三月二十日 4

 歩きながら、夜須は志々岐神社に電話をかけてみる。しばらくコール音が鳴った後、張りのある声音の男性が電話に出た。


『はいはい、志々岐神社です』


 夜須は単刀直入に用件を言う。


「シジキチョウのことを聞きたいんですが、今日、お時間は空いてますか」


 ぶしつけなお願いに電話口の男性が快く受け答えしてくれる。


『はいはい、いいですよ。いつでもおいでなさい。お名前伺うてもよろしいですか』

「夜須です。今大浦なんで、一時間後に伺います」

『じゃあ、お待ちしちょりますね』


 問題なく約束を取り付けて、通話を切ったスマートフォンをスラックスの尻ポケットに入れる。


「それにしても住職の話が本当なら、シジキチョウは死体無しでも観測できるってことだな。ただ、毎年じゃなさそうなのが残念だ」


 交野が海を眺めている。視線の先には空の青を映した海が広がっている。


 ガードレールを挟んだ向こう側はすぐ崖になっている。落ちたら岩場にぶつかりながら海に真っ逆さまに落ちるだろう。一度落ちると登ることもできず、声が出せなければ茂った松や岩場に根を張った木々の葉に隠れて見つからない。


「ここから落ちたら助かりそうにないな」


 交野の脇からガードレールの向こう側を覗き込んで夜須が呟いた。


 遠くを見透かしている交野をまねて、夜須も真下の海面から目を離し、遠方へ目を移す。ポツンポツンと点在する孤立した岩場に人影がある。釣り人がハエと呼ばれる磯で釣りをしているようだ。


「よくあんな所に立てるな」


 夜須が呆れたように言った。


「好きやきできることやないかな。夜須も蝶のことになったら何処にでも行くやないか」

「まぁ、確かに。だけど、蝶を追って死んだりはしてないし事故にも遭ってない」


 珍しい蝶の標本が欲しくて険しい山を登ったり、森の中に何日も籠もったり、相当物好きなことをしてきたが、どれも命を危険にさらしているとは思っていなかった。


「それにしても、シジキチョウのことが大浦じゃそれほど有名じゃないのが不思議だな。あれだけ珍しかったら、それだけで島興しにも繋がるじゃないか。変な風習にしても大浦は例外なんて……。大浦の人間が和田津に散歩に来たときは、怨霊も殺していいのか良くないのか分からなくなるんじゃないか」


 夜須は愉快に思って声を上げて笑った。


「殺すと思うよ」


 交野が静かに呟いた。


「和田津に来たら、和田津の者になる。やき例外はないんやないかな」

「じゃあ、観光客も島外者だが、和田津にいれば、和田津の島民と同じだと判断されるって言うのか? そりゃ、怨霊もいい加減なもんだな」


 交野は光のない沈んだ瞳を夜須に向ける。


「御先様は和田津そのものを祟っちゅーきね。和田津におったら和田津ごと憎い祟るべき人間になるがよ」


 それを聞いて、夜須は大袈裟に体を震わせる。


「そりゃ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって言うヤツだな」

「そのくらい酷いことをされたんやないかな」


 夜須は交野の言葉に呆れたようにため息をつく。


「自棄に御先様の肩を持つじゃないか。特別な思い入れでもあるのか?」


 交野がニヒルに口元をゆがめる。


「そりゃ、あるさ。ぼくは御先様が一番憎い思うちゅー人間の子孫ちや。現に、ぼくの先祖が二人祟り殺されて御先様の列に加わって、一緒になって和田津を祟っちゅー。ひたすらに和田津におる人間の魂を取り込んじゅー」


 交野がエキセントリックに呟くのを見て、夜須は哀れみの目で彼を見つめた。


「でも、ひるこさんを連れてきたら豊漁になるんだろ? 碧の洞窟に上がる被害者だってひるこさんには変わりないじゃないか。やっぱりこれも豊漁に繋がるんじゃないか? 住職は海に牽かれて島に不幸が起きたなんて言わなかったしな」


 話しているうちに和田津の港が見えてきた。


 知らぬ間に日も天頂に掛かり、日差しを浴びる交野の影が足下に溜まる。何故か色薄い陰りが不吉に思えて、夜須は交野をまじまじと見た。


 昨夜は気付かなかったが、元々色白だった交野の肌は、前よりもっと血の気が引いて青白く、顔の作りも整っていたのに印象が薄くなっている。強いて言えば影が薄いのか。病気のようにも見える交野の姿に、夜須は眉を顰めて訝しく思った。


「それにしても、おまえ、少しやつれてないか。病気か何かか? 昨日も飯を食ってなかったし。今から昼飯でも食おうかと思うんだが一緒に喰っていくか」


 夜須の言葉に交野が薄く微笑んだ。


「大丈夫ちや。ちょっと疲れちゅーだけなんや。飯の美味い店ならよう知っちゅーき案内しよう」


 カサゴの唐揚げが格別なんだよ、と夜須を民宿もしている店に連れていった。


「おまえも何か頼めよ」


 夜須が言うと交野は首を振る。


「食欲がないき水でええよ」


 民宿の食堂に並べられた錆の浮くステンレスのテーブルに立派なカサゴの天ぷらが持ってこられた。しゃくっと言う歯ごたえと旨みの滴る白身が口の中で香ばしく咀嚼される。


「ビールがあれば文句なしだな」


 夜須の言葉に、店員が反応する。


「ビールですかぁ?」

「じゃあ、一本」


 カサゴをビールで流し込み、揚げたてのキビナゴも頭から頬張っていく。旨みと塩気がちょうど良い塩梅だ。


「やっぱりこういう所のほうが美味いな」


 揚羽の作る料理はみんな自棄に塩辛かった。口の中のしょっぱさを薄めるために、ビールを死ぬほど飲んだ。今考えるとあれほどしょっぱい料理は食えたものじゃない。それにやたらとジャリジャリとした。


「おまえの妹の料理は食えたもんじゃなかったな。悪いが、今日の夕飯も俺は外で食うよ」

「ええよ、揚羽にはそう言うちょく」

「悪いな」


 ちっとも悪びれた様子もなく、夜須は目の前の料理を飢えたように口に放り込んだ。





 昼も食べ終わり、民宿から出て海を眺めながら左に曲がる。神社は港の海側から見て右端の少し高い位置にあった。一の鳥居を潜り、左右に松を構える幅広の石段を登っていくと、二の鳥居が見えてきた。境内に入り、二人は手水場ちょうずばで手と口をそそいでから作務所さむしょに向かった。


 作務所に入って声をかけると、すぐに神主が出てきた。

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