三月二十二日 4

 自然に開けたわけではなさそうだ。人為的に木々が切られており、岩場が剥き出しだ。それでも枯れた雑草と、春に芽吹いたものとが入り交じって、結構な荒れ具合だ。ずいぶん長いこと、人が訪れた様子は窺えない。


 夜須はますます暗闇に浸食され景色が黒く沈んでいく洞窟のほうを見る。洞窟の入り口だったであろう場所の脇に、由来書のような案内板が立てられている。柱も金属板も錆付いて、白いペンキが赤錆色に剥がれ落ちている。ずいぶん古いもののようだ。おそらく昭和の終わりか平成に設置されたものかも知れない。


 スマートフォンのライトをつけて、夜須はそこに書かれた文言を眺めた。珍しい貫通型鍾乳洞で、事故があったために入り口が塞がれた。入り口の側には清水が湧く泉があるらしいが、今のところ見当たらない。現在は塩害で飲めなくなってしまった、と書いてある。清水が湧いていた泉に塩が混じると言うことは何らかの地殻変動によって地下水脈に異変が起き、海と繋がってしまったのかも知れない。考えてみれば、惣領屋敷の井戸も同じと言える。井戸も泉も海と繋がっているのだ。


 しかし、和田津の島民が由来書に嘘を書いたのは何故だ。自分たちで入り口を塞いだくせに事故で埋まったとは、一体何を隠しているのだろう。それとも、良くないものを封じているのを知られたくないのか。


 ブルゾンのポケットに突っ込んだ、思わず持って来てしまったわだつ日記を読みたかったが、片手をスマートフォンに塞がれているため、今は無理だ。


 由来書を読み進めると、興味深い部分があった。泉が塩害に侵されたとき、ここに海難事故の犠牲者の首が上がったことから、首塚を慰霊碑として建てた、とある。ふと、交野が首塚だと教えてくれた、庭の目立たない石を思い出した。


 海と繋がっていて、さらに水死体の首がここに集まる。だから、ここに首塚を作ったと由来書に書き付けたのだろうが、現在首らしきものは見えない。井戸と泉が同じであれば、井戸にも首が上がっている可能性がある。


 夜須は交野がここに潜んでいる可能性を考えて、交野の名前を呼んだ。


「交野」


 黒く沈む茂みや木の陰からひょっこりと顔を出すのではないか、と心臓が激しく鼓動する。しんと静まりかえっているのが反対に不気味だ。それよりもライトの弱々しさに夜の山の薄気味悪さが足下から徐々に夜須の心を侵食してくる。怖じ気づきそうな気持ちを「気のせいだ」とごまかしながら、どこか崩れかけて穴の一つでも開いてないかとうろうろとライトを当てて彷徨いたが、石が隙間なく積み重ねてあって、ちょっとやそっとでは崩れてきそうもなかった。積み上げた石も規則正しく重ねられていて、和田津集落の石垣を想起させる。


 岩場の陰に水位の低い茶色に淀んだ泉があった。これが正光寺の住職が首を見つけた泉かと思い、首塚を探してみたが見つからなかった。惣領屋敷にあった首塚は元々ここにあったものかも知れない。


 案内板の由来書には事故で塞がれたとあるが、きっと石垣と同じ要領で塞いだのだろう。


 夜須がこの島に残る理由の一つ、いや、重要な理由はシジキチョウだ。鍾乳洞に入って、シジキチョウの卵か幼体を見つけようと思っていた。しかし、完璧に塞がれた入り口を見ると、非常に落胆した。


 それにここに交野がいるかもと思ったこと自体謎だった。いや、交野を見つけてどうするというのだ。交野がシジキチョウの住処を知っているとは思えない。知っていれば、夜須に最初に教えてくれるだろう。夜須がどんなに蝶に対して憧れを持っているか、夜須の近くにずっといた交野には分かっているはずだからだ。


 夜須は念入りにライトで石壁を照らしながら、どこかに欠陥はないかと探し続けた。


 それにしても、何故島民はここまで完璧に塞いだのだろうか。何を隠したのだろう。いや、もしかすると、こちらに来ないようにしたのか。


 スマートフォンの電池残量が半分になったとき、ようやく夜須は入り口を探すのを諦めた。他に確かめたい場所がある。惣領屋敷だ。あそこにはきっとシジキチョウについて書かれた文献がある気がする。どっちにしろ明日帰るしかなくなったのだから、残りの時間を有効に使わないともったいない。


 夜須は、手すりに掴まりながら、遊歩道を上下左右に、案内板通りに道を辿りながら山を下りた。


 すっかり夜の帳が島全体を包んでいる。ライト無しでは先も見えないくらい真っ暗だが、儚い月明かりに照らされて、ようやくものの形だけが黒く浮き上がっている。


 遠い空の彼方にある恒星も青白い光を放っている。空一面にぶつぶつと針で穴を開けたように星が密集し、ぎらぎらと輝いている。天の川もはっきり見えるほど、地上は暗い。


 足下もおぼつかない中、夜須はその足で惣領屋敷を目指した。





 石段を登り詰めた場所に惣領屋敷はある。


 門扉には電灯も点いていない。昨日訪れたままの荒れた空き家だった。交野はここで何を思って夜須を待ったのだろう。昔の仕返しをするつもりだったのだろうか。開け放たれた揚羽紋が焼き付けてある門扉を潜り、玄関の引き戸を開けて呼ばわるが誰の声も返ってこない。やはり空き家なのだろうか。夜須は土足で上がり込み、一部屋一部屋確認して回った。屋敷の中は闇に包まれて外よりも一層暗く見通しが悪い。


 夜須はスマートフォンのライトをつけて、辺りを照らし出した。


 シジミチョウの手がかりがあるかも知れないと思って、家具の引き出しを開けて探ってみるが、服一着も残されていない。あったとしてもゴミばかりで、もぬけの殻だ。辛うじて台所の調理器具や食器だけが残されている。


 座卓に食器類がそのままの座敷に入ると、掃き出し窓が開け放たれていた。


 闇に染まって黒ずんだ、ひらひらと赤い紙吹雪のようなものが飛び散っている。締め殺しの木に群がっている赤い蝶を見つけて、夜須は思わず叫んだ。


「シジキチョウだ!」


 それまでの恐怖心を忘れて、夜須はスマートフォンのライト機能からカメラ機能に切り返して、まるで繭玉のように丸く渦を巻きながら舞うシジキチョウを画像に収めた。一、二枚では足らず、何百枚とあらゆる角度から撮り収め、さらに近づく。密集したシジキチョウが、球体状に飛びながら次第に人型へと変化する。


 夜須は写真を撮ることに無我夢中で、シジキチョウがまるで人のように寄り集まったことに気付かなかった。


 どんな画像を収めても、今度こそ削除などしないと心に誓っていた。人型の蝶がまるで首吊り死体のように締め殺しの木にぶら下がって見える。それがどんなに異常なことなのか、蝶しか見ていない夜須は気付けなかった。

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