夢から覚めると

 ご覧、これがお前の父と母だと叔父上は言う。


 しかたなく、本当にしかたなく、叔父上が言う肖像画を見つめたんだ。そうしないと、きっとたぶん叔父上が悲しそうな顔をするから。大好きな叔父上に、そんな顔はさせられない。

 だから、言えない。この肖像画が大嫌いだなんて。

 叔父上は、父はとても正義感が強く立派な人だったと言う。母はとても優しく美しかったと言う。

 でも肖像画の二人は、僕を抱き上げてくれないし、僕に話しかけてくれないし、僕を見てくれない。好きになるところなんて、どこにもない。だから、大嫌いだ。

 僕にとっての父上は――

 手を伸ばして叔父上の服の裾を掴む。

 どうしたと、叔父上は肖像画の二人を褒めるのを中断して、膝を折る。


「叔父上がいい。叔父上が、僕の父上になって」


 叔父上は、はっと息を呑んで首を横にふる。


「なんで? なんで、叔父上が父上になってくれないの」


 ばあやたちが言ってたのに。

 叔父上は、僕の父親同然だって。

 実の息子のように可愛がっているって。


「だから、父上って呼ばせて」


 呼んでもいいでしょ。


「ねぇいいでしょ、おじ……」


 ――従伯父上おじうえ


 服の裾を引っ張られた。

 振り返ると、そこにはジャックの長子のアーサーが小さな手で俺の服の裾を掴んでいた。


従伯父上おじうえ、アーサーの父上になってよ」


 痛切な訴えに、胸を突かれた。


「父上も母上も、もういないってみんな言ってる」


 潤んだ真っ直ぐな幼い瞳に、映る自分はあのときのコーネリアスと同じ顔をしているのだろうか。――違うような気がした。

 少なくとも、叔父よりもはるかにアーサーの気持ちがわかるのだ。

 ここで、首を横に振るのは正しいことなのだ。

 ジャックのようにこの子を溺愛できないし、この子はジャックの後を継ぐのだから。後見人となり、輝耀城で幼い彼の代わりに執政官になれば、臣下である自分を父と呼ばせるわけにはいかないのだ。

 首を縦に振るわけにいかない理由はいくらでもあるし、絶対に正しい。

 けれども、認めてもらえなかった惨めさ、悔しさ、悲しさを知っているのだ。

 正しさだけがすべてではないはずだ。

 自分が味わったつらい思いをさせたくない。

 叔父上も、こうして悩んだのだろうか。いいや、違う。叔父上は、叔父上は言ってくれたはずだ。そう――




 ――ィン

 夢を見ていた。ということは、眠っていたということだ。


「…………」


 梁がむき出しの天井をぼんやり見上げる。見たことない天井だ。むき出しの梁に、乾燥した薬草かなにかを束ねた物が吊り下げられている。ちょうど、彼の頭の真上に。樟脳によく似た匂いがするそれは、虫よけかなにかだろうか。

 右手側から吹き込む風が心地よい。

 再びまぶたが重くなってきたところで、はたと気がついた。


「ここどこだ?! ……うっ」


 勢いよく体を起こそうとして、めまいに襲われ頭を抱える。


(そうだ、俺はたしかピュオルの港について……あれ、どうしたんだっけ)


 桟橋を渡りきったことろで、ぷつりと記憶が途絶えている。

 混乱していると、パタパタと駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。


「アウルンコーガー、アウルンコーガー!!」


 興奮した声に顔を上げると、子どもの顔がすぐ間近で、危うく上げそうになった悲鳴をどうにか堪えた。

 ツルツルの丸坊主頭の十二、三歳くらいの少年は、琥珀色の目をキラキラ輝かせている。


「アウルンコーガー、ダイジョブ? 体、ダイジョブ?」

「あ、えーっと、うん、大丈夫」


 片言の大陸語。

 着ている麻の長袖のチュニックには、蔓が絡まり合うような深緑の文様。右耳のみの耳飾りの金のリングは、よく見なければわからないほどの細かい筋で同じ文様が彫られている。二重の首飾りは、親指ほどの木の実が連なっている。その木の実にも文様が刻まれている。

 大陸では、まず見かけない出で立ちだった。


「ダイジョブ、よかっタ。ダイジョブダイジョブ……」

「うん、ダイジョブダイジョブ……」


 どういう状況なのか、さっぱりわからない。


(なんで俺は、この子と一緒に大丈夫とか言ってるんだろ。というか、全然大丈夫じゃ……)


 あまりにも、ピュオルの少年が楽しそうなので、マクシミリアンは考えるのをやめそうになった。それを阻止してくれたのは――


「なぁにが、大丈夫だ、馬鹿野郎!!」


 扉代わりの布をくぐりながら、中年の男が怒鳴り込んできた。きれいに剃り上げた頭のせいか、豊かな黒い口ひげが印象的だった。


「いきなりぶっ倒れておいて、大丈夫なわけあるか」


 髭面の男は、少年の父親だろうか。ズカズカと大股でやってきた彼は、抱えていた素焼きの壺をベッドの近くにあったテーブルにドンと置くと、少年の頭を軽く叩いて耳を引っ張り上げる。


「アーッ」

「チェチェ、俺は、こいつが起きたら、呼びに来いって言ったよな」


 足をばたつかせ痛みにわめく少年は、涙目だ。


「チェチェ、大陸ゴ、ワカらないヨ」

「くだらないことばかり覚えやがって」


 そう言って男は耳から手を離すと、マクシミリアンを睨めつける。その鋭い視線に、マクシミリアンの背筋は自然と伸びる。


「お前も、俺たちがあそこにいたからいいものを、あんなところでぶっ倒れたら、身ぐるみ剥がされて海に捨てられても文句言えないぞ。わかってるのか」

「あ、それは……」

「どうせ、船でロクに食ってなかったんだろ。ぶっ倒れて当然だ、馬鹿が」

「……」


 よく喋る男だった。返事をしようにも、口を挟む間もなくよく喋る。

 男は、壺の中身をテーブルにあった木の器に注ぎながらも、喋り続けている。


「こんなさっさと起きるんだったら、わざわざここまで運んでやることなかったな。ああ、ついでに教えておいてやると、ここは俺たちの家で、お前がぶっ倒れてそうだな、一時間くらいしかたってない。栄養失調、寝不足、不慣れな航海に疲労が溜まりに溜まってぶっ倒れた、そんなところだろ。ほら、飲め」


 差し出された木の器を反射的に受け取ったマクシミリアンは、青ざめた。

 木の器には、いかにもな土気色のドロドロした何かで満たされていた。その上、ミルクが腐ったような臭いまでするから、空っぽの胃から苦いものがこみ上げてきそうになった。


「全部飲めよ。薬だと思って飲め。実際、薬のようなものだ。元気が出るぞ。ちまちま飲むなよ、返ってきついからな。一気にグッといけ、グッとな。ああ、毒とかじゃないからな。そんなもん飲ませるくらいなら、あのまま波止場に捨てている。だから、安心してグッといけ」

「……」


 毒だと疑っていたわけではないけれども、とてもとても安心して口にできるわけがなかった。

 よく喋る男がひと言も味に言及していないのが、恐ろしい。


「飲んデ、ダイジョブダイジョブ」

「……」


 全然大丈夫ではない気がしてきた。

 少年のなだめるような言い方で、追い打ちをかけてくる。

 男の言うように、薬だと思って飲むしかないのだろうか。


「あの……」

「四の五の言わずに飲め。余計なことは考えるな。さっさと飲め」


 ベッドに手をついた男に詰め寄られ、マクシミリアンはおそるおそる口にする。


「……う゛っ」


 見た目と臭いで想像したとおり、不味かった。ひと口で吐き気を催すほどで、これほど不味い物は生まれて初めてだった。まがりなりにも小説を書いていた彼だったけれども、この恐ろしい飲み物を正しく伝える言葉が見つからない。


「ちゃんと飲めよ。脅すようで悪いが、俺はお前をベッドにがんじがらめに縛りつけて、漏斗をその口に突っ込んででも飲ませるからな」

「そこまでしてこんな恐ろしい物を……」

「言ったろ。薬だ。このクソ不味いのが、一番早くよく効くからだ。大人しく命の恩人の俺の言うこと聞け。まずは飲め。話はそれからだ」

「…………」


 命の恩人と言われれば、拒否するのは恩知らずだ。


(というか、これがもうすでに拷問だ)


 腹をくくれば絶対にやり遂げると、周囲から信頼されているのが彼だ。

 今は、この男に従ったほうが賢明なのは明らかだ。

 男の言う通り、毒を飲ませるくらいならわざわざ助けたりはしないだろう。

 抵抗する体力も気力もない。

 話はそれからだと言うなら、これを飲むしかないのだろう。

 マクシミリアンは、腹をくくった。


(どうにでもなれ)


 目を閉じて口につけた器を傾ける。


「そうだ、一気にいけ。一気に。頑張れ頑張れ」

「ガンバレ、ガンバレ」

「…………、……っ」


 楽しそうに声援を上げる二人が、無性に腹が立つ。


(後で、絶対ぶん殴る)


 ピュオルの少年は見逃すにしても、髭面の男だけは絶対にぶん殴ってやる。生理的な涙を浮かべ何度もえずきながら、流しこんでいく。


「ガンバレガンバレ」

「それでいい。その調子だ。そのクソ不味い薬の効き目に、お前は泣いて俺に感謝したくなるだろうよ。あーいや、泣いて感謝しなくていい。びーびーわーわー泣き喚かれるのはごめんだ。お前は、泣きんぼうだからな」

「ゴフッ」

「吐くなよ。後少しなんだから、な」


 聞き捨てならないことを聞いて、マクシミリアンは思わず吹き出した。すかさず、男が器を押さえて残りを強引に流し込んできた。聞き捨てならない言葉に、流し込まれた恐ろしい薬のせいで目を白黒させる。


「これで、よしっと。だいたい、お前も毒が効かない体だろう。始めから、素直に飲めばいいものを」

「ゲホッオエッ、み、水……」

「水はなしな。苦労して飲んだのに、効き目が半減とかは嫌だろ、ん」

「グッ、くそ……お前……オエッ」


 なぜ、『泣きんぼう』のあだ名で呼んだのか。

 なぜ、ヴァルトン家特有の毒が効かない特殊な体質を知っているのか。

 口と喉に残る恐ろしい名残にえずく彼に、男はずいと顔を寄せる。その瞳の色が、自分とと同じ藍色だと気がついた。

 まさかと、目を見開く。


「顔色、よくなったな。次は、風呂だ風呂。臭すぎるし、汚いぞ、お前。風呂の用意もちゃんとしてあるから、今すぐ風呂に入れ。ああそうだ、まだ名乗ってなかったな。俺はチャールズ。チャールズ・ヴァルトンだ。ピュオルにようこそ、マクシミリアン・ヴァルトン」

「…………」


 まさかとは思ったけれども、本当に双子の叔父の片割れだっただけではなく、自分の身元まで知られていたことに、マクシミリアンは驚きのあまり言葉を失った。

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