『フィリップ・グッドマン』

 フィリップの態度は完全にお金を無心してきた輩に対するものだ。事実そうだった。

 四人の弟たちは問題児ばかりだけれども、双子たちはろくでもない問題児だった。

 どうせまた、どこかの国と揉め事を起こしたに決まっている。

 前回、北方の小国の船を五隻沈めたときに貸した賠償金もまだ返し終わっていないというのに。本当に、本当にろくでもない弟たちだ。

 わざわざ事前になんの知らせもなく押しかけてくるほどだ。よほどの事態なのだろう。――などと、完全に決めつけていた。まったくの誤解だけれども、それほどこの弟たちは問題ばかり起こしては、彼が尻拭いをしてきたのだった。

 それはそれとして、再会の挨拶もなしにいきなり怒鳴りつける彼も彼で、


「今度は、いくら貸せばいい?」


 いくらか息を整えての二言目が、これというのも大概だろう。

 ろくでもない問題児の次兄は、金で解決できないやらかしのほうが厄介極まりなく、金で解決できるならいくらでも出してやろうという、若干問題のある思考回路の持ち主だった。


「おいおい、ウィル兄、せっかく俺たちが帰ってきたってのに、それはないだろ」


 憤怒の仮面に引けを取らないほどまなじりを吊り上げたチャールズは、次兄に詰め寄る。


「わたしが諸手を挙げて歓迎すると期待したのか? フン、世界の果てでも問題ばかり起こしているのは、どこのどいつだ」

「だからって、今回もそうだと決めつけるんじゃねぇよ。てか、その仮面ムカつくんだよ!」


 そう言うなりチャールズは、次兄に抵抗する間も与えず仮面を剥ぎ取ると後ろに放り投げた。

 綺麗な放物線を描いた憤怒の仮面は、ソファーに座るリチャードの手にストンと収まる。そして仮面は、そのまま隣に座る甥の手に渡った。

 憤怒の仮面を剥ぎ取られ顕になった素顔には、王族に受け継がれてきた特徴が色濃く出ていた。後ろになでつけた白髪交じり短髪に、切れ長の藍色の瞳。六王子の肖像画のウィリアム王子が、歳を重ねた姿そのものだった。髪を剃り上げ髭をはやした双子よりも、よほどわかりやすい。

 とはいえ、とはいえだ。黒髪に藍色の瞳の組み合わせは、それほど珍しくない。ただ、なぜか王族に色濃く受け継がれているというだけの話だ。たとえば、現王妃ジャスミンの燃えるような赤毛を二人の王子は受け継がなかったし、今後も期待できないというだけの話。

 額に大きな傷跡もあるし、当たり前だけれども王族と顔を間近で拝める民は限られている。仮面で隠す必要性がいまいちわからない。


 乱暴に扉が開くのと同時に響いた怒声に呆気にとられていたマクシミリアンは、そこまで考えたところで仮面を手にしていることに気がついた。無意識のうちに手にしていた憤怒の仮面を、なんともいえない顔で見下ろしてしまう。


「では、残りの借金を返しに来たのかとでも言うのか? フン、お前たちに限ってそんなはずはない。だから、さっさと言え。今度は何をしでかした」


 仮面を剥ぎ取られたフィリップは、すぐに調子を取り戻したのか追及の手を緩めない。

 これまでの所業を考えれば、次兄の言うことはもっともだとチャールズはちゃんと理解している。だからこそ、大人気なくムキになってしまう。


「だから、決めつけるなよ!! ウィル兄のおかげで、塩事業も順調にいってるし、借金も毎年利子つけて返しているだろが。ウィル兄にようがあるのは俺たちじゃない。俺たちはおまけ。いいか、お、ま、けだ。ウィル兄にようがあるのは、あいつ!!」


 いきおいよくチャールズに指さされたマクシミリアンは、ギョッとして顔を上げる。まさか、こんないきなり乱暴に紹介されるとは思っても見なかったのだ。

 驚いたのは、フィリップも同じだった。伊達メガネを外していたせいで、ひと目でチャールズが指さしたのが誰なのかわかってしまった。けれども、それがどう考えてもここにいるはずのない人物だから、フィリップはひどく困惑した。自分の目が信じられなくて、眉間を揉んでみたりしたけれども、やはりソファーで気まずそうに縮こまっているのは、リセールの主マクシミリアンで間違いなさそうだ。


「…………大公?」

「や、やぁフィリップ」


 随分、間抜けな挨拶だったと言ったあとで、マクシミリアンは恥ずかしくなった。

 いっそ逃げ出したくなったけれども、リチャードとチェチェに挟まれてはそれもかなわない。

 心の準備をさせてくれなかった双子の叔父が心底恨めしい。

 ただでさえろくでもない弟たちに険しかったフィリップの顔が、さらに険しくなる。何か言おうと開きかけた口を閉じた彼は、チャールズをギロリと睨みつける。チャールズは鋭利な視線をものともせずに、意地悪くニヤリと笑う。


「そう怖い顔するなよなよ、ウィル兄。もとを正せば、ウィル兄が生きていることをマックスに隠していたウィル兄たちが悪い」


 チャールズは頭の後ろで手を組んで、三人が座るソファーへと歩き出す。


「ウィリアム・ヴァルトンが生きてるって知ってたら、マックスは俺たちのとこに来ることなかったって話だ。けど、死んでるものと思いこんでわざわざ危険な旅をしてきた甥に、ウィル兄のことでどうしても知りたいことがあるって言われたら、こうして連れてくる他ないだろ」


 マクシミリアンの背後で足を止めた彼を目で追いかけたフィリップは、そのままマクシミリアンに目を向ける。ため息を深々とついて、リセールに来たばかりの頃によく浮かべていた懐かしい顔をしている甥の向かいに腰を下ろした。今日も、例の趣味の悪い香水の臭いがきつい。


「フン。天下のリセール公まで、わたしに金を無心しに来たのか?」

「……いえ、違います?」


 何を言われたのかすぐに理解できずキョトンとしてしまったマクシミリアンの語尾には、なぜか疑問符がついている。

 絶対に激しい叱責をくらうものだと怯えていたのに、嫌味一つで済まされようとしているのだから、戸惑うなという方が無理だろう。

 拍子抜けだと間の抜けた顔を晒す彼に、フィリップはまた「フン」と鼻を鳴らした。


「なんだ、間の抜けた顔は。三〇過ぎた大人だろうが。いちいち叱りつけなければ、反省も学習もしないのか」

「ですが……」

「わたしに叱責されるだけのことをしたのだと理解しているなら、それで充分だ。懲りずにまたあの未開地に行こうというなら、話は別だが」

「未開地は言いすぎじゃないか」

「フン」


 聞き捨てならないというリチャードには申し訳ないけれども、マクシミリアンもピュオルが未開地であることは疑いようがないと思う。たとえ、たった一日しか滞在していなくてもだ。


「大公は、きちんと『反省』の二文字を理解している。お前たちにも見習ってほしいものだ。どうせ、わたしの素性をバラしたのも直前だろう。フン」


 チャールズの説明は、あいかわらず充分とは言い難かった。それでも、血の繋がった弟たちだ。自分の素性をバラしたことは火を見るより明らかで、バラしたのも直前だろうとも容易に察してしまう。面白そうだからと平気でそういうことをする弟たちだと、嫌というほど知っていた。リセールに帰ってきたばかりで旅の疲れを癒す間もなく連れてこられたマクシミリアンの心労はどれほどのものか。さすがに同情もしたくなる。フィリップは双子と違って『非情』ではないのだ。


 覚悟していた叱責はなかったけれども、マクシミリアンはまだ気まずいままだった。密かに尊敬しているぶん余計にだ。


(仮面を外したからって、人が変わるはずがないよな)


 いっそのこと、チャールズが勝手に話をくれればいいのにと思うと同時に、期待するだけ無駄だと諦めた。いったい、どう切り出せばいいのかわからないけれども、沈黙のほうが耐え難くてなんでもいいから話そうと口を開く。


「あのフィリ……あ」


 マクシミリアンはすでに一度無意識で「フィリップ」と呼んでいたのに、今ごろになってなんと呼べばいいのかわからず、すぐに口を閉じる羽目になった。

 いつも以上に歯切れの悪い甥に、フィリップは肩を落とす。


「フィリップと呼べばいい。ウィリアムの名前は、二八年前にリウル河に捨てている」

「リウル河に?」

「そこの双子がどこまで教えたか知らんが、昔話をしてやる。フン、双子に面白おかしく適当に話されるよりもマシだからな。二八年前のリウル河を下る船が沈んだ時に、わたしは一度記憶を失った」


 ウィリアム・ヴァルトンの死の理由として公表されている沈没事故の真相を訊かせてくれた。

 岸に流れ着いた彼を助けたのが、グッドマン商会の人たちだった。前会長の年老いた母は、彼を半年前に失踪した孫のフィリップだと、孫が帰ってきたのだと喜んだ。そう思い込んだのは彼女だけで、額に傷を負って三日も寝込んでいる青年が、フィリップでないとわかっていた。第二王子であることを察している人もいただろう。彼女は、歳のせいでボケが始まっていたのだ。初めは、孫が帰ってきたと狂喜する老女に言い聞かせていた。けれども、目を覚ました青年は記憶を失っていた。涙を流しながら抱きしめてきた老女が呼んだ名前を、違和感を覚えながらも受け入れた。老女を説得していた人たちも、こうなっては『フィリップ』として青年を受け入れるしかなかった。


「たった三ヶ月だったが、婆さんにはよくしてもらった」


 死ぬ前のひと時、偽りでも孫と過ごせたなら幸いだったに違いない。

 本物のフィリップは失踪したと言われていたけれども、実際には北の国境近くで盗賊に襲われ死んでいたらしい。その遺体は家族でも本人だと確認できない有様だったせいで、老女のためにも『失踪』ということになった。


「婆さんの葬儀のあと、わたしは『フィリップ』ではないことと、例のリウル河の事故のことを教えられた。フン、なんとなく別人だと気がついていたのだが、記憶もまだ戻っていなかったこともあって、オヤジ殿の好意に甘えてありがたく『フィリップ・グッドマン』の戸籍をもらった」

「ああ、だから……」

「だから、調べても何も不審な点はなかっただろう?」

「ええ、まったくどれだけ調べても善人グッドマンでしたね」


 素性を調べていたことが知られていたことに、マクシミリアンは少しも驚かなかった。


(どうせ、叔父上だろうな)


 コーネリアスがピュオルの双子に送っていた手紙という名の甥の成長記録を読まなくてよかったと心底思った。実は少し読みたいと思っていたのだけれども、それも完全になくなった。


 失った記憶は、老女の死をきっかけに断片的に戻っていった。事故から九ヶ月経つ頃には完全に記憶を取り戻した。それでも、彼は王城に戻るつもりはなかった。コーネリアスがウィリアム王子が死んだと正式に公表したあとだったので、『フィリップ・グッドマン』となって商人として生きていくと決めたのだ。


「たまたま仕事で行った街で、たまたま月虹城で働いていた顔見知りの女に会わなかったら、リトルコニーに生きていると知られることもなかったし、再び会うこともなかった。フン、あいかわらず甘ったれたやつだったよ、リトルコニーは」


 事故からおよそ一年後に一度だけ、彼は月虹城で国王となった末弟に会った。呆れたことに、コーネリアスは柊館の彼の部屋をいつ帰ってきてもいい状態に保っていた。愛用していたバイオリンはもちろん、稀覯本や蝶の標本といった収集物も、すべて残してあった。

 それでも、彼の商人として生きる決意は変わらなかった。


「ま、あんなことがあっては、もう月虹城にはいられなかったからな」

「あんなこと?」

「王太子夫妻暗殺事件、だな」


 マクシミリアンの問いに、なぜかリチャードが代わりに答えた。その声がすこし硬かったことに気がついたのは、双子の片割れのチャールズだけだった。

 それに「フン」と鼻を鳴らして昔話を切り上げたフィリップは、マクシミリアンに手を伸ばした。まだ仮面を手にしていたことに気がついたマクシミリアンは、慌てて仮面を返した。憤怒の仮面に傷や汚れがないか確かめながら、フィリップは問う。


「それで、大公は何しに来た?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る