屍喰い蝶 3

 和田津の正光寺という小さな寺の住職は、勇魚の肉はありがたいとは思ったが、和田津の島民がひるこさんを喜ぶようになったのは、少しばかり罰当たりな気がして仕方なかった。飢饉が起こってすでに二年経っていた。その二年でこうも人心が変わるものかと、住職は嘆いた。


 しかも火丸の行いは常軌を逸している。鬼の所業を繰り返し、今や島民の死に狂喜乱舞し、見返りとも言える豊漁を喜んでいる。


 これでは、いつ自らの手、もしくは島民に指図して生きたまま、島民を海に突き落とすことになるか分からなかった。恒世ならともかく、火丸はしでかす恐れがあった。


 住職も自分が若ければ火丸に強く出ることも出来ただろうが、年老いてからは火丸の気に触ることが少しでもあったとき、殴り殺されるかも知れないという恐れも持っていた。


 火丸に忠言をおこなうとき、彼も少しは信心があるのか、気に入らなくても手を上げることはせず、その代わり聞く耳を持つこともなかった。


 島民の一人が不慮の事故で亡くなったのを皆で喜んでいる間に入り、住職は火丸に話しかけた。


「火丸殿、島民が死んでしもうたことを悲しむのではのうて、どいて喜んじゅーんじゃ」


 火丸は自分よりも小柄で弱々しい住職を見下ろした。


 住職は火丸が生まれる前、恒世が若かった頃に和田津に来た僧侶だった。恒世や火丸に読み書きや計算を教えたのも住職だった。だから、火丸にしては住職への当たりは強くないほうだった。幼い頃ならともかく、今の火丸にとって住職など取るに足らない老人なのだろう。


「ご住職、わしの島は貧しい。こいつらも和田津のために死ねたなら本望やろう。飢饉で無駄死にするよりもええ思うぞ」

「そがなことじゃない。死を喜ぶものじゃないと申しちょるのだ」


 火丸が鼻で笑う。


「それじゃあ、ご住職は獲れた魚を食わんでええのか? 獲れた魚を食わんと、ええんじゃないか。わしらは豊漁を齎した仲間に喜んじゅーんじゃ」


 ありがたや、南無阿弥陀仏と冷やかしながら、火丸は住職を見やった。


「結局、喰うんなら、わしに指図なんかすりなさんな!」


 住職は火丸の言葉に怯んで、後ずさった。確かに火丸の言うとおり、住職も魚をわけてもらい、生きながらえている。浅ましいのは自分も同じ事なのだと、住職は胸が苦しくなった。





 そして気付けば、和田津の人間は十人になっていた。火丸はさすがにここに至って目が覚めた。このままでは島民がいなくなってしまう。豊漁を喜んでばかりいて、自分の民が減ることに気が回っていなかったのだ。


「げにこれは参ったことじゃ。父ちゃん、人を連れてこんと、和田津はのうなってしまう。ちっくと仲間と人を攫うてくるがはどうやろう」


 恒世もとうに和田津の民が恐ろしく減ってしまったことに気付いていたが、浮かれている火丸にそのことを言うのを恐れていた。


 やっと火丸が現実に気付いてくれて良かった、と密かに安堵する。ただ、放っておくと考え無しなことをしでかしそうだったのでどうしようかと思っていると、火丸が言う。


「攫うがはええが、大浦はまずいぞ。大浦だとざんじすぐばれてしまう」

「じゃあ、鵜来島うくるしまはどうじゃ。あそこは流刑地やき」


 火丸はそれがいいと、真夜中に男どもを集めて小舟に乗り込み、鵜来島を目指した。





 住職が恐れていたとおりになってしまい、止めることが出来なかったことを後悔した。亡くなった島民が無事に極楽へ送れるように毎日念仏を唱えることしか出来なかった。


 火丸はというと、闇に紛れて人を攫うことに馴れてきたのか、七日に一人が、次第に間隔が短くなっていった。


 それまでは溺れ死にした骸を碧の洞窟まで持っていったが、今では引き潮の時に碧の洞窟に攫った人間を縄で縛って放置した。


「放っちょいても勝手に死んでくれるき楽じゃなぁ」


 と言っては、たまに洞窟の中の祠を参っては、女神に捧げ物の見返りを求めた。


 それだけでなく、碧の洞窟に浮かぶ骸に赤い蝶が無数にまとわりつき、肉をすすりきって骨と皮になった骸が海に沈むのを、火丸が楽しそうに眺めていることが多くなった。その姿は、まるで女神に魅入られているように見えた。


「赤い蝶は志々岐島しじきじまにしか出んき、シジキチョウじゃな。他の島の奴らはざんじ屍食蝶と呼ぶかも知れんが、げに屍の肉をすするがやき屍喰い蝶じゃな」


 酒が入ると火丸はすぐにそういう話を楽しげにするようになった。





 住職は火丸を恐れる以上に殺された者の祟りを恐れて、自ら胴塚を碧の洞窟の真上の崖に建てた。大きな岩を一人で運ぶことは叶わなかったので、持てるくらいの岩を背負って、何度も往復した。それからは毎日参って成仏を祈った。


 そのうち、魚を保存しに鍾乳洞へ行った和田津の民が、腐臭がすると気味悪がりだした。相談された住職と島民とで鍾乳洞の周辺を探っていくと、湧き水の泉が濁って悪臭を放っている。


 木の枝で泉をさらうと、ぷかりぷかりと白いものが浮かんでくる。水面に浮かぶ白いものを枝でつつき回していると、それがなんなのか、住職は悟って島民の手を止めさせた。


「いかん! 仏さんの顔の皮じゃ。ここで誰っちゃあ死んじょらんのに、どいて、顔の皮が浮かぶんじゃ……。まさか……」


 住職はいやな予感がして、泉の底を浚ってみた。そうすると、ゴロゴロとしゃれこうべがいくつも上がった。


「こりゃ……」


 島民も恐れてたじろいでいる。一体、誰の頭なのか、そこにいるもの皆分かっていた。しかし、そのことを火丸に言うことははばかられた。話せば、自分の所業を責められていると思い込んで暴れるかも知れない。


 碧の洞窟の潮流でちぎれた首が、どうやってか地下水を通ってここに上がってきたのだろう、と皆で話し合った。


 住職はしゃれこうべを懇ろに弔い、また自ら泉の側に首塚を建てた。島民の中にも後ろめたく思っている者は、住職が建てた胴塚と首塚に時折訪れて念仏を唱えるようになった。


「これ以上、悪いことが起こらざったらええんじゃが……」





 そのうち、飢饉も収束し、雨が降るようになって、畑は生き返らなかったが、山の緑が戻り始めた。魚も充分に備えられて、もはや人を攫って死なせるようなことを必要だと誰も思わなくなっていた。


 男たちは女神に捧げられて失った女房を欲しがり、子を失った女房は子を欲しがって、少しずつ島民の数は増えていった。

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