ピュオルの丘の上

 散々臭いだの汚いだの言われて、チャールズはマクシミリアンに有無も言わせず風呂場に連れていき押し込んだ。


(思っていたのと違う)


 非情の双子王子の異名から冷酷とまでは言わないけれども、何事にも物怖じしない武人のような姿を想像していた。

 彼らの異名の由来は、クリストファーの補佐として同行した暴動鎮圧での容赦ない活躍ぶりだ。当時まだ十代の彼らの鮮烈な勇姿だけでなく、クリストファーが武装蜂起した民の訴えに耳を傾けたりしたから、相対的に『非情』と呼ばれるようになった。そう、マクシミリアンは解釈していた。


(叔父上は、自分よりよほど情が深いと言っていたな)


 そのときは、いまいちピンとこなかったし、彼らと関わることもないだろうと聞き流していた。

 まさか、あれほどよく喋る男だったとは。口から生まれてきたようなとは、彼のことを言うのだろう。だからだろうか、とても御年五二歳だと知らなければ十は軽くサバを読んでも信じただろう。

 彼は双子だ。弟のリチャードもと考えて、ゾッとした。


 あの思い出しただけで吐き気をもよおす薬の効き目は、確かに絶大だった。医療の国とも呼ばれているヴァルト王国中を探しても、見つからないのではと思うほどに。

 頭痛はもちろん、ありとあらゆる不調が、あの器一杯分の薬でスッキリ取り除かれた。とはいえ――


「誰が泣いて感謝するのもか」


 なんなら、感謝の言葉を口にするのもお断りだ。そんなことを言えば、チャールズが腹が立つほどドヤ顔をするのが目に見えているからだ。

 体中の汚れを心ゆくまで洗い落とし髭を剃ると、生き返ったと心底実感する。

 チャールズが用意させた着替えに袖を通す。清潔な理念の下着と、白と黒でまとめた一式に、少しばかり感心してしまった。袖丈が少々余るくらいで、なんなく着こなせた。リセールの伊達男と呼ばれるだけのことはあって、流行り廃れのない無難な服の組み合わせでも、貴公子のようだった。


「さて、どうしたものかな」


 勝手がわからない家で、チャールズあるいは彼の弟を探さなければならないのだろうか。

 せめて何かこの後のことを指示しておいてほしかったと、ため息をつく。

 待っていればそのうち誰か来るだろうとも考えた。けれども、それはそれで落ち着かない。

 なぜ、チャールズがマクシミリアンだと知っていたのか、まだ訊き出せていない。

 わずかばかり逡巡した後に、彼は浴室を出る。


 内装は、ヴァルト王国の様式と変わらなかったため、うっかり失念しかけていたけれども、ここは西海のピュオルだ。

 浴室の外は、すぐに庭に面した外回廊だった。なんとも雑然とした感じの庭だった。棕櫚の木の周囲の芝とそこに通じる飛び石は、手入れされているのがわかる。けれども、花壇や石像が配置されているわけでもなく、庭の大半で草花が生い茂っていた。

 月虹城の彩陽庭園ほどではないけれども、マクシミリアンも領主館の庭園の管理には力を入れている。見事な庭園は、それだけで権威の象徴の一つとなるのだから当然だ。

 そんな彼からしたら、野放図な庭だ。けれども、嫌いではなかった。なぜか、たくましく育つ名前もしらない草花たちが魅力的に映ったのだった。


「アウルンコーガー!!」

「……」


 満面の笑みを浮かべた坊主頭の少年が駆け寄ってきた。


「アウルンコーガー、元気ナッタ?」

「ああ、うん、おかげさまで」

「よかっタ、アウルンコーガー、元気!!」

「…………」


 片言の大陸語から、少年がピュオルで生まれ育っていることはわかる。

 けれども、マクシミリアンにはどうしても理解できないことで、どうしても解決しておきたいことがあった。


「そのアウルンコーガーって、俺のことか?」

「ん?」


 自分を指さして尋ねれば、少年は首を傾げる。


「名前、な、ま、え、わかるか?」

「名前、わかルよ。チェチェの名前は、チェチェ!!」


 自分の胸を指して、少年はチェチェと誇らしげに名乗る。


「じゃあ、俺の名前は……」

「アウルンコーガー!!」

「……」


 がっくりと膝をつきそうになった。


(アウルンコーガーてなんだよ)


 気を取り直して、マクシミリアンは間違いを正そうとする。


「違う。いいか、俺の名前は、マクシミリアン。マクシミリアン・ヴァルトン。マ、ク、シ、ミ、リ、ア、ン。アウルなんとかじゃない。わかるか?」

「んー……ああッ、チェチェ、わかったヨ!!」


 チェチェは得意げにマクシミリアンを指さして言った。


「アウルンコーガーの名前、マァ、マク……マクマク!!」

「マクマクじゃない、マクシミリアン。マ、ク、シ、ミ、リ、ア、ン」

「マクマク!! アウルンコーガー、マクマク!! マクマク、マクマク!!」

「…………」


 あまりにも嬉しそうに連呼するものだから、マクシミリアンは名前を訂正する気力も失せた。


(こんなことなら、マックスと名乗っておけばよかった)


「マクマク、行こ。チャールズたち、待っテる」

「ああ、そうだな」


 チェチェは躊躇なくマクシミリアンの手を取り、回廊を案内する。


(手を引かれるのは、ずいぶん久しぶりだな)


 リセール公ともなれば、気安く触れてくる者は限られる。子どもに手を引かれるのは、翌々考えてみれば初めてのことだった。


「ココ、チェチェの家。チェチェと、チャールズと、リチャードの家」


 チェチェもよく喋る少年だった。片言の大陸語だったけれども、不思議と不快ではなかった。


「チェチェの家、みンな、丘の上テ言う」

「丘の上?」

「ん、丘の上!!」


 ちょうど回廊を曲がったところだった。

 目に飛び込んできた景色に、マクシミリアンはハッと息を呑んだ。


 入り江の港町は、リセールの賑やかな街並みと似ても似つかない。石積みの平屋造りの家々はまばらだし、道はほとんど舗装されていないのが、遠くからでもわかる。自分が乗ってきたと思われる船が停泊しているのが、不釣り合いなくらいののどかな田舎の光景だった。

 それでも、町並みを見下ろすように眺めるのが日常だった彼にとって、親近感を覚える光景だった。


「マクマク?」

「ああ、いや、いい家だなと思って」


 息を呑んだだけでなく足も止めた彼を、怪訝そうに見上げていたチェチェは褒められたとわかると、たちまち破顔した。


「いい家! チェチェの家、いい家!!」

「ああ、いい家だ」


 チェチェにつられて、マクシミリアンも破顔する。こんなに純粋に楽しい気持ちになったのは、久しぶりだった。まさに童心に帰ったようだった。


 もう一度回廊を曲がれば、いい家の反対側だ。見下ろす港町を横目に、こちらが正面なのだと悟る。


(ピュオルにも『丘の上』があるとは)


 このときばかりは、世界の果てとも呼ばれる島への恐れをすっかり忘れていたのだった。

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