屍喰い蝶 2

 勇魚の肉は塩漬けにされたり干物や燻製にしたりして保存がきくものから先に処理された。女房たちが処理している傍らで、男たちは鍋で勇魚を煮ている。


 この辺りで勇魚を見たり獲ったりした経験のあるものは恒世と火丸だけだったので、島民はドヤされながらも素直に言うことを聞いた。


 鍋はすぐに出来上がり、手の空いたものから順に碗に注いでかっ込んだ。魚の臭みも全く気にならないほどの飢えが、徐々に満足感で打ち消されていく。


「なんか魚やないみたいだなぁ」


 満腹になったものが呟いた。


「それは、領主様がもっと偉い人に献上する食べ物やきな。死んだ勇魚の肉は献上できんやろう。やき、わしらで喰うても問題ない」


 それを聞くと皆は安心して火で炙ったり煮たりした肉をむさぼり食った。煙でいぶして燻製にしたり、干物にしたり、塩漬けにした肉を壺などに収めたりして、島民たちはこうべ山の中にある鍾乳洞に持っていった。ここなら一年間一定の温度が保たれている。冬の今はほんのりと暖かいが真夏になるととても涼しい。豊漁になったときは、皆この鍾乳洞を利用した。


 これを機に志々岐島の和田津の暮らしぶりはすっかり変わってしまった。


 島民の骨と皮になった体に肉が付き、大量に保存された勇魚の肉や脂身のおかげで飢えをしのげるようになった。ただし、和田津の島民はそのことを他の島民には黙っていたが、いつしかその話は他の島や大浦にも漏れて、和田津は『屍食島しじきじま』と当て字されて呼ばれるようになった。


「なにが、屍食島や。妬みやがって。あいつらも土佐の海に近いがやき、そこで勇魚を捕ったらええ。獲れるもんならなぁ」


 恒世と火丸はいつもそうやって大浦や沖の島の島民をあざ笑った。


 和田津はそれから一年は喰うものに困らなかった。





 ある日、島民の一人が海で溺れて行方知れずになった。小舟に乗って魚を釣りに行ったが、いつまで経っても戻ってこず、女房が騒いだ。それを知った火丸から、「あれほど肉があるのに、欲を掻いて海なんかに出るき。小さい魚をなんぼ釣ろうが、勇魚肉に勝てるわけがなかろう」と反対に嫌味を言われた。


 翌朝、舟を出していた和田津の島民が、碧の洞窟の入り口に赤い蝶の群れを見つけた。こんもりと海面に山を作って蠢いている。


「なんだ、ありゃあ」


 近づいていって、かいを取り、ちょんとつついた。まるで蜘蛛の子を散らすように、蝶が四方へ飛んで碧の洞窟の中へと消えた。残ったのは海面に浮く、細かな穴が開いた人間の骸だった。服は破れて端切れ同然になっており、誰か分からない。仕方ないので、櫂で押してひっくり返した。


「うわ」


 男は骸を見て怯んだ。頭がない。ねじ切れたように肉がめくれ上がっている。気付くと、舟の下をキビナゴの群れがぎらぎら背びれを輝かせながら泳いでいる。手でつかめそうな程大量にいた。


 男は慌てて腰に下げていた魚籠びくを取り、海水と一緒に魚をすくって獲った。あまりに容易にすくって獲れたので、獲れた魚を舟の中に放り、空になった魚籠でまたすくう。気付けば、船の縁ギリギリまで魚を掬い獲っていた。


 これ以上掬えば舟が沈んでしまうので、男は浮いた骸を置き放して和田津に戻った。


 男が騒いで、島民を呼び出すのを聞いて、惣領屋敷から火丸が顔を出した。


「なんや、どいた」


 男はしどろもどろになりながら事の次第を集まった皆に話した。


「ひるこさんがおってな、真っ赤な蝶がおってな、わしが櫂で追い払うたら、海に魚がたくさん湧いちょって、魚籠で獲っていたけんど、到底取り切れんばあいるき、手伝うてくれんか」

「わかった。おい、われら、網を持ってこい。案内しろ」


 男は火丸を案内するため、他の舟に乗り込み、碧の洞窟まで連れていった。


 火丸は穴だらけの骸を見つけた。それを他の舟で牽いて和田津へ持って帰らせ、自分たちは引き網をしてキビナゴの群れを獲った。





 結局、碧の洞窟に浮いていた骸は、前日にいなくなった男だった。


 火丸は骸を見つけた男の話をもう一度聞き直した。


 どうも、赤い蝶が男に群れていて、骸の体には小さな穴が無数に開いていた。そのあとすぐに魚の群れが骸のそばに集まってきて、大量にキビナゴが獲れたのだという。


「勇魚の蝶も赤かった。今日見た蝶も赤かった。碧の洞窟を見てみんといけん。もしひるこさんに付いた赤い蝶が魚を呼んじゅーなら、たまたまそうなったわけやないかもしれん。もう一回同じ事が起こったら、あの女は女神や。祀って、拝んだらもっと魚が獲れる」


 火丸の言葉に和田津の民が皆、沸き立った。もしそうであれば女神が和田津にやってきて豊漁をもたらせてくれていることになる。あの赤い蝶は神のお使いなのだろう。


 それから、和田津では赤い蝶を探す日が何日も続いた。





 探し出そうとすると蝶はぱったりとあれ以来現れなくなった。どうすれば、蝶が出てくるのか、何度も火丸は碧の洞窟の中に入った。


 祀れば女神の機嫌が良くなるかも知れないと、平らな石を集めて祠らしいものを作ってみた。それでも蝶は現れなかった。


 食べ物は充分あったが、備えをするのに充分など関係ない。火丸は有り余るくらいの糧と金が欲しかった。まだ飢饉は続いている。今や糧は値がつり上がり、どんなに金を出してもほんのちょっとの糧しか手に入らなくなっていた。


 火丸と恒世は沖の島へ渡り、干したキビナゴを金に換えて帰ってきた。和田津の惣領が潤えば、自ずと和田津全体が豊かになっていった。


 噂を聞きつけてやってくる漁師もいたが、火丸は取り分が減るのを嫌がって手ひどく追い返した。





 しかし、潤っても和田津の民は心が飢えていたのか、蝶が出ないかいつも碧の洞窟の周囲を見張っていた。引き潮になると露わになる洞窟の内部に入り、火丸は何度も女神に祈った。


 しばらくして、和田津の男が漁の時に海に落ちた。その知らせを聞いた火丸は喜び、他の島民も小躍りした。あとは赤い蝶が出てくれればいいだけだった。

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