憎むべきは

 フィリップにうながされて、マクシミリアンは足元に置いてあった例の書類カバンをテーブルに乗せた。


「叔父上の遺品です」

「コニーの遺品だと?」

「はい。……あ」


 なぜフィリップが訝しむのか、頷いた後で気がついた。コーネリアスが死んだのは、五年前。(なぜ今頃?)と思うのも当然だろう。


「実はこれを開けたのは、つい最近なのです」


 途端に気まずくなり歯切れが悪くなる。


(妻が妊娠して両親のことを知りたくなったからだとか、ものすごく言いづらい)


 ピュオルの双子が知っていたくらいだから、フィリップが死んだ両親について知ろうとしなかったことを知っているはずだ。そもそもと考えていると、ふとある人物の顔が浮かんだ。


「そういえば、アンナはどこにいますか?」

「アンナ? ああ、女狐のことか」

「……あの、アンナのこともしかして嫌いですか?」


 露骨に嫌そうな顔をしたフィリップに驚いた。そういえばアンナとフィリップの両方から、互いの個人的な話を直接聞いたことはない。彼女を支援しているのだから、良好な関係だろうと思いこんでいた。


「旅行を支援しなければ、素性をバラすと脅すような女だぞ。フン、好ましいところなど一つもない」

「しかもウィル兄は、コニーからしつこく女狐を嫁って勧められてたから、なおさらだろ」

「余計なことを言うな、チャック。思い出すだけで腹が立つ。リトルコニーがあの女狐のどこに惚れこんだのか、さっぱりわからん」

「あーナルホド、ソレは一つモ好マシイ要素ナイデスネー」


 聞くんじゃなかったと、マクシミリアンはチェチェのような片言になった。

 はっきり言わないけれども、アンナが嫌いだということはよくわかった。それと同時に思う。


(それでも手厚く支援しているんだよな)


 なるほど、彼のことを『面倒見がいい』と誰もが口を揃えて言うわけだ。


「それでクソ女狐がどうかしたのか?」

「え、ああ、どこにいるのかなぁって」


 アンナがいてくれたら話がスムーズに進めてくれるだろうと期待していたとは言えず曖昧に笑ってごまかした。


「つまり、予定を変更してリセールに来た女狐にそそのかされて、そいつの中身を確かめたということか。と、いうことは、女狐が予定を変更したのは、お前がウジウジしているのに耐えかねた奥方の力になればとどこかの誰かがお願いしたと考えられるな」


 ほとんど当たっている。ここまで見透かされると、まったく腹が立たずただただ感心してしまう。感心している彼をよそに、フィリップは続ける。


「女狐なら、逃げたぞ」

「逃げた?」

「フン、おかしいと思ったのだ。アレの無茶振りはいつものことだが、急に国外に行ってみたいと急に言い出してな。フレイズ国に買い付けに行く商隊に混ぜてやった。リウル河を越えたのは三日前だ」

「……逃げましたね」


 アンナは賢い。


(フィリップに嫌われている自覚があるから、あのとき俺にフィリップがウィリアム王子だと言いたくなかったのか)


 おそらく、おそらくだけれども、フィリップはどんなにアンナが嫌いでも手厚い支援を続けるだろう。けれども、それはそれとして、必要以上に支援者の不興を買いたくはないのだ。

 力になってくれると期待した彼女はいない。もしこの場にいたとしても逆効果だ。

 アンナが戻ってきたらどうしてくれようか考えるのは、ひとまず甥の話を聞いてからだと、フィリップは書類カバンを顎で指す。


「奥方の懐妊でウジウジしていたのがきっかけなら、それはクリスとトリシャに関するモノだろうな」

「……ええ、そのとおりです」


 案の定、フィリップにも悩んでいたことがバレていたかとマクシミリアンは小さく嘆息して、書類カバンを開けて彼に中身を見せる。


「叔父上には『両親のことを知りたくなったら開けろ』と言われたもので、これらすべて二八年前の王太子夫妻暗殺事件の資料です」

「…………っ」


 鋭く息を飲んだフィリップの顔は真っ青で、藍色の瞳にははっきりと恐れがあらわれていた。

 何か知っている。――そう、マクシミリアンたちが確信するほどの激しい動揺ぶり。


「何か知っていることがあれば、教えていただきたいと考えて……」

「何もない!!」


 部屋全体が震えたかと思うほど声を荒らげたフィリップは、ドアを指さして「出ていけ」と怒鳴る。

 そう言われて、はいそうですかと引き下がるわけにはいかないと、膝の上の拳を握りしめて口を開こうとしたマクシミリアンの両肩を押さえる手があった。背後にいるチャールズだ。


「あのさ、ウィル兄。コニーのやつ、よりにもよってウィル兄を容疑者リストに入れやがったんだぜ。本当にウケるよな。ウィリアム叔父さんはまだ生きているから聞きに行けって書けばいいものを。おかげで、こいつはわざわざ俺たちを訪ねてピュオルまで行く羽目になったんだぜ。俺たちがこの国を出たとき、クリス兄はまだ生きていて、事件の手がかりなんて俺たちが持っているわけがないって普通に考えたらわかりそうなものを。なのに、こいつはいても立ってもいられなくて来た。そんな馬鹿で可愛い甥の力になってやろうって、『非情』俺たちがここまで連れてきたんだ。『非情』の俺たちが、だ。まさか、面倒見が良いウィル兄が、こいつを無下にしたりはしないよな。言えよ、何を知っている?」


 言葉遣いは軽薄そのものだけれども、チャールズの目は少しも笑っていない。真剣を通り越えて剣呑ですらあった。

 けれども、相手は彼らの実の兄で、商人として数々の無茶な要求にも答えてきたフィリップだ。チャールズの長い煽り文句は、かえって彼に冷静になるのに充分な時間を与えただけだった。


「お前たちが珍しく肩入れして今さら調べたところで、どうにもならない。リトルコニーが匙を投げた事件だからと、興味本位で関わるな」

「興味本位だなんてそんな……」

「他に何がある!! 今さら二八年も前のことを蒸し返したところでなんになる。クリスもトリシャも死んだままだ」

「それでも俺は……」


 死んだ両親は生き返らない。

 そんなわかりきったことフィリップに言われるまでもないし、生き返ってほしいわけでもない。

 とはいえ、言い返す言葉が見つからない。興味本位だとは思っていないけれども、自己満足であることはわかっている。

 フィリップが何か知っているのは、彼の態度を見れば明らかだ。


(考えろ。フィリップは情に訴えて折れるようなやつじゃない)


 リセールの行政長官としてフィリップを説得するには、理路整然と説かなければならなかった。仮面を外してもそれはかわらない。

 とはいえ、初めからまともな理屈などなかった。チャールズに言われて、いても立ってもいられなかったのだと客観的に自分を理解したほどだ。

 せめて、興味本位――面白半分ではないとわかってほしい。そのための言葉が、どうしても見つからない。

 悔しくてグッと唇を噛む彼の横に座るリチャードが、小さく息をついて次兄を睨めつけた。


「ずっと不思議に思っていたことがある。どうしてコニーは匙を投げたのか、ずっとわからなかった。わたしたち兄弟で一番負けず嫌いで、執念深いあいつらしくないにもほどがある。ましてや、大好きなクリス兄さんが殺されたんだ。今際の際まで犯人を探していたほうが、納得がいく。それなのに、匙を投げた。マックスからこの事件の詳細を教えられて、もしかしてと考えていたが、今ようやくはっきりした」


 抑揚を抑えているものの、リチャードもまたチャールズと同じように真剣を通り越えて剣呑だった。


「ウィル兄さん、あんただな。あんたが、コニーに匙を投げさせたんだ。どうやったのか、何を言ったのかまではわからないが、あんたが事件を有耶無耶にした。だから、リトルコニーはウィル兄さんを容疑者リストに入れた」

「大した推理だな、ディック。だが、それを証明できるはずがない。仮にそうだとしても、わたしが話すことはなにもない」


 フィリップはかたくなに事件のことを語ろうとしない。けれども、リチャードの推理を否定しなかった。肯定もしなかったけれども、マクシミリアンには充分すぎるほどの説得力があった。

 コーネリアスに匙を投げさせた。それはつまり――、


「……犯人をかばっている?」


 考えがまとまると同時に、マクシミリアンはそれを声に出していた。やけに冴え冴えとこぼれ落ちた言葉に、フィリップは激しくテーブルを叩いた。


「かばっている? わたしが? クリスとトリシャを殺した男を、わたしは何千何万と大河に沈めるのを夢見てきたというのに、お前はわたしがかばっていると言うのか!! 出ていけ!! 今すぐ出ていけ!!」

「そんなに憎いのなら、許せないのなら、教えて下さい!! 事件について知っていることを全部」


 あまりにもかたくななフィリップに、マクシミリアンも声を荒らげた。

 引き下がってはいけない。知らなければならないのだと、マクシミリアンは理屈抜きで確信していた。譲る気は毛頭ない。

 しばし睨み合った二人のうち、先に目をそらしたのはフィリップだった。


「わたしを憎みたければ憎めばいい。恨みたければ恨めばいい。断じてかばってはないが、コニーに匙を投げさせるよう説き伏せたのはわたしだ」


 説き伏せられた末弟が悔しげに「後悔するなよ」と背中に投げつけてきたときには、すでに後悔していた。お前は何も知らないからそんなことが言えるのだと、喉元までこみ上げてきた怒りは飲み込んだ。その怒りは、今でも胸の奥に巣食ったまま。

 最善ではなかっただろう。けれども、そうするしかなかったのだと、あのときの判断は間違っていなかったはずだ。一度失った記憶を取り戻し、不本意ながら一度だけ王城を訪れたとき、さらに確信を深めた。正しくはないだろうけども、間違ってはいなかったのだと。

 後悔も怒りも憎しみも恨みも、すべて自分だけが抱えていけばいい。

 それなのに、今度は兄夫婦の顔も覚えていない甥が、今さら――本当に今さらだった。


 自罰的なフィリップに、マクシミリアンはそうじゃないだろと首を横に振る。


「あなたを憎めばいいだって? あなたにどんな事情があったか教えてくれないから知らないが、憎むべきは俺の両親を殺した犯人だ。あなたじゃない」

「…………」


 フィリップはハッと目を見開き、それから押し黙った。

 ここぞとばかりに、甥に言い負かされた彼をチャールズは声に出して笑う。


「ハハハッ、今のはマックスが正しいな。憎むべきは犯人だ。いったい何に責任を感じているのか知らないが、二八年だぞ、ウィル兄。昔は言えなくても今だから言えることもある。違うか?」

「違わないな」


 リチャードも首を縦に振って同意した。

 一向に引き下がる気のない甥と弟たち。一人でも手を焼くというのに、それが三人も。


(そろいもそろっていい気なものだな)


 目を閉じ嘆息してフィリップは、気乗りしない様子で腰を上げる。


「フン、クリスもトリシャも正しかった。だが殺された」


 そう言いながら鍵付きの本棚の前で足を止めると、鍵穴に鍵を差し込んでなお逡巡し、


 ──カチッ


 解錠の音は小さく重々しく響く。

 一冊の本を取り出すと、フィリップは泣きそうな笑みを浮かべて、表紙を愛おしそうな手つきで撫でると、額に押し当て声に出さずひと言つぶやいた。

 その姿を見て、マクシミリアンの顔が曇る。


(もしかしなくとも、とても失礼なことを言いすぎたんじゃないか)


 間違ったことは言っていないはずだ。けれども、他に言い方があったのではないだろうか。


(いきなり押しかけてきたのだから、追い出されてもしかたなかったのにな)


 出て行けと言われ昂ってしまったままだった感情が、冷めていくのがわかる。

 だからといって、王太子夫妻暗殺事件の真相を諦める気は毛頭ない。それでも、やはり他に言い方があったのではないだろうか。今さらどうしようもないことではあるけれども。

 深く反省する彼に、フィリップが黙って両手で差し出す。神妙な心持ちで恭しく受け取ったあとで、彼は激しく戸惑った。


「……これは『良妻賢母の手引き書』?」


 間違いではないかと何度も表紙を確かめるけれども、何度見ても妻曰く史上最悪の悪書『良妻賢母の手引き書』だ。


「フン、中身はトリシャの日記だ」

「え?」

「懐妊祝いに、わたしがトリシャのために作らせた秘密の日記帳だ」

「これが……」


 ひと昔前、裕福な女たちの間で実在の本の装丁だけを真似て作らせた秘密の日記帳なるものが流行っていたのだと、デボラが教えてくれたのを思い出した。

 母の日記だと聞かされた途端、握りしめる手に力が籠もった。


「そもそも、大公はクリスとトリシャのことを知りたかったのだろう。ならば、あんな悲惨な事件の真相解明よりも、それを読めばこと足りる」


 だからもう帰ってくれと、フィリップは頭を下げ懇願する。

 彼に頭を下げてきたのは、これが初めてだ。マクシミリアンは、いたたまれなくなった。


(フィリップの言うのも一理あるかも知れない。だが……)


 首をひねって背後のチャールズを見上げる。

 チャールズたちは、これで納得できるだろうか。ピュオルからここまで連れてきてくれた彼らの労力に見合うものだろうかと、無言で伺いを立てる。

 甥の懸念を察したチャールズは肩をすくめる。


「わかりました。帰ります。母の日記、ありがとうございます。それから突然押しかけて……」

「フン、さっさと出ていけ」


 謝罪の言葉を遮り、フィリップは目も合わせずドアを指差す。

 しばらく口も聞きたくないくらい不快にさせたのだと、ますますいたたまれなくなったマクシミリアンは、日記を書類カバンにしまって伊達メガネをかけ席を立つ。


「ウィル兄さん、しばらくマックスのところで厄介になるつもりだ。チェチェ、行くぞ」

「ん」

「またな、ウィル兄」


 去り際に一度振り返ったマクシミリアンは、フィリップの後ろ姿がなぜだかひどく物悲しく見えた。

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