ウィリアムとパトリシア

 ウィリアム・ヴァルトン。

 クリストファーの一つ年下の第二王子は、事件当日、他の三人と同じように庭園を一人で散策していたと証言している。

 七竈館で一緒に夕食をとクリストファーの使いが来たのは、その日の朝だった。特に変わった様子もなく、いつもどおり快諾している。

 なので、早めに昼食を取ったあと、午前一一時半過ぎに散策に出るときに、そのまま七竈館に行くと言ったのも、いつものことだった。


「事件後、庭園が封鎖されるまでのアリバイはない、と。だが、彼も二八年前に……」


 ウィリアムもまた二八年前に亡くなっている。

 王太子夫妻暗殺事件のおよそ二ヶ月後、荒天の中リウル河を下る彼を乗せた船が転覆し帰らぬ人となったのだ。入念な捜索と調査の結果、遺体が見つからないまま事故死だと公表された。

 けれども、狂王とその妃から始まって相次ぐ王族の死に、世間に事件ではないと受け入れさせるのは不可能だった。噂が噂を呼び、王太子夫妻もすべてコーネリアスは黒幕扱いされてしまった。いまだにコーネリアスを簒奪者と呼ぶ者がいるほどだ。


「……あらためて思ったが、二八年前はとんでもない災難続きだったんだな」

「激動の年といってちょうだい」


 マクシミリアンに、アンナはうんざりした様子で答えた。

 これでは、コーネリアスが事件解明を断念せざるえなかったのも、無理もない。


「でも、なんだって、ウィリアム王子が容疑者リストに?」


 いくらアリバイがないからとはいえ、さすがにこれはないのではと、デボラはアンナに尋ねる。


「わたしが全部知っていると思ったら、大間違いよ」

「それはそうですが…………そもそも、ウィリアム王子はどんな人だったんですか?」


 マクシミリアンの問いに、アンナは少し戸惑い複雑な顔をした。


「ひと言で言うなら、尻拭いの人ね。クリストファー様って正義感に溢れて義に厚い人だけど、その場の感情で暴走しがちなのが欠点だったのよ。そういうときに、なだめて思いとどまらせたりフォローに奔走するのが、彼だったわ」

「なんだか、聞いただけで胃が痛くなる役割だな」

「そう思うなら、今度からはこじれる前に相談してね、マックス」


 思わず腹を押さえたマクシミリアンに、デボラはやんわりと釘を刺す。うめき声を上げた彼に、アンナはクスッと笑う。


「ウィリアム様は、面倒見のいい人でもあったのよ。特に人と人の間に立って取り持つのが上手かった。角を立てずに、双方が納得するよう丸く収めるところは、コニーも見習うべきだったわね」

「物腰が柔らかい人だったんですね」

「まさか!! いつもしかめっ面で、笑ったところなんてほとんど見たことないわ。しょっちゅう文句ばかり、しかたなくって感じだったわ。それでも、なんだかんだ言いつつ最後までちゃんと面倒見る人だったのよ」

「へぇ……」


 いまいち、ピンとこない。


(そうか、父にもちゃんと支えてくれる人がいたんだな)


 父には必要不可欠な弟だったのだろうと、マクシミリアンは思った。


「アンナの話を聞いていると、ますます容疑者リストに入れた理由がわからないわ」

「たしかに、クリストファー様が真っ先に相談するのはウィリアム様って決まっていたくらい、お二人は仲は良好だったと思うわ。コニーが真っ先に相談してくれないって拗ねたくらいにね」


 でもねと、アンナは複雑な笑みを浮かべた。


「一時期、こんな噂があったのよ。『パトリシア様が、ウィリアム様と浮気している』ってね」

「え?」

「ご結婚される前のことはいえ、あまり気持ちのいい噂ではなかったわね」


 次期王妃となる者は、結婚前に雛菊館で現王妃に仕えるという慣習がある。ようするに、花嫁修業だ。

 パトリシアも例にもれず、一年半ほど雛菊館で義母となる王妃キャサリンに仕えていた。彼女が一九歳から二十歳の頃だ。パトリシアとウィリアムが連れ立って散策したり、お茶をしている姿が、庭園のあちらこちらで見られたのだ。


「わたしも見たことあるのよ」

「…………」

「クリストファー様は、一体何をしていたのよ?!」

「アスターにいらっしゃらなかったのよ」


 地方の暴動を鎮圧するために、双子の弟たちチャールズとリチャードを連れて、クリストファーは数ヶ月留守にしていた時期があった。


「でも、これって、ものすごい大問題でしょ」

「ええ、下手したら破談だったかも知れないわね。ちょっとした噂ですんだのは、キャサリン様がご友人としてウィリアム様と親交を深めるのを認められたからよ。あなたたちは知らないかもしれないけど、キャサリン様はとっても苛烈な人だったの。もし、本当にウィリアム様が手を出していたら、彼はアスターにいられなかったはずよ」

「友人としてだとしても、ちょっと……」

「どうかしているって、言う人もいたわ」


 でもねと、アンナは続けた。


「さっきも言ったでしょう、わたしもお二人が連れ立っているのを見かけたって。あれは、逢い引きしている仲ではなくて、まるで主従のように……そうね、騎士と姫のようだったわ」

「騎士と姫……なにかから、守っていたのかしら?」


 たとえば彼女と夫を殺した犯人からと、デボラが言わんとしたことに、アンナは少し考えてから首を横に振る。


「時期が違いすぎるわ。それに話をしておいてなんだけど、クリストファー様が留守にされていた間だけのことだったし、事件とはあまり関係ないんじゃないかしら。騎士と姫というのも、わたしの目にそう映っただけよ。深い意味はないわ」

「そう……それもそうね、彼は容疑者だったわね」


 容疑者が被害者を守っていたというのもおかしな話だったと、デボラは苦笑する。


「つまり、彼は兄のクリストファーだけでなく、義理の姉のパトリシアとも親しかったわけですよね」

「そういうことになるわね」

「ますます容疑者になっている理由がわからなくなったわ」


 デボラに、マクシミリアンはうなずく。


「あっ、思い出したわ!! 一度だけ、クリストファー様とウィリアム様がものすごい喧嘩をしたことがあったわ!!」


 どうして忘れていたのかと、アンナは興奮して身を乗り出してきた。


「クリストファー様とパトリシア様がご婚礼を上げた翌朝に、ウィリアム様を殺す勢いで柊館に乗り込んできたことがあったの」

「婚礼の翌朝って……」


 それはつまり、もしかするとそういうことだろうかと、マクシミリアンとデボラは目を合わせる。


「クリストファー様が一方的にという感じではなくて、ウィリアム様もウィリアム様で我慢の限界という感じで同じくらい激高していたわ。双子のチャールズ様とリチャード様が羽交い締めにして、力づくで二人を引き離さなきゃならないくらいすごい大喧嘩だったのよ」

「その喧嘩の原因はやはり……」

「さぁ? クリストファー様は『誤解があっただけだ』って、ウィリアム様に謝罪したけど、その『誤解』が気になるでしょ。だから、もちろん後でコニーが尋ねたわ。でも教えてもらえなかったのよ。二人ともだんまりだし、双子にははぐらかされたって」

「仲裁した双子なら、なにか知っているかもしれないな」

「ありうるかもね。でも……」

「双子王子は遥か彼方の西海へ」


 デボラの言うとおり、なにか知っていると思われる双子の叔父たちは西海の島国ピュオルにいる。それも、事件の前に国を出ていった。出てった理由は公にされていないけれども、兄弟の誰かと仲違いしたのが原因だろうと言われている。

 ピュオルと交流がないわけではないけれども、マクシミリアンにしてみれば、リウル河に沈んだウィリアム王子と大して変わらない存在だった。


「喧嘩の原因は気になるけど、喧嘩の後、クリストファー様は以前にもましてウィリアム様に信頼を寄せるようなったから、確かに『誤解』だったと思うわ」


 それから、パトリシアとウィリアムの関係も変わらなかったという。事件当日のように、兄夫婦がウィリアムを食事に招くのは珍しいことではなかったらしい。


(しかし、婚礼の翌朝とは……)


 マクシミリアンはため息をこらえた。けれども、妻は違った。


「それってつまり、ウィリアム様の他にもパトリシア様と関係を持った男がいたってことかしら」

「デビー……」

「どう考えても、婚礼の翌朝――初夜の翌朝に殺す勢いでって、そういうことじゃない。そうでしょ、アンナ」

「まぁ、みんなパトリシア様が処女じゃなかったって察したわよ。言わなかっただけで、誰だってそう思うわよ、もちろん」

「アンナもあの……」

「でもね、デボラ。ウィリアム様はあくまでもパトリシア様のご友人。真っ先に疑われてもしかたないけれど、彼も含めるような言い方はよくないわ」

「…………」


 この国では処女性はあまり重視されない。とはいえ、重要視する者がまったくいないわけではないわけで、


「クリストファー様は、処女に……」

「デビー、やめてくれ!」


 勘弁してくれと、マクシミリアンはさえぎる。断じて、そんなことを知りたいわけではない。

 必死な彼がおかしくて、デボラとアンナは声を出して笑う。


「とても気になる話だったけど、肝心の事件と関係があるのかわからないわね」


 ひとしきり笑ったあとで、デボラはため息をつくように言った。


(叔父上は、一体なぜ自分の兄弟を容疑者なんかに)


 他の三人と同じように、アリバイがなく犯行が可能だったというだけだとは、どうしても思えなかった。


「それで、アンナはどう思っているんですか? ウィリアム・ヴァルトンが、犯人だと……」

「ありえないわ」


 アンナははっきりと否定する。


「よりにもよって、あのウィリアム様がクリストファー様とパトリシア様を刺し殺すなんて、灰になってもありえないわ。もちろん、コニーもありえないとわかっていたはずよ」

「だったら、どうしてコーネリアス様は容疑者からはずさなかったのかしら」

「それはきっと……ウィリアム様が、なにか知っているからじゃないかしら。暗殺事件の手がかりになるような」


 アンナの答えに、マクシミリアンは何か引っかかるものを感じた。


「でも、ウィリアム様はすでに亡くなられているわ」

「個人的な見解。わたしがそう思っただけよ、デボラ」


 そういうことかと、マクシミリアンは腑に落ちた。


「アンナは、この事件の謎を解けると思っていないのですね」

「わたしが解けるなら、とっくにコニーが犯人を罰しているでしょう」


 始めから解けるわけがないと、アンナの事件そのものに対する関心は薄かったのだ。


「マックス。あなただって、ご両親のことを知りたかっただけでしょう。殺した犯人を知りたかったわけじゃないでしょう」

「ええ、まぁ、それはそうですけど……」


 アンナの言うとおりだ。

 両親のことを知るために、鞄を開けた。中身が事件の資料だとは知らずに。


(せっかく叔父上が遺してくれたから、とりあえず事件のことだけと考えていたよな)


 それが、事件の詳細を知るにつれて、謎を解きたいと思うようになっていた。暇つぶしなどという軽い気持ちではないはずだ。


(俺はどうして……)


 しばらく考えてから、彼は答える。


「許せなくなった。では、いけませんか」

「敵討ちがしたいの?」

「いえ、そういうわけでは……ああ、でも、俺から親を奪ったやつが許せないというのも、敵討ちと呼べるなら敵討ちがしたいのかもしれない」


 淡々とした声とは裏腹に、手の甲に筋が浮き出るほど強く拳を握りしめている。


「わかっているんです、アンナ。俺は叔父上どころか、ジャックほど賢くない。いつも誰かに頼らなければ今の地位を維持することもままならない。事件を解決しようとしても、徒労に終わるのは目に見えている。それでも、気が済むまで挑戦したい。……ああ、そうか。気がすまないのか、俺は」


 両親の無念を推し量れるほど、まだ二人のことを知らない。次第に熱を帯びていく声には、まぎれもなく怨嗟がこめられていた。


「俺は両親のことをロクに知ろうともしなかった親不孝者だ。それでも何度も考えてきた。もし、二人が殺されなければと。何度も何度も。未だに考える。俺の人生は、まったく違っていたはずだと。こんなうじうじ悩むような面倒くさい性格にもならなかったかもしれないと。俺は、俺は、生き…………」


 ハッとして口をつぐんだ彼は、大きく息をはいて強張った拳をゆっくり開く。

 ようやく自覚した。


(俺は、生きていてほしかったんだな)


 そうでなかったら、もしもの人生など想像するはずもないのに。


「俺が許せないで、事件を解こうとする理由は充分でしょう、アンナ」

「ええ。……でも、マックス、あなた、もう大丈夫なの?」

「なにがです?」


 困惑するアンナに、マクシミリアンは困惑する。


「なにがですって? 呆れた。そもそも、あなたがしょうもないことで悩んで、デボラをほったらかしにしているのをどうにかするために、計画を変更してここに来たのよ」

「…………」


 マクシミリアンは、ぎこちなくデボラを見る。彼女は静かに微笑んでいた。


「悩んでいたことなんて、すっかり忘れてたみたいね」

「……すまない」

「いいわよ、別に。所詮、その程度の悩みだったってことだもの」

「だが、デビー……」


 それはそれで、申し訳ない気がする。


「謝ることじゃないって言っているのよ。わたしとこの子から逃げなければ、それだけでいいの」

「もちろんだ。もう逃げないと決めた」

「うん、信じているわ。だから、わたしもあなたを手伝うって決めたのよ。できることなんてないかもしれないけど、あなたから両親を奪った犯人が許せないもの…………って、いきなり抱きつかないでよ」

「……俺の妻が最高すぎる」


 ギュウギュウと抱きしめるマクシミリアンに、満更でもないアンナ。


(まったく、今朝までのギスギスは何だったのかしら)


 もともと、彼らも国王夫妻に負けじと劣らず仲がいい夫婦だった。見せつけるという点では、国王夫妻より上かもしれない。


「若いっていいわねぇ。仲直りできてなによりよ」


 そして、両親のことを知りたいと思ってくれた。それがなにより嬉しい。


(コニー、よかったわね。無駄にならなくて)


 できることなら、コーネリアスが生きている間に向き合ってほしかったと思うのは贅沢なのだと理解しつつも、アンナは自分の欲深さに苦笑する。


「泣きんぼうのために、もう少しだけ付き合ってあげるわ」

「ありがとう、アンナ。心強いよ」


 彼女がいてくれたから、資料だけでは知り得なかった話が聞けた。彼女が来てくれて本当によかったと、アスターにいる従弟夫婦に感謝する。


「でも、これだけは知っておいてほしいことあるのよ、マクシミリアン・ヴァルトン」


 居住まいを正したアンナの真剣な声に、マクシミリアンは残りの資料に伸ばした手を止める。


「これだけは知っておいてちょうだい。クリストファー様とパトリシア様も、すぐに子どもに恵まれなかった。だから、クリストファー様は愛人をと迫られることが度々あったの」

「それは……」


 マクシミリアンも、一度言われたことがあった。

 月虹城を出て、直系から外れてもそうなのだ。

 七竃館の主であれば、比較にならないほど頻繁にしつこく迫られただろう。


「クリストファー様はね、その度に『女が存在するのは、子をもうけさせるためだけであってはならない』と言って、頑として愛人を拒否していたのよ。本当に、パトリシア様一筋な方だったのね」


 それを聞いて、デボラは目を見開き、マクシミリアンは息を呑む。


「泣きんぼうなんて呼んでいたけど、まさに待望の子どもだったわ。クリストファー様もパトリシア様も、あなたをとても愛していた。これから望まないお二人を知ることになっても、お二人の愛だけは、絶対に疑わないでちょうだい」

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