピュオルに行ったことを後悔するかもしれない。それでは、いったいなんのために強引に送り出したのかわからなくなる。

 リマンから一人で海に出たと知らされた日は、ショックで寝込んでしまったこととか、そのうちどこかから彼の耳に入ってしまうかもしれない。それでも――、


(必ず帰ってくると信じていたもの)


 その想いに嘘偽りはない。


 完全に夫婦二人きりの世界。なにしろ身分を越えて結ばれた夫婦だ。本人たちが自覚している以上に、その熱愛ぶりは周知されている。ココ最近ギスギスしていた二人に気をもんでいた使用人たちは、ようやくいつもの関係に戻ってくれたのだと目頭を熱くさせた。

 さんざん気をもんだけれども、ピュオルに送り出してよかった。このとき、使用人たちの心は一つになっていた。


 なので、客人たちの存在は忘れられていた。


「なんか盛り上がっているとこに水を差すようで悪いんだが……」


 さすがにチャールズが遠慮がちに声を上げて、マクシミリアンはようやく一人で帰ってきたわけではないことを思い出した。


「紹介が遅れてすまない。彼女は妻のデボラ。デボラ、こちらがチャールズ・ヴァルトン。そちらがリチャード・ヴァルトン」

「ご挨拶が遅れてもうしわけありません。リセール公マクシミリアンの妻デボラです。救国の六王子のお二方をお迎えできて、大変光栄ですわ」


 デボラはすっと双子に手を差し出す。庶民だったとは言われなければ気がつかないほど、彼女は毅然として気品あふれている。

 こちらこそと、チャールズとリチャードは歓迎に感謝の意を口にして順に手を取り甲に口づける。口髭にターバンという一風変わった装いであっても、やはり王子という出自を改めて見せつけるほどの気品があった。


「奥方がお手紙書かれた通り、大事なリセール公を無事お返ししましたよ」

「無事に返していただき、心より感謝申し上げますわ。あの、デボラとお呼びください」

「なら、俺たちもチャールズとリチャードと呼んでくれ。しばらく世話になるつもりだからな、お互い堅苦しいのはやめにしよう」

「わかりましたわ、チャールズ。それで、そちらはどちらの子かしら?」

「ハハッ、どちらでもないさ」


 リチャードの服の裾を掴んで緊張しているのか落ち着かない様子の子どもの父は双子のどちらだと尋ねた彼女に、無理もないだろうとマクシミリアンは苦笑する。


「その子はチェチェ。彼は……」

「彼女、だ」


 二人の養い子だと続けようとしたマクシミリアンを遮るように、リチャードが訂正した。聞き間違えかとぽかんと口を開けた彼に、リチャードははっきりと言い聞かせる。


「チェチェは女の子だ」

「いやいやいやいや、チェチェは息子みたいなものだってチャールズが……」

「言ったさ。実際、息子同然に扱っている。だが、チェチェが男だ言った覚えはないぞ」

「……………………」


 最悪だ。

 白目剥いて気絶しそうになっているマクシミリアンを、チェチェは心配そうに見上げる。


「マクマク、ダイジョブ?」


 全然大丈夫ではない。

 どうやら、我が家でも双子の叔父たちとその養い子に振り回されそうだと、マクシミリアンは引きつったように笑うしかなかった。

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