第34話 父さまの初恋の人『聖堂のマリア』

 トランス王国の西の果てには、夏でも山頂を雪に覆われた霊峰が並ぶ大山脈がある。

 その山脈の南方の尾根の高原に住むマチピチ族は、トランス王国にあって、唯一の異種族であった。

 マチピチ族には、古くから蔓延る風土病とされる病があり、患者は死に至る病として見放されていた。

 そんな患者達を献身的に介護している聖女がいた。誰もが病が伝染されることを怖れ、近寄り難くいる中で、一人患者の世話をしていた。

 そんな聖堂に、患者とともに篭もる彼女は、人々から『聖堂のマリア』と呼ばれていた。


 その『聖堂のマリア』が、病に倒れたという知らせが父さまの耳にも届いた。

 そして、マチピチの部族長から王城に救援を求められたとも。

 王城では多くの者が聖女マリアのことを知っていて、聖なる者でもやはりだめだったかと、沈み込む者が多い中、父さまだけは聖女マリアを救うべく立ち上がった。


 父さまは、すぐにグランシャリオ領の細菌研究所に連絡を取った。最近、各種菌の培養所で青カビから抗菌液を抽出し、実用化を図っていると報告を受けていたからだ。 

 試験薬でいい、マチピチ族の風土病に効き目があるか試したい。至急担当の者を派遣せよ。


 父さまと聖女様には、実は繋がりがあった。

 父さまが幼少の折、グランシャリオ領で疫病が流行した。僻地でもあり、トランス王は他領との往来を封鎖し、疫病の鎮静化を図った。

 そんな時、父さまの母上、つまり俺のお婆ちゃんが疫病に感染したのだ。

 高熱が出て日に日にやせ衰えて行くと聞く、母に伝染るからと会わせてもらえない父さまは、涙を流す日々だったそうです。


 そんな中、王都から聖女が来られたそうです。似たような病に効く薬草を、侍女と二人で背負籠いっぱいに背負われて来たそうです。

 それらの薬草を患者達に試し、その中の2種類が効き目があって、祖母も一命を取り留めたそうです。

 その当時父さまは5才、聖女マリア様は美貌の21才だったそうです。

 父さまは、一度だけ俺に話してくれたことがあります。その時の聖女様はこの世に、こんな美しい方がいるのかと思ったと。

 そして、母さまにはないしょだぞと言われて気づきました。父さまの初恋の人だと。


 父さまから、聖女様が風土病に倒れたことを聞き、漫画で読んだ偉人野口英世博士を思い出した。博士もアフリカで黄熱病の研究中にその病に掛り亡くなったのだと。

 俺は父さまの気持ちに応えるべく、グランシャリオの研究所員を率いて、飛行船でマチピチ族の村に乗り込み、病人を知る者達から風土病について猛烈に調査を開始した。




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 【 聖女マリアside 】


 私が生まれたのは、王国の南のはずれにあるセロンという小さな島の村だった。

 夫婦仲の良い両親と私と弟と妹の5人家族で父は小舟で漁をし、畑を耕して自給自足の生活をしていた。

 両親の喧嘩や諍いを見たことがなかった。

 二人は駆け落ちして、この島に来たらしい。

 だから、帰る場所などなく二人で力を併せて生きると、心に誓っていたのだろう。


 幼い頃は私はよく子供達で、浜の岩場で小蟹を追いかけ回したり、貝を採って焼いて食べたりして遊んだ。

 潮風の香りと輝く海の景色が、故郷の記憶。

 私が6才の時に、幸せだった人生が終わりを告げた。

 突然村を流行り病が襲い、村の人も私の家族も奪い去ったのだ。あっけなかった。4才の弟が熱を出し、看病する母が、父が、そして私とよちよち歩きの妹も病に掛り、高熱を押して、家族の世話した母と父が帰らぬ人となり、次いで妹が、そして弟も帰らぬ人となった。

 私は高熱の中、ずっとうなされながら、生死の縁をさ迷っていたのだろうが、2週間程して奇跡的に熱が下がり一命を取り留めた。

 そして、生き残った村の人達で、病人の出た家は亡骸と共に焼かれ、私の家も家族とともに業火に包まれた。

 私は泣き叫んで抵抗したが、押さえられた大人の力に抗うことができず、ただ、その光景を見続けるしかなかった。


 その後私は、島を出て遠い町の孤児院へ預けられた。孤児院の院長先生は、優しい年老いた女性だった。

 私だけでなく、悲しみを背負った孤児16人を慈愛の籠った目で見つめ、育ててくれた。

 孤児院の生活は、貧しく質素な暮らしだったが、皆んな虚勢を張り笑顔で明るく振る舞っていた。

 そして16才になった私を、薬師のお爺さんが引き取ってくれて、薬師の下で働くことになり、孤児院を出た。

 私を引き取った薬師のお爺さんは子供がなく自分の培った知識を惜しみ、私に伝えたかった

と言っていた。

 私はお爺さんと野山を巡り、いろんな草木の知識を学び、薬の作り方や調合を覚えた。

 18才の頃には、一人で任されて病人や怪我人を診て回るようになっていた。


 そんなある日、東の辺境で流行り病が起き、王城が人の往来を禁じたという噂を聞いた。

 病のことも、高熱が出て、下痢や嘔吐の症状があり、多くが死に至ると聞いた。

 それを聞き、私は家族が虚しく死んで行った光景を思い出して、居ても立っても居られなくなり、薬師のお爺さんに東の辺境に行きたいと懇願した。

 お爺さんは引き止めることなく、病に効きそうな薬草、調合を私と話し合い、永遠の別れとなるかも知れない私を送り出してくれた。


 私が薬師のお爺さんの下に来て、同じ境遇で親しくしていた農家のパリスという、2才下の女の娘に別れを告げに行くと、私と一緒について行くと言い出した。

 聞けば、満足な食事も出されず、虐待さえ受けていたらしい。

 パリスは早朝に逃げ出すことにし、村の外れで落ち合って行くことになった。

 パリスは荷物もなく、見送りに来てくれたお爺さんの薬草がいっぱいの背負子を担ぎ、二人でお爺さんと別れを告げ旅だった。 


 道中は農家などに訳を話し、一宿一飯の施しを受けたり、時には荷馬車に同乗させてもらって、2ヶ月の旅をへて辺境のグランシャリオ領にたどり着いた。 

 あとは、領主館を訪ねて来訪の目的を話し、領主館で滞在しながら、多数の患者さん達に何通りもの薬を調合して試した。

 その中には、領主の奥様もいたのである。




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 マチピチ族の風土病をいろいろ調べた結果、解った症状は、喉の痛み咳、高熱、息苦しさなどで結核よりも肺炎の可能性が高いと思った。

 さっそく、重軽傷者に試薬を注射して治療を開始した。研究所からは手伝いも含めて10名で、王城の病害担当部所からは20名が派遣されて来ていた。

 試薬の調整と接種は研究所員に任せ、後の者達には、患者の容態をきめ細かに記録させ、俺と研究所長、副所長の三人の分析に当たった。


 そして、重症者の反応は遅かったが、軽症者すなわちかかって間もない者達の回復が著しくそれを追って重症者も回復を始めた。

 青カビから抽出したペニシリンは、成功したようだ。2週間後、かなり回復したという聖女マリア様に面会した。


「聖女様、初めてお目にかかります。アルファロメロ・グランシャリオの息子、ジラルディと申します。

 聖女には、祖母を救っていただいたと父さまから聞いています。その節はありがとうございました。」


「まあまあ、アルフちゃんの息子さんですって? もうそんなになるのね。

 それより、可笑しいわ。助けてもらったのは私なのに、お礼を言われるなんて。うふふ。」


「聖女様、ちょうど領地で青カビから作った薬がこの病気に効き目がありました。これも神様のお導きかも知れません。

 それにしても、聖女様ってお美しいですね。父さまの初恋の人だけありますよ。

 いけね、内緒だった。」


「うふふふ。そうだったのかしら。お婆ちゃんを助けられたと思ったから、アルフちゃんの目には女神様みたいに見えたんじゃなくて。」


「それもあるとは思いますが、この世にこんな美しい方がいるのかと思ったと言ってました。   

 俺もそう思います。」


「あらまあ、嬉しいわっ。でも、不思議ね。

 あの時の行ないが自分を救うなんて。」


「聖女様、父さまが王都に王立病院を造って、王国全土から難病患者を集めて、治療と研究をするって言ってます。

 それで、聖女様にそこの院長先生になって、欲しいそうです。」


「えっ、アルフちゃんて、今いったい何をしているのかしら?」


「えっと、侯爵になって、国の開発大臣をやってます。

 それで、病院の名前は『マリア聖堂病院』に決まっているのですが。」


「あははは。いつか私も難病患者の病院を作りたいと思っていたのよ。夢のようね。」


「だから、早く良くなってくださいね。父さまが王都で、楽しみに待っていますから。」




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 俺は、せっかく来たついでだからと、この地をじっくり観察してみた。

 マチピチ族がマチピチ族である所以は、その居住地が大山脈に連なる標高2,000mを越える高地にあることにある。

 山麓の1,000m以下は、熱帯雨林のジャングルで、マチピチ族が暮らす3,000m くらいまでは、熱帯山林気候ないし雲霧林である。

 つまり彼らは、雲の上で暮らしてるのだ。


 2,000m以下の熱帯山林では、コーヒー、バナナ、砂糖きび、キャッサバなどが栽培できるが、それより高地は、大麦、ライ麦、トウキビ

ジャガイモしか育たず、ジャガイモは3,000mを越え4,000mを少し越える場所でも育つ。

 マチピチ族の村々は、曲がりくねり上り下りばかりの小道をラマという大型羊の背に荷物を載せて運ぶ。またひと回り小さいアルパカは、羊と同じく柔かい毛を刈り食肉にもしている。


 この地形では平地の灌漑などの農地改良は、全く通用しない。さらに、金鉱などの鉱山は、探せば見つかるかも知れないが、交通の便が悪すぎて運ぶのに一苦労だ。


 それでも俺は、マチピチ族の族長の村クスカと平地を結ぶロープウェイを作ることにした。

 グランシャリオの職人達は、例によって悲鳴を上げながら、新しい乗り物にニコニコ顔で、取り組んでくれた。全長4,800mの40人乗りのクスカ直行ロープウェイは、片道90分でクスカと麓の町リモを結んだ。


 また、谷間では年中吹き上がる風が吹いているので、パラグライダーをマチピチ族の若者達に使わせてみた。高所恐怖症の者もいたが、パラシュートも装備させて飛行させたので、崖に激突しない限り大丈夫だろう。

 決まった場所に吹く上昇気流に乗れば、低地まで降りて帰ってくることが可能だ。

 あまりにも人気が出で、子供達にせがまれ、練習用の固定パラグライダーを10台も作らされた。まあ画期的な移動手段だし、50kg位の荷物なら、お尻の下に吊るして運べるからね。


 以来、マチピチ族の皆んなは、俺のことを『聖堂の坊っちゃんジル』と呼び崇める。

 

 職人達が坊っちゃん呼びするから悪いんだよ。中にはジル坊様なんて呼ぶお爺ちゃんまでいるんだから。

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