三月二十二日 3

 あるページで、夜須は繰る手を止めた。それまで淡々と過去の覚書を記していたのに、いきなり、乱れたくずし字で、『祠の女神に贄を捧げるべし。捧げずは災い起こらむ』と書かれていた。


 一体、どういうことだろうと次のページを見たが、何も書かれておらず、白紙だった。


 贄とは何だ……? と、夜須は考える。女神は何を求めている? このわだつ日記には、火丸ひまろが人間を女神に捧げたとあった。女神は溺れ死んだ人間を受け取り、豊漁を齎したという。


 わだつ日記に書かれている災いとは何のことなのだろう。それについて、記載は見当たらなかった。だいたい災いなど起こるのだろうか。なぜなら火丸たち、和田津の民のもとに鯨が漂着して以来、火丸は人間を捧げ続け、果ては人を攫ってまで豊漁を欲したとあったではないか。だから、贄は途切れたことがないはずだ。


 途切れたことがないはず?


 そこでふと、疑念が湧いた。火丸たちの生きた時代はおそらく源平合戦の頃、平安時代後期だ。九相図には寿永二年、1183年頃とあった。鯨が漂着したのは養和の飢饉があった1181年頃、てふが落ち延びてきたのはおそらく壇ノ浦の戦いよりずっと以前か。首の年号を消したのもそれと関係があるのかも知れない。火丸たちはわざとてふたちが落ち延びてきた時期を、養和の飢饉の初頭にごまかして言い伝えているのではないか。島民は何らかの理由でてふを殺したことに後ろめたさを覚え、年代をごまかして他の言い伝えと混ぜて、真実を隠したのか。


 きっと、その理由とは女神の贄に関係しているのだろう。


 その頃から火丸たちは女神に人間を捧げて、災いもなく、この和田津は細々と栄えてきた。元々和田津の島民の数は少なかったのだろう。だから、とうとうある日、島の中で破綻してしまい、和田津自体がなくなってしまう危機に陥った。そうして火丸たちが取った選択は人を攫うことだった。


 もしも、あの頃と今が何も変わってないのなら?


「ご住職、和田津の人口をご存じですか?」


 急に質問されて住職は慌てたように返事をし、質問を質問で返した。


「え? あ、ああ。大浦の?」

「いえ、和田津ですよ」

「うーん……、はっきり知っちゅーわけやないが、多分二十七人ばあくらいかなぁ」


 大浦の住職が和田津について詳しく知っているわけではないだろうが、平安末期と比べて土地が開拓されているわけでないなら、人口は大きく変動していないと思われた。


 それほど人の気持ちに寄り添う性格ではないのは自分も自覚している。そんな夜須ですら、得体の知れない恐怖がひたひたと海から迫ってくる感覚に襲われた。


 もう一度最初から、夜須はわだつ日記を読み返してみた。残念なことに日記には細かな日付が記されていなかった。


 女神はどれほどの数の贄を求めたのだろう。シジキチョウはどれほどの死体を喰ってきたのか。


 火丸が贄を捧げ過ぎたのだとしても、女神はそれほど止めどなく求めていなかったかもしれない。それともこれまでずっと定期的に与えていたのか? 流れ着いた死体も含めて、どれくらいの期間?


 火丸の子孫は惣領屋敷の交野家だ。確か、アクアマリンの親父が漁師をやめた際、交野家もやめたと言わなかったか? かんべの老婆は曾祖父の代で碧の洞窟に繋がっていた鍾乳洞の入り口を塞いだと言ってなかったか。しかも、胴塚を何故わざわざ建て直したのだ? 


 何かあったからやめたのだし、塞いだのだ。良くないものが来ると言って。その良くないものとは一体何なのか? 洞窟に入って撮った画像のことを思い出す。何故削除してしまったのだろうか。今、見返したら何か分かるかも知れないのに。シジキチョウへの手がかりだったかも知れないのに。和田津に潜む得体の知れない存在に関係していたかも知れないのに。


「おまさん、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」


 夜須は我に返った。これだけは確かめずにいられなくて訊ねる。


「先日伺ったとき、わたしに連れはいましたよね?」

「何を言っちゅーんだね。おまさんは一人でここに来たやないか」


 きょとんとした顔つきで住職が答えた。


 夜須は反射的に立ち上がった。しばらくぼうっとしていたが、おもむろに住職に告げた。


「鍾乳洞に行ってみますよ」

「どいてじゃ?」

「友人がそこにいる気がして」

「いや、そがなことならええんやないか? だが、鍾乳洞の入り口は塞がれちゅーぜ?」

「そこにいなかったら、惣領屋敷に戻っているかも知れません」


 確かめずにいられない。確かに、交野はいた。どんなに住職がいなかったと言っても。それに何故自分は寺に来られた? 惣領屋敷へ行けた? あと諸々の不可思議が夜須の脳みそに迫ってくる。


 寒くもないのに、夜須はぶるっと体を震わせた。腕を組み、二の腕をさする。恐ろしさから、人は自然と震えるのだと、初めて知った。


 シジキチョウが、蝶ではなく、女神の神使——分身ならば、夜須は一体何を探せばいいのか。交野なら何か知っている。だからこの島に呼んだのだ。それ以外にどんな理由がある。


 それとも、呼んだのは交野ではなく、夜須を恨む御先様なのか? 交野家を一人残らず祟り殺した御先様が交野の魂を利用したのか?


 ガタガタと両足が震えてくる。


「おまさん、大丈夫かね。ここで横になって収まるまで待ったらどうだ?」


 心配そうに住職が夜須を見上げて言った。


 確かめずに逃げてもいいのだ、と夜須は思い至り、腕時計を見るが、すでに十六時二十分を過ぎていた。最終便は行ってしまった。どんなに急いでももう無理だ。直行便なので大浦に寄港しない。


 夜須は覚悟を決めたようにため息をついた。この島——和田津は、夜須が最後まで調べ尽くすのを望んでいるのだろうか。


 夜須がおびき寄せられたシジキチョウのことや、こうやって日記を読ませて知らせた過去の話や、和田津に潜む恐怖の源を夜須は見届けないといけないのか。


 ならば、確かめてやろうじゃないか。夜須は自棄になって思った。


「この日記と地図、いただいていいですか」


 有無も言わさぬ勢いで、畳に広げていた鍾乳洞の地図を掴んだ。


「え? お、おい。いただくって……、交野さんとこは知っちゅーのかね」

「お邪魔しました」


 かなり乱暴に、夜須はあっけにとられている住職を尻目に、庫裏から出て行った。





 外に出て空を見上げると、暗い夜のとばりがゆらゆらと海の向こうからやってきている。太陽は辛うじて海と空の境にしがみついて赤く燃えている。石段と石塀が、緋色に染まり始めていた。


 夜須は発券所の前に停めたレンタルサイクルに飛び乗り、全力でペダルを踏んだ。和田津へ戻って交野を探してやる。交野は確かにいたのだから。たとえ、御先様から呼ばれてここに来たのであっても。


 徒歩だと十五分かかる道のりを、自転車で五分で移動する。神部山への遊歩道の前に自転車を置き、夜須は案内板を頼りに登っていった。


 自分でも無謀だと分かっている。これ以上踏み込むと、戻るのが難しくなる。現実と虚実の区別くらい付く。自分が幻を見て、それを現実と勘違いしていたかも知れないが、夜須は認めたくなかった。


 まるで鼻先にシジキチョウというにんじんをぶら下げられて追いかける愚かな馬だと、自分のことを思いたくなかった。交野如きに自分が騙されたと考えることすら許せなかった。


 夜須は意地になって自尊心を保とうと必死だった。


 案内板を照らしていた太陽の光がじわじわと水平線の向こうに消えていくと、あとはつるべを落としたように日が暮れた。


 登り始めて二十分ほどで、鍾乳洞の案内板が見えた。膝がブルブルと嗤っていたが、手すりに掴まりながら、荒れ果てた遊歩道を歩いた。一旦、遊歩道を登り、さらに下っていくと、やっと木々の生い茂った、ぽっかりと開かれた月の光も届かない暗い空き地に辿り着いた。

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